京都府立総合資料館開館50周年記念シンポジウム「総合資料館の50年と未来」 参加記(後篇)

前回の続きです)

記録を読み返していて思うのですが、やはりすごいイベントでした。

また、下記でも前篇につき言及いただいたようです。ありがとうございます。

シンポジウム「総合資料館の50年と未来」に行ってきました・記録 -- egamiday 3

シンポジウム「総合資料館の50年と未来」 結果報告

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以下、後篇をお届けします。

前回同様、以下は私が、聞きとれて理解できてメモできて、かつ思い出せた範囲のメモですので、この点あらかじめご了承ください。ちなみに、本文中にところどころ挿入させていただいた書籍は、とくに断りがない限り、私が関連しそうと思った本であって、報告中で言及されていたものではありません。念のため申し添えます。

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午後の部(報告)

吉村和真氏(京都精華大学マンガ学部長)「文化資源保存の重要性ーマンガ研究の立場からー」

マンガ研究と文化資源の関係についてのお話。

京都国際マンガミュージアムは、廃校になった旧龍池小学校の後を使用している。マンガ学部を有する京都精華大と、土地・建物を提供した京都市の共同事業として整備がすすめられ、さらに地域の協力も得てスタートした。最初の計画ではたんなる収蔵庫的なイメージだったが、地元の方々の寄付で芝生が出来たところ、来館者が芝の上に寝転んで漫画を読むようになった。今ではどこのミュージアムにいっても見ることができない風景となっており、当初予想していなかった目玉になっている。

世界に向けた発信への期待が大きいのも京都の特徴といえるかもしれない。そのことは、京都「国際」マンガミュージアムという名称に関わる。

現在、中高生(修学旅行生)と海外のお客さんに向けて、マンガとは何かを発信していくことをねらってメインギャラリーで展示をしている*1。マンガって何だ、というのは、実は展示をやっていても、日本人はあまり関心が向かない。みんながわかっている…より正確にはわかった気になってしまっているから。

組織上の特色として、独自の研究機能として「国際マンガ研究センター」を設置していることがあげられる。実は全国に60か所くらい、地域とマンガやアニメの研究機関があるのだが、ほとんどの場所では、公務員が学芸員を兼ねているため、一定期間を経ると人が異動してしまって、なかなか蓄積が積みあがらない。マンガミュージアムでは、そこに大学(京都精華大)が関わることで、専門性を維持することができている。

「ここはミュージアムではない」との声がある。私たちのほうでも、何が足りないのか、いろいろ試行錯誤を重ねてきたが、よくよくお客さんの話を聞いていると、固定概念としてのミュージアムを覆されたという意味もあるらしい。海外のお客さんと向き合う場を作ったのは、京都でやる上では、大きな長所になった。

自分には「文化」とは何かの問いがずっとある。私はもともと日本史の専攻を希望していたのだが、ある先輩に誘われて文化史の道に進んだ。そうしたら大学の先生から、人間の営みはすべてが文化だと言われて、これは素晴らしいと思って、好きだった手塚治虫を発表したら、先生から「趣味と研究は違うんだ」と言われてしまった(笑)。実は、そのとき感じたちょっと釈然としない思いが今の活動に生きている。

マンガとは捨てるものである。文化「資源」がいい言葉だなあ、と思うのは、文化財のようにありがたい感じのしないこと。マンガミュージアムでは、価値がないと思われているもの、捨てられるものを集めるのが仕事である。

一番集まらないのは、B級マンガ。A級は持っている大学がある。C級はマニアが持っている。俗に言う“オヤジ三誌”の資料が集まらない。これらは大衆食堂などで読み捨てられていってしまうもの。個人が収蔵することに限りがあるから公がやらなければならないが、一方で、そもそもマンガを研究してなんになるのかという問いがある。

大学で教えていると、マンガ研究をして何とかなるのかと親が心配して聞いてくる。その感覚は、私は健全だと思う。ただそのなかで考えたいのは、次のようなこと。つまり、マンガは簡単で当たり前にある(ように見える)が、文化の土壌が違ってしまえば、理解ができない。まず、そのことに驚く感性が大事なのだ。そうやって外からの視点でマンガを評価していくことには意味がある*2

マンガと、そのほかの文化資源の違いは何だろうか。ブックオフで買った『あぶさん』を持ってきたが、これを見てもらうとわかるように、いったん値段が消してあって100円に訂正してある。こういうことが商売として成立するくらい、マンガは周りにあふれていて、しかも捨てることが前提になっている。しかし、あぶさんが引退するとき、いい大人が球場で引退式をやった*3島耕作が社長になったとき新聞に載った。海原雄山山岡士郎が和解したときにネットのニュースになった。これはマンガが持つ社会的な影響力を示しているのではないのか。

美味しんぼ 102 究極と至高の行方 (ビッグコミックス)

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本当にマンガは簡単なのか。マンガ研究から発信していくというのは、マンガに詳しくなることが目的なのではない。マンガを受け入れている社会、人間の世界を研究していくこと。それは人文科学の一つを担っている。


松田万智子氏、岡本隆明氏(京都府総合資料館職員)「総合資料館の実力」

文献課・松田氏のお話。文献課は図書館の機能を担っている。非市販資料やパンフレットなどを集めている。貸出はしていない。重視しているのはレファレンス。文献課のレファレンスの一端を紹介して資料館の実力について以下で紹介する。*4

京都大事典

京都大事典

京都のことを調べるなら、まずは『京都大事典』。ちょっと古いのが難点だが、レファレンスブックとして活用している。また、展覧会図録を集めたりもしている。夏になると増えるレファレンスがある。例えば家系調査。帰省やお墓参りなどが増えるからだろうか。京都ならではの事例だと思うが、『神道大系』を使って海外在住の方からの質問に回答したこともある。テレビ・放送にも協力している。『京都市工場要覧』などのような資料ももっている。所蔵資料から京都の記憶を探すことに力を入れていく。

歴史資料課・岡本氏のお話。東寺百合文書について。昔の取り上げられ方を紹介すると、出典に網野善彦『中世東寺と東寺領荘園』では「う―一~一二」と出ている。これは、1~12の函の中にあるというだけで、実は特定できていない。最近の論文ではこうはなっていない。なぜなら、昭和42年に京都府が東寺百合文書を購入し、資料館で目録作成、修復、公開を開始したから。

中世東寺と東寺領荘園

中世東寺と東寺領荘園

文書を利用できるようにするためには、整理や補修が必要。文書を購入して所蔵しているだけでは公開はできない。

東寺百合文書〈10〉

東寺百合文書〈10〉

コンピュータがこれだけ普及してきて、Webの時代に百合文書はどういう存在感を示すか。数日前検索したら、京都府立総合資料館がトップに出てこない。展示をやっていたのに、その情報がうまく探せない。これは問題である。

情報爆発というお話が吉見先生からあった。以前に比べればWebに情報が載るのだけれど、総合資料館がきちんと発信すべきものが埋もれて行っている。研究者は展示で百合文書でいい仕事をした、といってくれるかもしれないが、一般の人、初めて百合という単語を聞いた人はネットを見るだろう。そのときに発信すべき情報が埋もれていたらいったいどうするのか?

デジタル化からWeb公開へ。利用者の期待と食い違いがないか検証しつつ進めていきたい。総合資料館の隠れている実力をこれから出して発信していくことが課題である。


井口和起氏(京都府特別参与/京都府立総合資料館顧問)「総合資料館の50年と新館構想」

総合資料館の50年と現況についてお話しする。総合資料館は、府独自の条例に基づいて設置され。1963年11月に開館した。以後、公共図書館機能、博物館機能を果たしてきた。行政文書が移管されて、さらに公文書館機能ももつようになり、研究的なことも行っている*5

日露戦争の時代 (歴史文化ライブラリー)

日露戦争の時代 (歴史文化ライブラリー)

この50年間を大きく三期に分けると、第一期は1988年に文化博物館と機能分化するまで。第二期は2001年まで。岡崎の図書館の増改築にともない、図書館機能を府立図書館に移すまで。第三期は、以後現在に至るまでに出来ると考えている。

総合資料館のイメージは何かというと、まず何よりも学習室の印象が強いようである。それから「図書館」のイメージが強い。展示も人気である。レファレンス機能も発揮している。しかし、だからといって京都の情報すべてを持っているかといえばそうではない。もっともっと民間にたくさんの資料が広がっていることをまずはっきり認識すべきである。

また、京都の伝統文化=日本の伝統文化というのは危険。そのことは国際京都学の構想ともつながる。また、伝統、伝統ということで逆に現代京都の資料の収集は薄くなっていないか。残念ながら今まではこのような視点が弱かったんじゃないかとも思う。

近代日本の歴史都市: 古都と城下町

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京都府立総合資料館の役割としては京都に関する記録を、現代のものも含めて残すことが第一。デジタル化も必須だろう。地域資料については、大学などとも協力しながら、デジタル化できなくても、最低限、所在情報の収集と共有化はしたい。これは喫緊の課題である。大規模災害が発生したとき、何がなくなったのかわからないことが一番問題である。また、来館者を待つ資料館から、出かけ働きかける資料館へ変わっていかなければならない。旅行会社に行って修学旅行生に見に来てもらうくらいでもいい。

資料館と京都府立大学共同で国際京都学センターを設置予定だが*6、京都学について定義する必要はないと思っている。多様な京都学がすでに出ている。伝統的な京都の文化力を研究することも大事だが、地域学はたくさんある。要するに地域の抱える問題、住民の要求に基づいてその解決を目指すのが地域学の根幹の課題であるという視点に立って京都学を考えていっていいはずだ。

京都観光学のススメ

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また、高度で学際的な研究をする拠点になるためには、一定の研究機能が必要である。また人脈、研究を推進できる人を引っ張ってこられるコーディネートできる人材も必要。国内にも国際的にもcomparativeの視点が必要だ。日本文化はこれだ!とそんなに簡単にはいえない。京都の文化は多種多様な豊かな文化の一つだ。

なんとか確保したいのは海外から研究者を、年に2、3人でもよいから招いて研究してもらえる仕組みを作って、京都の情報を海外に発信してもらえるようにしたらいい。50年経てば、100人、200人になる。そういった施設を作っていくために、私たちも変わっていかなければならない。フットワークを軽くし、働きかける資料館になっていけばいい。


長尾真氏(前国立国会図書館長/京都府特別参与)「新資料館と国際京都学センターへの期待」

総合資料館では古い資料から大切に持っている。現在のディジタル化の技術を使えば、紙の裏に書いてあることもわかるようになってきている。資料の電子化はこれからどうしてもやっていかなければならない。

いろんな資料をディジタル化していくことのメリットとして、相互参照できるようになることもあげられる。能楽のテキストと舞台映像、違うメディアの表現を組み合わせて総合的に鑑賞、勉強していくこともできるようになる。

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残念なことはどこで、何がどれだけディジタル化されているかが現在一カ所で総合的に把握できないこと。これを統合的に把握して利用可能なものにするかがこれからの大きな課題である。

京都学を発展させるための課題として、文化財の所在情報が先ほどからでてきているが、それが前提になる。また各種資料のディジタル化の推進。さらに文化財の統合的アーカイブシステムの構築。世界各国の児童から大人までに、ディジタル文化財を分かりやすく見せる展示技術の開発も必要であり、これらの仕事を高いレベルで行うことのできる人材の養成も大切になってくる。

京都では湿度の高い蔵のなかに貴重な資料が放っておかれている例がまだある。そういったものを後世にどうやったらきちんと伝えていけるか、もっともっと真剣に考えなければいけないときに来ている。

新しい資料館への期待は高い。書誌学的・文献学的情報をも組み込んだディジタル資料目録を充実させ、検索利用システムを開発していくこと。また多種多様な資料をディジタル化していくこと。2020年のオリンピックは文化の祭典にもなるはずで、それを目指して日本文化を発信していく絶好のチャンスとしていくべき。

情報を読む力、学問する心 (シリーズ「自伝」my life my world)

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それとあわせて国際的な京都学を確立していくことが重要。そのためには、研究グループを形成し、国際会議を開催していくことも必要になっていくだろう。それを担う専門的な人材の育成が必要であり、市民に親しまれ利用されるようにする種々の工夫も必要だろう。

なぜ京都か。やはり千年以上いろいろな変遷を経て今日まで来ている。文化の花開いた室町の時代もあるが、多くは戦乱の時代でもあった。それを生き抜いてきてきた人の蓄積の重みがあるのであり、それはこれからの時代に参考になる部分があると考える。そういった情報を世界に向けても発信していく拠点として、新しい総合資料館が機能していくことを期待したい。

ディスカッション

井口氏の司会で、会場からの質問も交えつつ、人材育成の方向性や、予算の問題、行政と教育委員会と連携にまで踏み込んだ相当濃い議論が展開されました。

途中から聞き入ってしまってメモが取れなかったのと、かなり内部の事情に詳しい方同士のやり取りもあって、完全に理解しきれなかったところもあるので、ディスカッションについては割愛します。あしからずご了承ください。

ただ、ディスカッションの総括に井口氏が

「文化資源という言葉のもつ意味の広さに、まだ気づいていないところがあるかもしれない」「発信、発信というが、そのことにどれだけ実は努力がいるのか改めて感じた」

とまとめられていたのがとても印象に残りました。

最後は西村悦雄副館長から、今いる職員の意識変革についても言及があり、長時間にわたるシンポジウムが終了しました。


番外篇

シンポジウムのまとめは以上なのですが、配られた資料が充実していました。

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年表のほか講座の活動記録や、新資料館の計画など、帰ってから目を通して、改めて準備に当たられた方々の偉大さに思いを馳せました。

凄い企画にお誘いいただいたことに感謝申し上げます。

*1:海外の来館者は1割くらいだという。

*2:このお話を聞いてなるほどと思うと同時に、漫画が読めない子供たちというのが少し前に話題になったのを思い出しました。

*3朝日新聞デジタル2009年10月の記事に「「楽しい野球人生」 あぶさん引退式、作者水島さん代弁」

*4:内容については詳しくは総合資料館ホームページレファ協も参照とのことだった。ちなみに今年の5月に京都に関連する雑誌論文記事検索のシステムを公開している。

*5:いただいた「参考資料」などをみると古文書講座や歴史資料カレッジなど、色々な活動をされていることが分かる。井口氏も自らご専門の日本近代史の立場から「日露戦争と京都」などのお話をされている由。

*6:参照:「京都府、総合資料館と府立大学図書館を一体化へ