前に「図書館史の勉強をはじめた理由」というエントリを書いたときにもちょっと意識していたのだが、図書館法が改正されて、司書課程に関する講義が再編されるにあたって、最近図書館資料を「メディア」と言い換える事例が多いのが少し気になっている。
メディアとはどういう意味だろうか。
すぐ想像されるのは、新聞、テレビ、ラジオ、といったマス・メディアだが、CD-ROMだってDVDだってメディアである。もちろん、図書も。そうすると「メディア」とは、図書館資料を言い換えた表現になるのだろうか。
現行図書館法では、「図書館資料」を以下のように定義している。
第三条 図書館は、図書館奉仕のため、土地の事情及び一般公衆の希望に沿い、更に学校教育を援助し、及び家庭教育の向上に資することとなるように留意し、おおむね次に掲げる事項の実施に努めなければならない。
一 郷土資料、地方行政資料、美術品、レコード及びフィルムの収集にも十分留意して、図書、記録、視聴覚教育の資料その他必要な資料(電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られた記録をいう。)を含む。以下「図書館資料」という。)を収集し、一般公衆の 利用に供すること。
オンライン・ジャーナルはベンダーと契約してサーバから提供を受けているだけともいえるので、そうすると収集されるべき「図書館資料」のカテゴリに上手く入らないのかもしれないが、当然、インターネットの情報源も含めて、ネットワークを介して提供される情報も図書館のサービスで欠かせない。となると、そういったことを含めて「メディア」と表現しているのだろうか*1。
もうひとつ気になるのは、これは私の勉強不足によるのかもしれないが、メディアと言われると、どちらかといえば新聞とか雑誌とかを連想してしまうので、メディア論という場合、ポップカルチャーなど大衆文化領域が重点的に語られる、というのもちょっとピンとこない部分があったりする。
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- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1999/10
- メディア: 単行本
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そういったことを考えながら、少しだけメディア論の分野の本を紐解いてみた。
以下の質問と回答がとても参考になった。
内田樹先生は、『街場のメディア論』のなかで、「メディアの不調はそのままわれわれの知性の不調である」と言っている。
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2010/08/17
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そこでとりあげられるのは、マスメディア、マスメディアに代わるかもしれないミドルメディア、インターネット、コピーライト、書物と電子書籍、といったトピックだが、そもそもメディア産業に就職しようとする学生向けのキャリア支援の一環が元になっている本ということで、郷土資料とか記録とか、あるいはオンラインジャーナルがどう、というような私の気になる点の議論とは、ポイントが少しだけ食い違っている。
また、佐藤卓己先生は、『ヒューマニティーズ歴史学』のなかで*2、講義でメディアは複数形であって、その単数形は何か、といってMediumを答えさせるという話を紹介している。
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- 出版社/メーカー: 岩波書店
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もと油絵描きとしては、メディウムと言われるとあれか、とピンと来たりするが20世紀後半までは、ドイツ語の辞書でも化学用語か、あるいは霊媒や巫女の意味だった、というのは、ちょっと考えさせられる。「メディアをマジックワードのまま無意識に使うことで、私たちは自らの視野をぼかしているのではないだろうか」(p.110)という点も含めて。
- 作者: 吉見俊哉,水越伸
- 出版社/メーカー: 放送大学教育振興会
- 発売日: 2004/07
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また、この本は放送大学の教材だが簡潔で勉強になった。
吉見俊哉先生は次のような定義を与えている。
「メディア」とはいったい何なのだろうか。単に、テレビや新聞、ラジオ、ポスター、雑誌、電話、パソコンといった情報の伝達装置を寄せ集めた集合がメディアなのではない。メディアとは、私たちの生きる社会的世界の技術論的な次元と意味論的な次元を媒介しながら、このような個別のメディアの布置や編成を可能にしていく、より全体的な構造連関の社会的な場のことを指している。
メディア論の系譜にはいくつかの源流があった。1つはアメリカでおこった新聞が形成する公衆論。ガブリエル・タルドは、当時の群衆を非合理的な存在ととらえる説を批判して、新聞などの活字メディアの普及によって結合され現れている「公衆」を積極的に評価した、という。
これらの見解について、吉見先生は、
今世紀初頭のアメリカの思想家たちは、新しい情報メディアの影響力の大きさを認識しながらも、これらのメディアの発達が、アメリカの公衆の一体性を確認させ、合意の民主的な形成を促進するはずだとのオプティミスティックな信念を抱いていた。(吉見「メディア論の系譜Ⅰ」前掲『メディア論』p.86)
と述べ、その背景に社会進化論的発想を見出している。この潮流に、リップマンの『世論』の研究や、さらにアメリカで1920年代から出てきたラジオを介した大衆宣伝の研究が加わって、その後アメリカで飛躍的に発展するマス・コミュニケーションの基礎をなしたと書かれている。
- 作者: W.リップマン,掛川トミ子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1987/07/16
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そういえば佐藤卓己先生の『輿論と世論』にも、日本におけるマス・コミュニケーションの淵源に関する叙述があった。
- 作者: 佐藤卓己
- 出版社/メーカー: 新潮社
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もうひとつの系譜は、1930年代に台頭してくるアドルノやホルクハイマー、あるいはそれに先立つベンヤミンなどフランクフルト学派に属する人々の、メディアのイデオロギー性や文化産業に対する批判の系譜である。これは後にイギリスを中心とするカルチュラル・スタディーズにも影響を与えていくという図式である。
- 作者: ホルクハイマー,アドルノ,Max Horkheimer,Theodor W. Adorno,徳永恂
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言われてみると、メディア論の論客として本をたくさん書かれている人たちの傾向も、二者択一という簡単な問題ではないものの、よく引用しているヨーロッパ系かアメリカ系かで、論調のトーンにおのずと差があるように見える。
さて、メディア論の系譜を引き続きたどっていくと、第二次世界大戦後、ラジオに代わり、テレビが普及していく過程でメディア論に大きな貢献をなしたのが、マクルーハンだとされる。
- 作者: エリックマクルーハン,フランクジングローン,Eric McLuhan,Frank Zingrone,有馬哲夫
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マクルーハンの場合、電子メディアによって、心理的空間距離が消滅すること、コミュニケーションが視覚的な形態から包括的で触覚的な形態に移行することなどが主要な論点としてあげられるが、読んで面白いなと思ったのは、メディアの変容がわれわれの思考様式を変えるという視点である。これは「メディアはメッセージである」「メディアはマッサージである」という言葉に託して、1969年のインタビューで以下のように説明している。
トラック運転手から文字通りの特権階級まで、ほとんどの人々は、幸せなことにメディアが自分たちに何をしたか気づいていません。その人間に対する全般的な効果のゆえに、メッセージとなっているのは、メディア自体で内容ではないということに、そしてメディアは、洒落はしばらく置くとして、マッサージでもあるということに、鋳型に入れ、変形するということに気づかないのです。「プレイボーイ・インタビュー」『エッセンシャル・マクルーハン』(NTT出版、2007)p.21
また、マクルーハンは前に書いたアンダーソンの議論を先取りする形で(正確には、アンダーソンもマクルーハンを引用しているが)こういうことを言っている。
予測していなかった活字印刷の影響が数多くある中で、たぶん、国家主義の出現が最もよく知られたものであろう。方言及び言語の集団によって人間を政治的に統一するというのは、個々の方言が印刷によって広大なマスメディアに変ずる以前には考えられないことであった。(「印刷されたことば―ナショナリズムの設計主」『メディア論』(みすず書房、1987)p.180)
- 作者: マーシャルマクルーハン,栗原裕,河本仲聖
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印刷技術の普及というメディアの変容が、人々の意識の変革をもたらすということである。
そうすると、単に情報を媒介するだけでなく、コミュニケーションによって人々の意識の変革もたらすのがメディアなのだとすれば、図書館におけるメディアということと同時に、図書館もまたメディア、という視点もありうるのかもしれない。
たとえば前掲の吉見先生が書かれた大学論のなかでも国民国家とメディアという主題が出てくるが、というのはこうした含意がある、というのは押さえておいた方がいいかもしれない。
…コミュニケーション・メディアとしての大学、すなわち図書館や博物館、劇場などの文化施設はもちろんのこと、活版印刷からインターネットに至る諸々のメディアの集積のなかで、同じようにメディアの一種として大学という場を考えることである。大学は、知識の生産・再生産過程の重要な部分を担ってきたが、あくまでその部分にすぎないのであり、同時代の知のコミュニケーション秩序の重層的な編成のなかに占める位置により定義し直されるべきである。大学は教育研究の「制度」以前に、「教える」ないし「学ぶ」というコミュニケーション行為の場である。そして、そうした実践が具体的な場所(教室、キャンパス)や技術的媒体(書物や黒板、パソコン)と結びついて営まれているという意味で、それはまずメディアなのだとも考えられる(吉見『大学とは何か』(岩波新書、2011)p.17)
- 作者: 吉見俊哉
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逆に、メディアが形態それ自体や、環境を重視するのだとすれば、逆に情報の内容物そのものを指示する言葉として、最近デジタル化にともなって好んで用いられるのが、情報資源とか文化情報資源という言葉になるのだろう。それはさらに別の言い方にすればメディアに対応するコンテンツということになるのかもしれない。
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知識のコミュニケーション編成のなかで、そうした知識情報の交換、コミュニケーションが行なわれる場として、図書館もまたメディアであるというとき、どういう議論を踏まえておいた方がいいのか。ちょっと考えてみたりした。
*1:色々調べているうちに、学校図書館メディア基準というのがあることを知った。
*2:書名から連想しにくいが、史学概論であると同時にメディア史入門の本である