研究視点を考える際の参考文献

専攻過程に進む直前の2年生向けの演習授業で、各人の問題意識について発表しているのですが、本記事では、その際に発表を聞きながら思いついて提案した文献についてまとめます(授業後に思いついたものも追記しています)。

それだとブログタイトルのつけようがないので便宜的に「研究視点を考える際の参考文献」としました。あしからずご了承ください。

 

受講者は日本研究に限らず、文学、映像、コンテンツなど関心が多岐にわたっているようなので、いい意味で学際的なラインナップになればと思います。論文も挙げたいのですがとりあえず単行本に限ります。

 

 

雑誌メディア等を通じた「少女」の表象について

 

文学作品に表れた「女学生」

 

 

「戦争」という記憶の継承に関して

 

 

 

 

新聞小説

 

新聞読者について

 

 

読者論

 

 

 

明治時代の「作家」の地位

 

作家の原稿料

 

 

以下、随時追加します。

日本研究のための文献リスト

本リストは、私、長尾が2023年度に「日本研究概論」という授業で学生に紹介した文献リストの一部を公開するものです。聴講者は1、2年生向けの入門講義でした。

講義としては、日本研究の来歴を振り返り、近代日本の文化を今日的な視点から研究する際の論点をトピックごとに論じるというものでした。学際的で多岐にわたる領域の話なので、何かしら気になったところから読書が広がっていけばいいなと思い、まだまだ不十分ですが、提示します。

※各論については省略します。

 

 

日本学/日本研究の方法

西川長夫『国境の越え方』増補版(2001、平凡社ライブラリー

 

 


齋藤希史編『日本を意識する』(2005、講談社選書メチエ

 

 


那覇潤『日本人はなぜ存在するか』(2013、集英社インターナショナル

 

 


猪木武徳ほか編『新・日本学誕生 国際日本文化研究センターの25年』(2012、角川学芸出版

 

 


加藤典洋『増補 日本人の自画像』(2017、岩波現代文庫版)

 

 


伴野文亮, 茂木謙之介編『日本学の教科書』(2022、文学通信)

 

シュミット堀佐知ほか編『なんで日本研究するの?』(2023、文学通信)

 

※同書評

www.yomiuri.co.jp

 

 

日本文化論・日本人論

青木保『「日本文化論」の変容』(1990、中央公論社

 

 


南博『日本人論』(1994、岩波書店

 

 


小熊英二単一民族神話の起源』(1995、新曜社

 

 


大久保喬樹『日本文化論の系譜 : 『武士道』から『「甘え」の構造』まで』(2003、中公新書

 

 


遠山淳,中村生雄,佐藤弘夫編『日本文化論キーワード』(2009、有斐閣

 

 


内田樹『日本辺境論』(2009、新潮新書

 

 


船曳健夫『<日本人論>再考』(2010、講談社学術文庫

 

 


小谷野敦『日本文化論のインチキ』(2010、幻冬舎新書

 

 


那覇潤『中国化する日本』(2011、文芸春秋

 

 


外から見た日本

佐伯彰一芳賀徹編『外国人による日本論の名著』(1987、中公新書

 

 


渡辺京二『逝きし世の面影』(2005、平凡社ライブラリー

 

 


内田宗治『外国人が見た日本』(2018、中公新書

 

 

日本研究を支える人と資料

江上敏哲『本棚の中のニッポン』(2012、笠間書院

 

 


井田太郎・藤巻和宏編『近代学問の起源と編成』(2014、勉誠出版

 

 


小山騰『ケンブリッジ大学図書館と近代日本研究の歩み: 国学から日本学へ』(2017、勉誠出版

 

 


田中あずさ『サブジェクト・ライブラリアン』(2018、笠間書院

 

 

初学者向けメディア史関係文献リスト:雑誌から日本の近代史を見る

 

本リストは、私、長尾が2023年度に「雑誌から日本の近代史を見る」という授業資料に添付した参考文献リストを元とし、その一部内容を修正したものです。聴講者は1、2年生向けの入門講義でした。

 

見返すとなかなか不十分な点が多々あって気になりますが、近代日本の活字メディア史に興味があるけれどどこから手を付けたらよいだろうという人への案内になればと思い、公開してみます(放送や映画は全く触れられていません、あしからず)。

さらに知りたいという人はそれぞれの本の注記や参考文献一覧を参照してもらうのがよいです。

 

なお少々古い記事(10年以上前!!)となりますが、関連して以下のようなものも書いております。よろしければ、あわせてご覧ください。

negadaikon.hatenablog.com

negadaikon.hatenablog.com

講義内容に直接に関わるものとして

  • 長尾宗典「雑誌研究と図書館:歴史研究の立場から」『専門図書館』311号(2022年12月)
  • 長尾宗典「新聞・雑誌メディア:社会の中でどのような役割を果たしたか」岩城卓二・上島亨・河西秀哉・塩出浩之・谷川穣・告井幸夫編『論点・日本史学』(2022年、ミネルヴァ書房)所収
  • 長尾宗典「「誌友交際」の思想世界」中野目徹編『近代日本の思想をさぐる』(2018年、吉川弘文館)所収
  • 長尾宗典「史料としての雑誌」『メディア史研究』第39号(2016年2月)

 

日本のメディア史研究に関して

メディア史に関する通史にどのようなものがあるか?と問われるたび、入手がちょっと難しいけれど『メディア史を学ぶ人のために』だと思う、と答えてきたのですが、最近、有山先生による通史が刊行されたので、今後これが標準になると思います。

  •  有山輝雄『近代日本メディア史』Ⅰ・Ⅱ(2023年、吉川弘文館
  • 有山輝雄・竹山昭子『メディア史を学ぶ人のために』(2004年、世界思想社

さらに古典的な文献に関しては『メディア史研究』50~52号の特集「メディア史研究再訪」で取り上げられたものを確認してもらうのも良いと思います。

取り上げられた主な文献を抜粋すると以下のとおりです。

 

長谷川如是閑「資本主義社会に於ける新聞紙の商品化とその奪回」
小野秀雄『新聞言論』
『日本出版百年史年表』
田中純一郎『日本映画発達史』
内川芳美『日本広告発達史』
箕輪成男『歴史としての出版』
前田愛『近代読者の成立』
山本明『現代ジャーナリズム』
香内三郎『活字文化の誕生』
神島二郎『近代日本の精神構造』
宮武外骨編『公私月報』
杉村楚人冠『最近新聞紙学』『新聞の話』
柳田国男『明治大正史 世相編』

ほか

詳しくは以下を↓

メディア史研究再訪 | CiNii Research all 検索

 

本の雑誌の歴史

1990年代以降、明治以来の個別のタイトルの研究はどんどん進展し、また、編集者やジャーナリストの本格評伝も充実してきているのですが、それらを総合する雑誌通史の決定版というのは、まだないようです。

ちくま新書『思想史講義』各巻は、メディアとしての新聞・雑誌への言及があります。

  • 中野目徹「新聞と雑誌」山口輝臣・福家崇洋編『思想史講義』明治篇Ⅱ(2023年、ちくま新書)所収
  • 水谷悟「雑誌メディアと読者」山口輝臣・福家崇洋編『思想史講義』大正篇(2022年、ちくま新書
  • 中野目徹「近代思想史研究における雑誌メディア」『日本思想史学』49号(2017年)

雑誌の諸側面を豊富な図版とともに解説したものとして印刷博物館の図録があります。

  • 印刷博物館編『ミリオンセラー誕生へ!』(2008年、東京書籍)

また、以下もその後の研究に与えた影響からいって重要な本といえます。

そのほか、ジャンルごとに婦人雑誌、児童雑誌、趣味の雑誌等々、雑誌の持つ娯楽的側面や、出版社に関する史料発掘と研究が進んでいます。これは個別に探すと見つかると思います。

 

国立国会図書館がやった雑誌展の図録も参考になりそうです。

 

雑誌の特性に関しては、川井先生の議論が重要かと思います。

  • 川井良介編『出版メディア入門』第2版(2012年、日本評論社

 

 

授業は近代日本が対象だったので入れませんでしたが、射程を戦後まで広げるなら、たとえば以下に掲げる本も方法論を考える上で重要かと思います。

 

また、青山学院大学グループを中心に、現代史研究において雑誌活用が有効であるとの議論が展開されています。

cir.nii.ac.jp

Podcastの作り方

anchor.fm

 

ありがたいことに「みちくさのみちpodcast」友人はじめいろいろな方に聴いていただいているようです。

誠にありがとうございます。

 

私自身は、動画より低コストで、分野外の論文を読まない人への研究の紹介ができ、さらに学生向けには何かの授業で使えそうなネタを、学部生から院生までをターゲットに教材として作り置きしていく感覚で上げておりますが、まあそれにとらわれず無理せずやろうと思っております。

今後ともよろしくお願いいたします。

 

さて、簡単にできるのか?とのご質問をいただいたので、割と簡単にできたということで、やり方をご報告いたします。面白い話をしてくれそうな関係者の方が乗ってきてくだされば。

 

まず、Anchorというアプリを教えてもらって使っています。Spotifyが提供しているポッドキャスト作成ツールですね。

 

これは何で使い始めたかというと、私にポッドキャストを勧めてくださったが使っていたからです(笑)スマホ1台あればできるよと。

 

使い方についてはYoutubeの説明動画をあげていらっしゃる方を参考にしました。いろいろありますが、私が見たのは以下です

youtu.be

 

Anchorはエピソードと言われる1番組を編集していきます。

その際、音声のパーツを作ってアップロードして繋げていく操作をおこないます。

たぶん、ただしゃべるだけでも行けるのですが、それっぽくするために

・オープニング

・本編

・エンディング

それぞれの部分の音源を用意しました。

 

あと、Anchorでは配信開始時に3000ピクセル四方のカバーイラストがいるということで、素材を集めてillustratorで作図しました。

(私のは図書館の白黒のアイコンと、古紙風の写真素材をあわせて文字をのっけただけです)

 

 

古紙の素材は「写真AC」から

www.photo-ac.com

 

アイコンはシルエットACからだったかと

www.silhouette-ac.com

 

お金得てないですけど、商用OKがよさそうですね。

 

これはパワポや、あるいはペイントでも出来ると思います。

向こうが提案してくるデザイン案をとりあえず選択するのもアリかと存じます。

 

マイクはiPhone12のものを使用しています。

 

オープニング音源作成のため、タイトルコールはプリセットのボイスメモで撮って、音源フリー素材で良さそうなものと、音声編集のフリーソフトAudacity)で合成してオープニングの部分を作りました。

forest.watch.impress.co.jp

 

 

音源探しはオンライン授業のときに重宝しましたけどこちらのサイトでしたね。

dova-s.jp

 

タイトルコールは寝起きに取ったら引くほど暗かったので、二度ほど撮り直ししています。なかなかにこっぱずかしいので、もうここは腹を括ってやるしかないです。

また、音がデカすぎるというご意見も頂戴したので、何度か修正して一度上げた番組の音部分だけ差し替えたりしました(そういう作業がAnchorは割と簡単です)

 

タイトルコールのあとに番組説明を入れてますが、これは公開時に使用しているポッドキャスト概要と同じ文です。作文して読み上げてます。

友人から、なんか半笑いになってしまう、と言われましたが、致し方ありません(笑)

 

 

オープニングは長すぎてもアレなので30秒で収まるようにしました(ある人からは、それでも長いって言われました)。

 

本編部分はAnchorに入っている録音の機能で撮っています。

 

このへん私も良くわからないのですが、どうもこれが生活音などのノイズを勝手におさえてくれるのか、普通のボイスメモで撮ったものより音質が良いようです。

録音室た特別な機材はもありません。子供が昼寝してるときに自宅の別室で撮ってるだけなので。

 

録音した喋ってる部分の音声のトリミングは可能ですが、トリミングするつもりならボイスメモで撮ってしまったほうが楽かもしれません。

 

実際、一度、第4回ですが、これを研究室で撮ったら音質が違うとすぐに指摘されました。

 

おおよそ10分程度喋るということをざっくり決めて、話のプロットを書き出したものを前にして喋っています(そうしないと散漫になり過ぎるので)

※それは/で区切って、目次とか小見出しのように各回の概要欄に記述しています。その方が内容を理解しやすくなると思うので。

 

で、オープニングと本編とエンディングを並べて保存し、公開しています。
以上のものをAnchor上で繋ぎ合わせて公開で1回の作業が終了となります。

 

もともとSpotifyと連携しているのでそこからの配信は簡単ですが、Apple podcastとかAmazonとかで配信する場合は別途作業が必要となります。試行錯誤で適当にやっているのであまりうまく説明できませんが、とりあえずアップルとAmazonとグーグルでは流せるようになりました。

 


なおAnchorはWebブラウザでも閲覧でき、フォルダの音源をドロップできるのでパソコン上で作業するのが楽だと思います。登録にはメールアドレスかまたはSNSでの認証が必要になります。

 

あと、配信の告知はTwitterが便利なんだろうなあと思うんですが、Twitter辞めてしまって復活させる気があんまり起きないので、どんな話をしたのかnoteで更新するというところで落ち着きそうです。

 

まだメリット・デメリットは未知数なのですが、こんなのに良さそうだなと思っております。

  • 雑談
  • 本やサイトの紹介
  • 長い文章を書くのは大袈裟だけれど便利なTipsの紹介

結局、Twitterであれブログであれnoteであれ、あるいは動画もそうですが、目で追ってもらわないと伝わらない、人にその時間を割いてもらうというのは結構大変で、しかもアカデミックな内容の発信となると、そこまでコスパが良いとはいえない。

であれば、散歩中とか移動中とかに聞き流してもらえるところでやったほうがいいのではないか。そんな風に考えてみました。

 

日本思想史学会のニューズレターに先日大会参加記を書かせていただきまして。

日本思想史学会ニューズレター

 

「今回の大会発表を聴いた限りではそこまでとも思われなかったが,仮に,コロナ禍による交流機会の縮小が,日本思想史を学ぶ留学生や若手研究者の問題意識のタコツボ化を誘発しているとしたら,やや憂慮すべき事態ではある」


第1回の配信でこれに似たことを喋っているのですが、これを書いたとき(11月末くらい)、アカデミックな人たちを巻き込みつつ異分野で対話の機会を促進していくやり方、打開の方法は、もはやTwitterではないような気がして(対話するつもりがほぼ例外なく喧嘩になってしまう。努力でどうこうできる次元ではなくて、たぶん構造的に何か問題があるんじゃないかと)。

そこから年末年始で偶然ヒントを見つけて年明けから音声配信をやっているというのは、大袈裟というか何というか、主たる動機でもないのですが、どこかに引っかかっているような気がしております。
まあ、悪あがきなのかもしれないですが。

 

ただいずれにせよ音声配信ならば、とにかく批判しようが褒めようが初めから最後まで一回通して聴かないことには内容が入ってこない点で、変な批判とかを避けることができそう、というのが良い点ではないかと思います。

 

ちなみに作成過程で色んな方のポッドキャストを聞いてみるようになったのですが、是とか凄かったです、本当に面白かった。

youtu.be

 

追記

友人からコメントをいただきました。

 

上げてるよ!!テンションめちゃめちゃ上げてますってば。

仕事で電話取ったときみたいなテンションでしゃべってるでしょうよ。

あれより上げたら裏声か北斗の拳の次回予告みたいになるくらい上げたつもりなんだけどなあ。

 

 

Podcastを初めてみました

anchor.fm

 

タイトルのとおりなのですが、新年でPodcastなるものをはじめてみました。

昨年末、家族の紹介でお会いしたワインのインポーターの方がお仕事で愛用しているらしくて、「ポッドキャスト良いですよ、研究とかの発信にいかがですか?」と勧めてくださったのがきっかけです。
 
ながらでも視聴でき、しかし聴いてくれたクライアントの人とは結構密に付き合うことが出来る。「結局テキストだと変なところを切り取られて炎上するわけで、その心配がだいぶない」ということを仰っていて、「それは確かに…」と思うと同時に、その方の配信も聞いてみたところ大変寛いだ雰囲気で話しておられるので、心惹かれました。
 
しかし「図書館×歴史」のよもやま話がコンテンツになるか?????でまだ迷いはあるのですが、とりあえずやってみます。2023年の目標は「やってみる」です。
 
目が肥えた若い人に向けてYoutubeに下手な動画を上げるよりはよい気もします。
 
また、例えば本の紹介をする場合も、Twitterで見て反応をくれるくらいに活字好きな人って、むしろそもそもこちらが大して発信しなくてもリーチする可能性があり、だったらむしろ耳で聴いてる人に、最近ポッドキャストで聞いた本を届ける方が上手くいくのでは・・・・とも。
 
あんまり無理をせず、やっていこうと思います。
 
家族が寝静まっている間に起きてタイトルコール録音したら、あまりに暗さに自分で引いて撮り直したりしてますが、頑張ります。しゃべるのも仕事なので、上手になりたいです。
 
 
図書館関係の配信も探すとあんまりないのですが、「図書館員の立ち話」というのがあるようですね。専門図書館の方がやっているようです。これから増えていくのかも。
 
 
 
よろしくお願いいたします。

帝国図書館の利用者たち

『メディア史研究』52号(2022年8月)に「帝国図書館の利用者たち」というのを書いた。

 

cir.nii.ac.jp

元々、大正、昭和期の帝国図書館史のことをちゃんと調べられていないなという問題意識から準備したもので、メディア史研究会の例会で発表したネタが元になっている。研究会の席上で貴重なご意見をいただいた皆様に感謝します。

 

大正、昭和期の帝国図書館については、まとまった研究がそれほどなくて、『上野図書館八十年略史』も、明治期の充実に比べると記述はあっさりしている。利用者像についても、大正時代に図書館に通った文学者のエピソードとかは紹介されることもあるけれど、それに埋もれてしまうもっとマニアックな人たちはあまり表に出て来ない。

 

それなので、『帝国図書館年報』の統計と、それから新聞記事と、帝国図書館文書のいくつかを組み合わせて、とくに利用者の観点から、その動向を大づかみに論じてみた。

 

従来の論(先行研究)を批判して新たな説を述べるというものではないので、成果というとおこがましい感じもするのだが、

  • 帝国図書館への偽名入館が可能だったかどうか。

  • 利用者のピーク

  • 婦人閲覧室の利用傾向の推移

  • 入館待ち行列の過酷さ。待ち時間の長さ

  • 関東大震災以後の動向

  • 新聞の受け入れ

  • 利用者の懇談会のようなもの

について判明したことを書けたのがよかった。立身出世を夢見て、忍耐強く本を読もうという人が通う図書館だったのであるが、それが昭和期になると少し変わっていくさまも見て取れた。

調べていて、これは凄いな…と思ったのは二・二六事件の日も上野には普通に利用者がいて、戒厳令が敷かれて決起した者が投降しはじめる二十九日だけは利用者が少なくなっているが、二十八日まではそんなに影響を受けたとは思えない推移をしている、ということである。こういう史料に出会えると色々考える。

帝国図書館月報 昭和11年2月

断片的な話になってしまったが、さらに歴史の中に帝国図書館を位置づけるよう努力していきたい。

歴史資料(史料)とは何かについて

講義で「史料と史料批判」について説明する際、自分は次のような説明を行っている。

史料とは、歴史研究者が読み解く素材であり、文学研究者や思想、美術の研究者が「作品」に対するように、社会学や経済学の研究者が統計を分析するように、あるいは理系の実験系の研究者がデータに対するように、歴史研究になくてはならないものだ。

 

高校まで日本史の教科書や、受験科目で日本史を使おうとした人は「史料問題」というのがあったはずだ。あのような体験を受験生にさせるというのは、単なる暗記科目としての歴史ではない、歴史の作業の実態を少しでも体験してもらおう、という狙いがあってのことだと思われる。2022年からの新課程歴史総合でも史料の解釈が重視されるようになってきているのは、教える内容を考える側の願いということであろう。

 

タイムマシンのようなものがないので、歴史家は直接過去を経験することができない。亡くなった人の魂を現代によみがえらせて話を聞くこともできない。そうすると、史料を媒介として過去の事実に触れるしかない。史料がないと歴史の研究はできないということになる。

 

他の入門書などを読んでみると、少なからぬ歴史学者にとって、ここでいう史料とは、ちょうど料理を作るときの食材のようなものとしてイメージされているように思う。肉じゃがを作りたいのに豚肉がないというのはつらいものだが、素材である史料がないと歴史の研究ができないのも同じことである。研究では、史料がないことを想像で論じてはいけないというルールがある。

 

史料が食材であれば、先行研究は、さしずめクックパッドのようなレシピを集めたサイトに載っている調理例(一定の手順で食材を加工して作ってみたもの)ということになるか。また、「素材」から導かれる「解釈」は味付けのようなものか。

 

大日方純夫先生が、こんなことを語っている。

歴史の本や論文を読むよりも、史料を読むのが一番おもしろい。研究書や論文は、史料の要約や部分引用から構成されているから、書き手を仲立ちとして過去に案内されているといった感じが否めない。なにかかゆいところに手がとどかないようなもどかしさ。ここに書かれていることは本当だろうか。自分自身で確かめてみたい、もとの史料から当時の息づかいを感じてみたい。そんな思いに駆り立てられる。史料はじかに過去の人々の語りや思いを伝えてくる。他の人々の解釈や取捨選択が加わらないままの過去(もちろん、すぐ読めるのは、活字化されたり史料集に編集されたりしているものだから、過去の史料そのものではないが)、それを読みながらいろいろなことを考えてみる。これは一体何を物語っているのだろうか。この人はどんな状況の中で、何のために、何を考えて、こんなことを書いているのだろうか、などなど(大日方純夫「近代史料との付き合い」『卒業論文を書く』(1997年、山川出版社))

 
 論文を読んでいるより史料を読んでいる方が楽しいという感想には私もほとんど同意する。人情としては、自分に都合の良い事実を述べている史料だけを集めたくなるものだが、すぐに反論が出て来るようなレベルの論証は好ましくない。いろいろと手を尽くして調べた結果、わかったのがこういうことなのだという風に読者を説得しなければならない。

 

そしてしばしば、史料に書いてある大事なことは、仮説を裏切る形で見つかる。それを受けて自説を修正しつつ、先行研究でも見つかっていないことを発見して論証しくことが、歴史の論文を書くというプロセスになってくる。

 

史料とは何かについての定義は、以下も参考になる。

www.ndl.go.jp