『歴史学および日本文学研究者に対する実態調査からみる人文科学系研究者の情報行動』を読んだ。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて、昨日、素晴らしい報告書を発見してしまい、小躍りして人に紹介しまくっていたのですが、ただ紹介するだけでなく、どの部分に感銘を受けたかについて、少し紹介させていただきたいと思います。

ここから、いつもの文体でご容赦を。

報告書の概要

 その報告書とはこちら

 松林麻実子・岡野裕行『歴史学および日本文学研究者に対する実態調査からみる人文科学系研究者の情報行動』(筑波大学知的コミュニティ基盤研究センター) ※PDF

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 本調査は、2007年に学術図書館研究委員会が行った、「学術情報の取得動向と電子ジャーナルの利用度に関する調査」(SCREAL調査)を踏まえ、同調査では人文学という括りで説明されてきた電子ジャーナルの利用動向について、さらに歴史学と日本近代文学研究の研究者を抽出して行ったアンケート調査に基づき、その情報取得の動向を探ったもの。

 そこには

全体的な傾向を見たとき、自然科学領域の研究者と比較して、電子メディアの利用が低調であることだけは明らかであるが、ではなぜ低調なのか、人文社会科学領域の研究者はこれ以降も電子メディアを利用しないままなのか、ということはこれまでに行われてきた利用実態調査の結果からは推測し難い(ⅰ頁)。

という問題意識がある。

 本調査では、歴史学の研究者を年齢別、職位別、専門領域(日本史・西洋史東洋史・考古学)に分類し、研究活動において利用する資料を文献資料(史料)・図像資料・映像音声資料・民俗資料・考古資料・学術雑誌論文・学術書、に分類してそのうち重要なもの、利用形態(現物か、コピーか、入手手段は購入するか、他機関で閲覧するか、電子形態か…等々)にわけてアンケートを行っている。また、この回答で最も重要なものと8割前後が回答しているのが「文献資料」であり、さらにその入手手段として、現物か、その複写物を利用しているという実態が明らかにされている。

 その他、「研究活動に利用する資料の探索手段」が、大学や博物館が作成したデータベースが平均6割前後なのに比して、学術雑誌論文や学術書の脚注と回答した人が考古を除く文献史学分野で9割を超える等、経験に即して「そうだろうなあ…」と納得する結果が出ている。

 ほかにも色々興味深い実態調査が続くのだが、私が、ああついに図書館情報学の成果でこういう知見が出てきた、と深い感銘を受けたのは、結論に当たる考察の部分の、以下の記述だった。

歴史学研究者は情報入手に関しても成果公表に関しても、その行動には多様性が観察されている。研究活動において最も重要なのは「学術雑誌」や「学術書」というよりもむしろ「史料」である。したがって、学術雑誌論文や学術書の検索に使える書誌データベースがあれば、情報検索の際に使えて便利だろうと思うが、そこから(インターネット上で即座に)論文の現物が手に入らないと研究にならない、というほどスピードを重視しているわけではない。必要があれば図書館など他機関に出向いてコピーするという状況で特に問題を感じてはいない。成果公表メディアとして利用しているのも、「学術雑誌」が筆頭であることには変わりはないが、「専門書」も「大学紀要」も同じくらい利用している(14頁)。

 ここまででもかなり踏み込んで書いていると思うが、凄味があるのがそれに続く以下の文章である。

ここから導き出せるのは、海外の出版社が学術雑誌を電子化し、それを図書館が提供するという形態が主流の現状の電子化には、歴史学研究者の行動はなじまないということである。彼らは電子メディアを嫌っている、もしくは存在を認めていないからそれを使わないのではなく、自分たちが本当に必要としているものが電子化されていないから使わないのである(14頁、太字強調は引用者による)。

 そうなのである。なんかこう、図書館サービスの拡充やレファレンス・ツールの開発というとき、ずっと心に引っかかっていてうまく言語化できなかったもやもやしたものがあって、何だろうと思うと、「こういうことを調べるにはこれ!という類の文献ガイドばっかり出てきても、その研究に用いられた史料の所在がわからないと、知見の再検証ができないしちっとも意味がないのに、電子化電子化言われてもなあ」と、感じてきたのである。

 だから、図書館が進める電子化の主流に、「歴史学研究者の行動はなじまない」とはっきりいってもらったうえで、「自分たちが本当に必要としているものが電子化されていないから使わないのである」という知見が、図書館情報学から出てきたことに、私はかなり深く感動した。

電子化の課題について

そのため、歴史学研究者の情報行動になじむ電子化の方向性として

1)「学術雑誌」の電子化よりもむしろ「史料」の電子化

2)「学術雑誌」に加えて「学術書」「大学紀要」の電子化

3)2)において電子化されたもののポータル化

が提言として最後に書かれていることにも「そうだそうだ!」と思わず膝を打った。

 他分野をあまり知らないが、歴史学では講座単位や教官の退官記念などで結構な数の論文集が編まれている(上に、そこに結構重要な論文が載っている)ので、その目次が検索できるようになるだけでも、かなり違うだろうと思う。

 また、近代文学研究の方でも、考察の結論として

1)一次資料(作家の直筆原稿・個人蔵書・遺品)のデジタル化

2)二次資料(ここでいう二次は歴史学の用語ではなく図書館情報学の用語でレファレンス・ツール、文献データベースを指している)のデジタル化

3)研究環境の都市集中化への対応

4)デジタル資料・ウェブツールの利用促進(研究への利活用)

が課題として挙げられているのも、首肯できるものであった。

電子化と「史料批判」について

 思い出したのでついでに書いておくと、近代デジタルライブラリーなど、近現代史研究者からは、「史料」としてそこそこに(いや、かなりか)使い出のある電子化の成果物についても、量の多さゆえか、どのように史料批判した上で使うか、という方法論は、あまり確立されていないように思える*1

 何を論証するかにもよるが、たとえばある思想家の論文をまとめた単行本を使う場合、初版本がなくて、二版・三版本のデータが存在していた場合に、どちらを引用するか、そもそもどこまで注記に書くかの問題がある(収録記事はもとより、内容が変わっていることも往々にしてある)。政治思想史で使う法学関係の本とか、版ごとに内容が改定されていることもあるはずである。

 あと新聞である。新聞のデータベースは、朝日、読売、毎日の各社が同社の記念事業として作成したものを図書館が契約して提供している例がほとんどだと思われるが、検索で用いられる検索キーの粒度が、各社まちまちであることは案外知られていない。

 記事名で検索するといっても、タイトルや見出しがあるものはよいが、定期的な連載コーナーだったらどうするのか。使ってみると、朝日は記事に登場する主要な人名などは、拾っていることもあるようだが、たぶん人力で作っていると思われるので、漏れはあるだろう。

 また、読売の場合は、新聞社OBOGの記者が、全記事を読みこんで要約のテキストを作ってデータに紐づけている、と読んだことがある*2

 それゆえ、一見関連性の見えない見出しの記事であっても、結構幅広く検索に引っかかってくるのだと思われるが、それにしても、全文のテキスト化ではなく、元新聞記者が、現代の言語感覚で、現代語で明治以降の新聞記事の要約を作っているのだと思えば、ある用語の初出時期を、読売のデータベース上の検索結果だけで判断するのは、明らかに危険というのがわかる*3

 毎回、数冊の本を紹介しているのに今回まったく紹介できなかったので一冊だけあげておくと、上記報告書の著者も参加している本書のような、博物館・図書館・アーカイブズといったMLA連携の議論のなかでも、結構論点は出てきている。そんなわけで「史料」を電子化しても、まだまだ歴史学研究者が「使える」形にするためにはいくつかハードルがあるわけだが、この報告書の成果を踏まえつつ、歴史学の方からも建設的な議論が起こってくると良いな、とちょっと期待してしまうのである。私も頑張りたい。

*1:念のためいうと、その努力が現在進行形で行われていることを無視するわけではない。たとえば『日本歴史』第740号(吉川弘文館、2010年1月)が「日本史研究とデータベース」を特集したときも、どちらかというと事例紹介やメリットの紹介があった

*2:中村義成「明治・大正・昭和の読売新聞(CD-ROM)」国際文化会館図書室編『日本研究に役立つ電子情報源とその利用:商用データベースを中心として : 平成15年度日本研究情報専門家研修ワークショップ記録』(国際交流基金、2004).所収

*3:ためしに「大衆」で検索すると、明治初年代の血税反対一揆とかが普通に出てくるが、私はちょっと引っかかる。あれを大衆運動と表現して良いかどうかは、おそらく歴史研究者の間でも見解が分かれるだろう。