「図書館と歴史学の間」小考

最近目にとまった記事から

興味深い3つの記事の紹介から始めてみたい。

山田太造「日本史研究推進における情報技術・デジタル技術の役割」『人文情報学月報』第17号(2012年12月27日付発行)

情報学と日本史研究の「距離」について、こんな風に的確に要約されている。

情報学研究者にとっては、面白いシステムを用意したのになぜか日本史学研究者が利用しない、利用しないのがおかしい、と考えており、反対に、情報学研究者はまたもやわけのわからないシステムを持ってきた、これを使ってなんの研究ができるのか、と日本史学研究者は考えている。大げさな表現であろうが、これが現状であろう。つまり、日本史学研究に対するデジタル技術利用の方法論を確立するためには、デジタル技術だけを追跡するだけではなく、日本史研究における分析自体の“デジタル化”が重要だ。情報学の各分野でのトレンドとも言うべき技術をそのまま持ってきても解決しないであろうし、テスト分析のような日本史研究推進へ寄与できそうなデジタル技術を無視しても解決しない。

私の理解力のせいか、「日本史研究における分析自体の“デジタル化”」が意図するところについて、後半まで読んでも残念ながらよくわからなかったのだが、指摘されている現状については、概ね、そういうことだろうと思う。

また、もう少し枠組みを広げて、歴史学者側からデジタル資源を保有する図書館への提言として、こういうのがあるらしい。

デジタル時代の歴史研究者の研究活動を支援するために」『カレントアウェアネス-E』No.229(2012.12.28)

以下引用。

  • 歴史研究者はデジタル媒体での二次資料の利用に慣れていることから,図書館の新たな戦略としては,物理的な資料をすぐにアクセスできるようにすることよりも,長期保存の観点から共同管理を行う方向を検討した方がよい。
  • 身近に利用できない資料に対するアクセス提供が歴史研究者にとっては極めて重要なサービスとなるため,図書館は相互貸借協定や資料の共同管理計画をこれまで以上に進めていくべきである。
  • 歴史研究者は図書館の有する専門性が全ての細かい分野や分野横断的な領域をカバーしているわけではないと考えている。そのため,伝統的に資料を共同で管理してきた図書館は,他機関からでも専門資料に対する深い知識を持つスタッフに対してレファレンスを依頼できるようなサービスを考えてはどうか。
  • デジタル媒体での論文や専門書に加え,音声や動画,オーラルヒストリー,ウェブサイト,テレビゲーム等の非文字資料も研究上重要な位置を占めるようになっている。
  • 歴史研究者はデジタル化された図書の全文検索や一次史料の発見支援,非文字資料の研究利用等,よりハイレベルな史料発見のためのサービスを求めている

なかなか、考えさせられる。

もう一つはイタリアの図書館の動向について。

アントネッラ・アンニョリ「イタリアの“パブリック・ライブラリー”の現状と課題」『カレントアウェアネス』No.314(2012年12月20日

『知の広場』の著者であるアンニョリさんのイタリアの図書館事情紹介である。

とくに目にとまった印象的な文章は次の二箇所。

この数十年、イタリアは読書のための“パブリック・ライブラリー”という伝統をほとんど持たず、保存図書館に専念してきた。イタリアの人文主義はこれらの素晴らしい図書館を我々に残したが、読書推進につながるような一貫した政策の一端を担うことはなかった。

ただ、こうして動き始めたパブリック・ライブラリーは、歴史的資料を伝える、ということから距離を置いているとされている。例えばこんな風に。

またイタリアに典型的なもう一つの現象は、保存図書館と近代図書館の分離である。隣のフランスでは、歴史的資料と“パブリック・ライブラリー”のサービスが共存する建物が新しく建造されたが(ボルドー、ポワティエ、モンペリエトゥールーズニームなど)、イタリアでは別々に機能を保持することが好まれている。(中略)このような選択をどう評価したらいいのだろうか。保存図書館と“パブリック・ライブラリー”の分断により、それぞれの使命が確固として定められる――これは実際のところイタリアのような場合はたぶんそれほど悪くもないだろう――が、それは同時に、一部のエリートのためのものとなってしまっている歴史的記憶を、歴史的資料を豊かにする可能性のある基本的なサービスから分離することになってしまうのである(強調は引用者)。

歴史を研究する側からの図書館へのニーズは、デジタル化に向けた戸惑いを孕みながらも確実に存在する一方、図書館は国によってはそれに応えるというよりはむしろ棲み分けをはかっていこうとする。そういう事態が進行中であると理解してよさそうだ。


歴史的資料を伝える図書館?

では、図書館は歴史を知るための場所なのか否か。

私などは出身が歴史畑なので、力いっぱい「当然だ」といいたいのだが、おそらく、大方の歴史家の期待を裏切って答えは真っ二つに割れると思う。

否定的な意見に曰く、「図書館はそんな一部の好事家のためにあるのではありません」。しかもそれは今に始まったことではない。日本の図書館の歴史を調べていると、ある時点から、特定の研究者向けのサービスだけではダメなので、もっと大衆に開かれた存在にしなければならないという主張が出て来て、そのなかではいくつか、歴史家への剥き出しの「敵意」を感じてしまうこともあった*1

そしてそれが森銑三(1895~1985)のようなタイプの書誌学者・歴史学者からまた反発をもって皮肉を言われることに繋がっていく。

帝国図書館へは地位のある人は一向に行っていないと、後藤丹治さんのいわれたことがある。全くそうらしい。客種があまりよろしくない。いくら満員が続いても、主として流動するのは他にもある活版本ばかりで、帝国図書館の生命ともいうべき特殊の書物は一向に動かない。閲覧室は常に満員でも、参考図書館としての活動はあまりしていないわけである*2

書物 (岩波文庫)

書物 (岩波文庫)

同種の批判は、探せばいくらでもある。上野図書館が創立八十年の記念をやったときに、論壇・学会の著名人にアンケートを依頼して回答させた本があるのだけれど、それにも頻出する。森自身も、結局その原因は社会が図書館に冷淡なせいであって、学校図書館がもっと規模を拡大すれば公立図書館に学生が押し寄せることもなくなる。

森は行きつけの図書館の悪口をいうのは本意ではない、と弁明している。だが、同時に「まじめな利用者、研究者の寄りつかれないようにしてしまう弊」(同上)という言葉に潜んでいる何かに、人によっては嫌悪感も感じるだろう。


図書館と歴史家が出会った頃

かように事あるごとに反目しあう図書館と歴史家も、図書館の歴史を紐解いていると相当仲が良かった時期がある。日本の図書館の草創期だ。まだそれほど全国に図書館がなかった明治30年代初頭、京都帝国大学が設立されるに及んで、ときの総長木下広次は、「我国西部の必要に応ずべし」と図書館の充実を企画した。

そのときの理由がふるっている。

曰く、図書館は都市の格を示すものだがわが国には未だ東京にしか大きなものが無い。しかし、考えてみれば京都は東京などよりはるかに歴史や宗教の文献が元々沢山あるんだから、この分野の研究者にとって図書館は大いに役立つはずだ(詳細は『みやこの近代』参照)

みやこの近代

みやこの近代

明治時代には、行政当局側に図書館は歴史の保存施設であるという認識が(その内容は改めて問わねばならないにしても)あった。議会で帝国図書館設立の建議を提出した外山正一も、やはり図書館が持つ教育効果にプラスして同じようなことを言っている。

曰く、美術品が海外に流出してしまったように、今日本国内の古書が、どんどん海外に買い取られていってしまうかもしれない危機にある。元武士や寺社や個人で持ち切れなくなったものは散逸してしまう。これを国でちゃんと集めるべきで、その購入費は今の官立の東京図書館の現状ではとても無理なので、帝国図書館に拡充すべきである、云々。

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(外山正一。画像はwikipediaから。原図は雑誌『太陽(The Sun)』第4巻第11号、口絵)

日清戦争後っぽい空気といえばいえるかもしれない。天心・岡倉覚三の日本画復興と同じ理屈でもある。国が、例えば鹿鳴館時代に「我国の歴史はまだなく、これから始まるんです」と誇らしげに言いきってベルツを愕然とさせた政府高官がいた時代を脱して、憲法が出来、議会も出来、条約改正もまあまあ順調に進んで、では、となったときに歴史と文化をちゃんとしようとし始めた時期にあたるからである。

現在の中之島図書館にあたる大阪図書館が完成した時も、その沿革の碑文は歴史家の重野安繹が書いたのである*3

関西文庫協会という図書館の連絡組織が出来た際も、実際には図書館関係者ばかりでなく歴史学者の加入が目立った。この団体は1年ほど機関誌を出した後解散してしまったようなのだが、入会者を見ると「おおっ?」と思うような人が入っている*4

内田銀蔵(日本経済史)、黒板勝美(日本古代史、古文書学)、桑原隲蔵東洋史学)、内藤虎次郎(湖南・東洋史学)、藤岡作太郎(国文学)、吉川半七(吉川弘文館創業者)

ついでに第三号には、幸田成友幸田露伴の弟、国史学)が「史料の捜索及び蒐集」という題で行なわれた講演筆記が載っていたりする。せっかくなので引用してみよう。

世には好んで歴史材料を蒐集する人がありますが、併し個人の蒐集は学問の上から云ひますと余程困る点が多いので、例へて云へば或人は材料を珍重して居りましても必ず永久に其家に保存せらると云ふ訳ではなく其人死亡の後子孫たる人が父祖と同じ趣味を持たぬ時は皆散逸してしまひます。のみならず其人一代の間にも種々に嗜好の変化するものでありますから終には散逸してしまうことがあります。是は日本、支那、欧米何処も皆同じ事で私共は史料が個人の書庫にあるよりも寧ろ図書館なり役場なり公共団体に蒐集保存せられてあることを希望します*5

なお、幸田は何とこの後段でフランス革命期に作られた革命政府のアーカイブ政策にも問題があり、だいぶ貴重な文書が散逸してしまったということにも言及してもいるのだが…。こういう話を、当時の図書館員はどう聞いたのか。案外、江戸時代の古典籍蒐集と展示会に力を入れていたりするので、受けたのかもしれないと想像する。

蜜月が終わり、どっちが先に愛想を尽かしたのかの追及は不毛でしかないので、行わない。図書館の近代化とは結局歴史家を切り捨てることだったのだ、とも言えるかもしれないし、早々に図書館を見限った歴史家が逆に図書館以外の充実を図る運動に積極的にコミットするようになったとも言えるのかもしれない。

ただ、そのツケを理不尽に我々が払わされている感覚に時々陥ってしまうのは、どうしたらいいのか。


われても末に…

私が勝手に憤ったり苛立ったりしているだけに過ぎないのなら良いのだけれど、それでも心配というか不安に感じるのは、要するに次の点である。

図書館と歴史家の反目は、結局歴史的にものを調べたり考えたりする世界を「職人的な領域」にし過ぎ、その成果を一般に、しかも歴史家にとって好ましい形で、流布させることに失敗したのではないか。もっというと、歴史意識の貧困さを助長したのではないか。

この手の話を考えていると、結局我々世代の歴史意識は何なのかという話に行きついてしまう。そして状況は目に見えて悪くなっている気がする。

学生時代に読んで結構衝撃を受けて、今でも時々読み返す、こんな文章がある。

私が九〇年代になって淵のなかの時間を実感したのは、それが七〇年代後半以降に生まれ経済的富裕と飽食のなかで育った人々が、確かな意志を持つ年齢に至って私の前に姿を現したときだったからにほかならない。モラトリアム世代と呼ばれた彼らは、近代が特定の指向性をもって積み上げられてきた事実に無頓着である。いや、その近代化への足掻きは、すでに過去のこと、彼らには無縁な飢餓と貧困、出世欲と勤勉の時代なのだ。自分の属する時代をいとも容易く過去から分離し、歴史が喪失した時空に孤独に立ちつくしてしまうこの史観は、受験技能伝授に陥った学校教育における近代史の軽視によるものだろう。しかし、それ以上に、七〇年代後半が近代の終焉の明らかになった時代、つまり日本社会が追随すべき近代を誰も供給してくれなくなった最初のときだったからに違いない。敏感な彼らは、日本社会は未来に、今とは異なった社会を想定してはいないと感じながら成長したのだ。発展か後退か以前に人間は社会への意志などない、だから社会は時間のままに流れ、連綿と漫然と未来へ続く。だとすれば歴史など何の役に立つだろう*6

退屈な美術史をやめるための長い長い人類の歴史

退屈な美術史をやめるための長い長い人類の歴史

歴史主義の貧困ならぬ、歴史意識の貧困。歴史を志して大学に入ったら、公然と「歴史の終わり」(フクヤマ)が語られていたという冗談のような事態に、立ち会っていたのだなと今ならわかる。

そうしてそれが2012年になっても尾を引いていることも。

「日本史」の終わり  変わる世界、変われない日本人

「日本史」の終わり 変わる世界、変われない日本人

思い出話になるけれど、「もうもしかすると、自分の周りの人だって、かつてあったような意味での歴史を期待していないのかもしれない」という思いは、専攻課程に進む中でずっとわだかまりのように私のなかにあった。そうして卒論を書きながら、あのNYセンタービルの悲しい事件をテレビで見て、やっぱり思ったのだ。「だとすれば歴史など何の役に立つだろう」。私たちと私たち以下の今の大学院生で歴史学に従事する人は、どこかで結局こうした屈折を抱えている(と思う)。年月が経って、人前でそれで歴史が何の役に立つって?と半笑いで聞かれても、胸倉を掴まずに笑って往なす術はどうにか身に付けたけれど、だからといって悩みが晴れたりもしない。

しかしもし、その責任の一端が図書館のあり方にあるのだとしたら、私は何をこれからしていくべきなんだろうか。

冒頭で紹介した記事を読みながら考えてしまったのは、実はそういうことである。

人々が歴史を必要としなくなったのだから、図書館も歴史にばかり時間と金をかけたサービスを構築する必要もないのかもしれない。そういう風に論じる人は、まだお目にかかったことはないが、どこかで出てきそうではある。

だが、本当にそれでよいのか。

図書館と歴史学の間を、もう一度つないでみたい、と一年を振り返りながら今改めて思ったりしている。

喧嘩するほど、本当は相性が良いのではないか。

ただその一点に一縷の望みを託しながら、来年ももう少し歴史家と図書館まわりのことを考えていきたい。



拙い文章にもかかわらず、今年も沢山の方にお読みいただきました。

ありがとうございました。佳いお年をお迎えください。

(2012年12月30日、一部史料追記

*1:そしてその種類の「敵意」は、私の印象では確実に『中小レポート』まで流れ込んでいる。

*2森銑三『書物』(岩波文庫、1997)p.108

*3:碑文を書いたというか、正確には「撰文」だが、中之島図書館のHPにもそのことが書いてある。

*4:『東壁』第2号(1901年7月)p.35。なお、関西文庫協会については、仲間とやっている図書館史の勉強会で取り上げてもらった。こちらこちらも参照。

*5幸田成友「史料の捜索及び蒐集」『東壁』第3号(1901年11月)所収、pp.6-7。句読点を適宜補った。

*6:若林直樹『退屈な美術史をやめるための長い長い人類の歴史』(河出書房新社、1999)p.333