「デジタル人文学」という領域
このたび、勉誠出版から刊行されている『デジタル人文学のすすめ』という本をいただいた。
帯にはこうある。「人文学の未来を考える デジタル技術と人文学との出会いは、いったい何をもたらしたのか――われわれはいま何を考え、どのように行動すべきなのか――」
とっても壮大で、いい。
本書では、デジタル技術と人文学を融合させた「デジタル人文学」(Digital Humanities)について「現在の立ち位置を確認し、さらなる発展のための思考の拠り所を提供すること」(16頁)を課題にしているという。
デジタル人文学自体が耳慣れない言葉かもしれないが、カレント・アウェアネスなどではすでに「デジタル人文学」のタグが存在しており、日々多くのニュースが伝えられている。図書館においても、いまもっともホットな分野の一つであるといえる。
私自身は、デジタル技術に精通しているわけでないし、人文学全般についても全体の最新動向をとうていフォローできていないのだが、「人文」という語には、多少なりとも思い入れがあって、自分自身の勉強になるのと、色々思うことがあったので、その整理を兼ねて、少しだけ感想を書いてみたい。
本書は全部で3部構成(目次はこちら)。第1部はデジタル環境の出現と普及ということで、図書館や様々な機関の取り組みが、第2部は、人文学諸分野との融合ということで、人文学研究の個々の作業にどうデジタル技術が入り込んでくるかを、実際の研究者が描いている。第3部では明日のデジタル人文学へということで、新しい動向を踏まえた教育や情報流通のあり方が考えられている。
巻頭の大場利康「図書館が資料をデジタル化するということ」では、国立国会図書館のデジタル化の動きを紹介しながら、書誌学者・森銑三の「営利を目的とせざる」出版業の必要の訴えとからめながら、図書館が史料をデジタル化することを「これまであまり知られていなかった資料」の発見として積極的に意味づけようとしている。
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同時に、中野三敏先生の「和本リテラシー」や江上敏哲氏の『本棚の中のニッポン』でしきりに主張された内容を踏まえながら「まだまだ足りないデジタル化」の内容を次のように総括する。
何かを知ることがインターネットに大きく依存している状況下では、ネット上に存在しないことは、存在しない、少なくとも存在を知られない、ということとほぼ同義に近い。困ったことに、江戸期や戦前期の資料は、その文体や崩し字や旧仮名、旧漢字が障壁となり、ただでさえ、誰もが読めるわけではない。その上、インターネットで検索してもたどり着けないのでは、日本社会が生み出してきた書物群という、文化的・知的な蓄積を広く活用してくれといっても無理な話だろう(30~31頁)
感想
これまでのデジタル人文学の動向について、私が横目で眺めていた印象だと、おそらく、第三部で赤間先生が「統計学や計量的手法を使った人文科学分野への切り込み」「情報科学分野から人文学の研究素材を対象としたアプローチ」、とくに適合が高い分野としての「地理情報システム」への適用、等々で描きだしているような試みが、ずっと主流であったように思う*1。
ただ、私には、赤間先生の図式で行くと、DHはある種、「人文学ならぬ人文学」として定着してしまって、旧来の荒木先生風にいえば「ジュラシック*2」なものと棲み分ける形であんまり交渉が無いような地点に議論が着地してしまうのではないか、という違和感も持っていた。
違和感というと言い過ぎかもしれないが、要するに、私が歴史学の論文を書くときに地図をあまり使わなかったり、データの集計はするけれどもあまり統計処理をかけなかったりするために、DHの方向が、今ひとつ私のなかの「人文学」イメージと違うことをやっている気がして、凄さが実感しにくかったのだと思う。
本書集録の各論文は、こういう疑問にきちんと答えてくれている。また大変重いが回避できない問題を正面から扱っている千本先生の論文など、むしろもっとも保守的な人文学研究者の層に「いいからまず話を聞け」と、突っ込んでくる読後感の論文が今回たくさん載っていたのが、刺激的だった。
とくに、私の理解では、「デジタル人文学」の今後についての統一見解というよりも、二つの異なった志向性が共存しているように思い、そこが全体に緊張感を与えている気がして面白かった。
端的に言うと、こういうことだ。
デジタル人文学はどこに行くのかという問いに対する回答として、一つは、画像処理や地理情報など、マルチメディア的に資料理解の幅を拡張していくことで、新たな人文学創造の「触媒」にする水平的な方向のことである。例えば小松先生が語る次のようなありかた。
デジタル環境の整備によってもたらされる新しい研究とは、なによりもまず視覚文化領域の研究の開拓もしくは活性化であり、それに伴って、これまで気がつかれなかった資料の発掘もまた進むことによってもたらされるのである。つまり、データベースはそのために触媒なのである*3。
日文研の妖怪のデータベースを監修されている先生のお話として、重い意味がある。
これに対し、もともと人文学が職人的にやってきた「校訂」テクスト読解を、図書館による資料デジタル化も含めて発掘的に掘り下げていく垂直的な方向も考えられると思う。とくに今回こちらの視点があるのが面白かった。
具体的には、本書でも海野先生が「「国文学」の「研究」は、その成立の当初よりデータと格闘する学問領域として構想されてきた…*4」といい、古典テキストの標準化やデジタル化をはっきりと課題として打ち出して行くような方向である。
私などは、こちらの方向性が保守的な人に訴えるんじゃないかなあ、と思ったが、技術をかじっている人からすると、面白くないのかもしれない…。ただ、海外では、テキストの校訂がデジタル人文学の本流という考え方もあるのだそうだ。
読了後の今、これから大事なのは、<もっとも革新的な技術を、あらゆる学問分野のなかで方法的には一番“保守的*5”な人文学につなげる>ことなんじゃないか、ということを思った。Googleという「黒船」が来た後、電子書籍元年を経て、「維新」=「復古」を唱えるみたいだが、実はそういう二重の視点が、改めて大事なのではないかなあと思い始めたのである。
「世直り」が肯定される風土では、「復古」が、現状変革の契機となりうるとされる。明治維新も、RevolutionでなければRestorationか、最近はRegeneration(復興)という語も提唱されているそうだが、デジタル人文学は、昔からある「人文学」の再生に貢献するや否や。
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あとは余談になるが、海野先生の論考を読んでいて気づいたのだが、書物蔵さんが折に触れて主張されているような近代を対象にする書誌学の形成の問題は、何をデジタル化するか、デジタル化したものをどう使うかという議論に、図書館が図書館として関わっていく際に、かなり重要になると思い始めた。
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故・谷沢永一御大の仕事も、この果てしない課題の前に控えな一歩を踏み出したもののように思えるが、そのことはいずれ改めて考えてみたい。