レファレンス・サービスは自らの来歴を語りうるか

不遇のサービス?

 図書館におけるレファレンス・サービスの真価が理解されていないという話がある。

 図書館関係者の嘆きでよく聞く類の話題である。海外で資料調査してきた人だと、「すごいね向こうの図書館!レファレンスライブラリアンってのがいてさ、何でも資料のこと教えてくれるんだよ。ダメだねうちの図書館は。日本遅れてるよ!」というような会話が、レファレンスカウンターの前でなされる悲劇。もしかしたら、今日もどこかで繰り返されているかもしれない。

 エビデンスを出すのが難しいが、レファレンスというのが図書館のサービスであること、しかもそれは大学でも公共でも館種を問わずやっているということまで含めて認知されているとはおそらく言い難い状況にあろう。

 そもそもレファレンスとは何であるのか。『図書館情報学用語辞典』第4版(丸善、2013)は次の定義をしている。

何らかの情報あるいは資料を求めている図書館利用者に対して、図書館員が仲介的立場から、求められている情報あるいは資料を提供ないし提示することによって援助すること、およびそれにかかわる諸業務。図書館におけう情報サービスのうち、人的で個別的な援助形式をとるものをいい、図書館利用者に対する利用案内(指導)と情報あるいは資料の提供との二つに大別される。

 質問に対して情報源を提示することがポイントで、業務となると情報源を提示しやすくするために辞書類をコレクションとして整備したりだとか、質問傾向を分析してよくある質問はあらかじめパスファインダにして配るということも考えられる。

 こうしたレファレンスについて書かれた本は、しかし教科書も含めると膨大な数が存在する。その中でも名著というべきは、井上真琴氏の『図書館に訊け』だろう。

図書館に訊け! (ちくま新書)

図書館に訊け! (ちくま新書)

 図書館とはそもそもどんな種類があるのかというところから説き起こし、一般的な資料の探し方に加え、講座モノ、博論、学者自伝の利用などといった特定主題の学問分野に簡単に通暁するための裏ワザも言語化する。学生さんが読んだら役に立つと思うのだが、どちらかというと学生さんに図書館の使い方を教える大学の先生により読まれたらよい本だと思う。誰かが噛み砕いてあげないと、学生さんが、書いてある事柄の凄さを理解するまでには、ひょっとすると時間がかかるかもしれない。


 井上本が大学図書館向けにできているのは確かで、公共図書館系のレファレンスなら、『図書館のプロが教える調べるコツ』などが良いのかもしれない。小学校の自由研究ほか、簡単な事実調査や、生涯学習に使える事例が豊富に載っている。その意味で、こちらは、専門的な論文さがしというよりは、もう少し生活に密着した疑問の解決のために図書館がどう使えるかという観点の事例集といえるだろう。

 事例が豊富なものとなると、大串夏身『情報サービス論』を初めとするいくつかの教科書も有用と思われる。大串先生の本は、レファレンスの経験的な部分から探索手段をチャート化していく、帰納的な方法によるレファレンス論構築のねらいがあるように思われる。『ある図書館相談係の日記』(日外アソシエーツ、1994)は、元号が平成に代替わりしたころの都立図書館の充実した記録になっている*1

情報サービス論 (新図書館情報学シリーズ)

情報サービス論 (新図書館情報学シリーズ)

インターネット時代の変化

 ただ、古いレファレンスの教科書は、情報環境の変化が速すぎるために、肝心な部分がすぐ使えなくなってしまうことも多い。インターネットの普及で、レファレンスはどう変わったか。田村俊作編『情報サービス論』では、次のようにある。

たしかに、簡単な情報探索は以前とは比べ物にならないくらいに容易になった。しかし、実際には、情報源は多様化し、検索の仕組みも複雑になり、しかも新しい技術やサービスがつぎつぎと導入されるため、的確な情報アクセスを維持するためには、いっそう高度な技能が要求される。またインターネット情報源は予告なく変更されるなど不安定で、間違いも多く信頼性も不十分なため、的確に評価する批判的な目が必要である(17ページ)

新訂情報サービス論 (新現代図書館学講座)

新訂情報サービス論 (新現代図書館学講座)

 本書は、2010年の刊行だから、その後のtwitterなどの爆発的な普及とか、デジタルアーカイブの浸透以前の話であって、インターネット情報源に対する評価は、今日では多少変わっているかもしれないが、今なお傾聴に値する見解である。簡単にわかる範囲が増えたのだから、ある事実などについて、限界まで調べることが増えてくるわけで、そのような質問が増えれば、当然、従来以上にレファレンスに時間がかかるようになった。レファレンスの件数が減少傾向にある、というのは田村先生の別の論考でも言及されている*2


どうしたら批判に応え得るか

 他方、サービスへの批判や疑問もある。冒頭で述べたように、一般的な認知度がずば抜けてあるわけでないのに、いつまでも貸出の次に来るべき主力サービスの有力候補がレファレンス・サービスだと言っていてよいものかという、ある意味当然の疑問である。

 例えば次のようなもの。

レファレンス・サービスは、米国図書館(図書館情報学)界の影響を強く受けている日本では、図書館が行なうべき当然の、そして専門職のスキルとコレクションをフル活用して行なう高度なサービスと考えられている。しかし、例えば英国ではレファレンス・サービスという言葉自体をあまり聞くことはない。それはレファレンス・サービスにあたるサービスを行なっていないということではなく、サービスの提示の仕方が違っているからである。そもそもレファレンス・サービスは、情報サービス、利用者教育、図書館利用ガイダンスなど、手法も目的も大きく異なるサービスについて、司書による利用者援助の側面に焦点を絞って共通化した総称であり、細かく見れば、簡易レファレンス、書誌事項確認、相互貸借・文献提供手続き、情報提供サービス、レフェラル・サービス、調査支援、SDI、データベース検索、情報事業者斡旋、図書館オリエンテーション、文献探索指導、情報マネジメント教育、読書相談、読書療法、調査コンサルティングなどの極めて多様なサービスから構成されている。これら全体をレファレンス・ワークとして、レファレンス・ライブラリアンが業務上統括することには意味があるが、司書とのコミュニケーションを必要とするサービスに慣れていない、そして利用目的も社会的背景も異なる日本の図書館利用者にいきなりレファレンス・サービスとして提示しても、受け入れられるはずがなかった。(柳与志夫『千代田図書館とは何か』(ポット出版、2010)129頁)

千代田図書館とは何か─新しい公共空間の形成

千代田図書館とは何か─新しい公共空間の形成

 厳しい意見だが、こういう考え方もあろう。

 British LibraryにもReference Teamが各部屋にあるとウェブサイト上に出てくるがHelp for researchersとかいう表現も使っているみたいだし、アメリカほど使わないという意味に解するならば、そうだろう。ちなみに、アメリカのCIE図書館は、ヨーロッパ戦線の終結を見越して、レファレンスライブラリーをあちこちに設置していったという話もあり、とくに第二次世界大戦ナチスから解放される地域に野戦図書館を設けたりしていたという。そうするとレファレンス・サービスもある種の政治性を必然的に帯びることになる*3

「問答版」の話

ところでちょっと気になったのが、レファレンス・サービスは戦後アメリカから入ってきたが定着しなかったという話である。例えばこういうのがある。深見洗鱗「帝国図書館に就きて」『風俗画報』第218号(1900年10月)に載っている「問答板」だ*4

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『風俗画報』の記事にはこうある。

学芸参考若くは著述上或る一事を調査せんと欲するに其何れの書に就かば之を亮知するを得べきや其捜索人中互いに質問するの方法を設く故に質問せんとする者は出納所に申出で質問用紙を受取て其の疑問を記し此処へ挿むべし又閲覧者中質問の事に就き書名等承知の者は質問用紙の部に其答を記載ありたし(深見洗鱗「帝国図書館に就きて」『風俗画報』第218号(1900年10月)p.15)

 稲村徹元氏によると、これが日本におけるレファレンスのはしりといってもよいらしいのだが*5、職員が回答せず、利用者同士の情報共有のような形で質問回答がまわっていることがなかなか面白い。

 帝国図書館だってアメリカをモデルにしていたではないかと言われればそうなのだが、何にせよ参考業務に需要があり、それに対して、何とか帝国図書館が、少ない人員で(専任スタッフがまだ館長以下10人前後の時代だと思われる)やりくりしようと涙ぐましい努力をしてこういう形になったことは面白いではないか。

 レファレンスについてはマンガ『夜明けの図書館』の第一話が(一話に関してはこちらで立ち読みができる)、レファレンスに大いなる夢と熱意をもって取り組もうとする新米司書が、サービスとして過剰ではないかと言って懐疑的な態度を取る職員と言い合いになるという、かなり重要な問題を提起していて、考えさせられる。

夜明けの図書館 (ジュールコミックス)

夜明けの図書館 (ジュールコミックス)

 田村論文以後、いくつかの公共図書館でのレファレンスの傾向を調査した論文では、全体としてレファレンスの件数全体は増えておらず、この数年でレファレンス件数が増加した図書館では、難易度の低いレファレンス(所蔵調査等)が増えているという結果が出ている。ネットの普及した結果、難しいレファレンスが相対的に増加したという通説は、やや疑わしいのだそうだ*6

 こうなると、コスト削減から、レファレンス要らない論が出てきかねない。同論文で次のように述べられているのは相当重い提言だと私は思う。

万が一レファレンスサービスを「失うことになった場合」図書館と図書館員は、レファレンスサービス抜きで社会から評価されることになる。130年前、サミュエル・グリーンが図書館の評価を高めることを企図して提唱したレファレンスサービスの意義はおそらく今なお減失していないと考えられるが、レファレンスサービスの位置づけが変化を迫られている以上、その再定義は不可避である(渡邉論文、163ページ。)

 そう。図書館はレファレンス・サービス抜きで戦えるのか?そのことまで含めて考えないと、日米カルチャーの印象批評をしてもほとんど意味がない。

 私もまた、レファレンス・サービスは重要と考える者の一人である。

 ある時期まで、占領軍政策の一環としてレファレンス・サービスがもたらされたと強調することに意味はあったのだと思うのだが、実際にはむしろそうした情報サービスへのニーズは、先の帝国図書館「問答版」に見られるように明治時代からあったし、戦後の水準からみて十分でないからといって、きちんと図書館史のなかに位置づけなくていいという話にはならないと思うのである。

 占領軍がもたらした先進的なレファレンス・サービスの理想を強調する物語はむしろ、アメリカ人には合うけれど日本人には適合しないのだという主張に追い風となってしまうかもしれない。

 今なお定義があいまいな「レファレンス・サービス」をそれとして考えるのではなく、未だレファレンスと呼ばれていなかった頃のサービス受容の在り方から、一つの筋の通った話として、いわば「来歴」をきちんと物語ることが出来るのかどうかを、これから少し考えてみたいと思っている*7

(続けられたら、志智嘉九郎『りべる』などを参考にもう少し掘り下げてみたい)

*1:ある先輩に聞いてみたところ、レファレンスの話は大概規範的な話+参考図書紹介のテンプレができていて、実務経験を相当程度こなした上で、理論的な話と経験的な話を接合したレファレンス論は、少なくともインターネットが普及して以降、日本語ではまだないので、こういう本が貴重なんだそうだ。その先輩に教科書書いてくださいよ、と言ったらうまくはぐらかされてしまったのだが。

*2:田村俊作「総論:レファレンス再考」『情報の科学と技術』第58巻第7号(2008年)325ページ。テキストへのリンクはこちら。なお、同じ号に掲載されている安藤誕、井上真琴「インターネット時代の"レファレンスライブラリアン"とは誰か?」も非常にためになる事例が豊富に掲載されている。リンクはこちらから

*3渡辺靖オバマ時代のパブリック・ディプロマシー」『ソフト・パワーのメディア文化政策』(新曜社、2012)124ページ。なお、注記によると、このあたりの記述は今まど子氏のCIE図書館研究も参照されている由。

*4著作権は切れているので、とりあえず古本で買って持っていた手元の号からアップしてみた。

*5稲村徹元「戦前期 における参考事務のあゆみと帝国図書館--資料紹介「読書相談ノ近況」(昭和十年六月帝国図書館)〔翻刻〕」『参考書誌研究』3号(1971年9月)

*6:渡邉斉志「公立図書館におけるレファレンスサービスの意義の再検討」『Library and Information Science』66号(2011年)。テキストへのリンクはこちら

*7:ここでいう「来歴」というのは、故坂本多加雄氏が使っておられたものを念頭に置いてのことだが、そのことも含め、次回以降機会があれば考えてみたい