図書館史の勉強をはじめた理由

 最近、図書館史を専門にしているわけではない友人たちが、続々と図書館史関係の優れた発表をしていて、焦っている。

 本来私だって焦るほど専門ともいえないのだが、図書館史勉強会の事務局なども引き受けているので、今回は「なぜ図書館史なのか」ということについて、個人的な出発点を書いてみたい。

 むろんここに書かれることは私個人の動機であって、勉強会総体の意志では全くないし、勉強会にはむしろいろいろな関心の方が参加していただいて議論したほうが面白いと思っているので、あくまで私見ということをお断りしておく。

 もともと私は、大学・大学院で日本近代の思想史を専攻していた。図書館でのアルバイト経験はあったが、図書館情報学を専攻したわけではなく、図書館の歴史についても、あまりよく知らなかった。

 図書館史をやろうと思いついた理由は恐ろしく単純である。就職した当初、「己が従事した業務の中から自らの専門性を立ち上げろ」と仰っていた部長の言葉が結構印象に残っていたので、これまで歴史をやっていたのだから図書館の歴史を調べてみるか、と素朴に思ったのが最初であった。そういうわけで、仕事帰りに書店に行き、最初に手に取った図書館史の本は、岩猿先生の『日本図書館史概説』だった(確か、池袋のジュンク堂だったと思う。)

日本図書館史概説

日本図書館史概説

同書についての感想はいろいろあるのだけれど、長くなるのでここではそれは措いておくとして、まずこの本を読んだときに驚いたのは、図書館史について教科書は結構な数があるものの、図書館史の本格的な研究書があまりない、と書かれていたことだった。

昨年8月に改正され、今年4月から施行された図書館法では、

第四条 図書館に置かれる専門的職員を司書及び司書補と称する。

第五条 次の各号のいずれかに該当する者は、司書となる資格を有する。

 一 大学を卒業した者で文部科学省例で定める図書館に関する科目を履修したもの第六条の規定による司書の講習を修了したもの

 二 大学を卒業した者で次条の規定による司書の講習を修了したもの

第六条 司書及び司書補の講習は、大学が、文部科学大臣の委嘱を受けて行う。

2 司書及び司書補の講習に関し、履修すべき科目、単位その他必要な事項は、文部科学省令で定める。ただしし、その履修すべき単位数は、15単位を下ることができない。

となっており、さらに図書館法施行規則では、

第一条  図書館法 (昭和二十五年法律第百十八号。以下「法」という。)第五条第一項第一号 に規定する図書館に関する科目は、次の表に掲げるものとし、司書となる資格を得ようとする者は、甲群に掲げるすべての科目及び乙群に掲げる科目のうち二以上の科目について、それぞれ単位数の欄に掲げる単位を修得しなければならない

として、次の科目が定められている。

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 つまり、図書館法及び図書館法施行規則が定めるところ司書資格取得に必要な科目では、図書及び図書館史は必修ではなく、選択科目になっている。したがってやっている人があまりいない。ならば、逆にそれが自分の「強み」になるかもしれない、と思ったのである。

 就職して1年目から担当していたのは、CD-ROMや電子ジャーナルといった電子資料の提供だった。とにかくWeb of scienceでもJSTORでもScienceDirectでも、大学の図書館にはあったけれど、それが何か自分の文献探しに役立ったことは特段ないなあ、というデータベース群に初めて本格的に触ることになり、カウンターで受ける質問への回答と同時に、自分が覚えなければ利用者も説明できないという焦りで必死にマニュアル作りに励んでいた。

 もともとの専門に近かったところでは、史料の復刻がCDやDVDで出る情報をキャッチして、内容のレファレンスが出来るかも、と甘っちょろいことを考えていたものだが、そんな程度の認識では、続々刊行される電子出版物の状況に追いつけるわけがないのである。また、システム機器更新のための仕様書作りもやらされた。

「え。RAID5?何ですかそれ」

というレベルからスタートしたので、仕事帰りに栢木先生の本を買って泣きながら読んだこととか、今ではいい思い出である。

平成19年度 イメージ&クレバー方式でよくわかる 栢木先生の初級シスアド教室

平成19年度 イメージ&クレバー方式でよくわかる 栢木先生の初級シスアド教室

 そんな次第で、今までやってきた人物の思想の歴史とは違うものだけれど、図書館の歴史を勉強するならこれまでのノウハウを活かしていけるだろうと考えた程度で、当初私自身のなかにそれほど深い問題意識があったわけではなかったのだが、あるとき書庫で作業していてふと気がついたのである。

 明治以前はともかく、昔の思想家が書いた本も整理分類し、並べてちゃんと置いてあって、この場所が、僕がやってきた日本近代の思想史そのものなのではないかと。

 そのころ読んでいた中井正一に次のような一節があったことも、なにがしか影響したのかもしれない。

私たちは書架に並ぶ本を見ているとき、その文字の背後に、無限に発展し、乗り越えてきた「形」の集積、今、まさに乗り越えようとして前のめっている、崩れたら、形成しなおそうとしている、成長の生きている形の展望を感ぜずにはいられない。

 図書館の中に生きることは、この「形」の発展の形成を、生き身をもって生きることにほかならない。(中井正一「図書館に生きる道」(1949))

増補・中井正一―新しい「美学」の試み (平凡社ライブラリー)

増補・中井正一―新しい「美学」の試み (平凡社ライブラリー)

図書館の中に生き、その歴史を学ぶということは、まさに自らが思想史の形成に関わっていくことなんじゃないかと。変な言い方だが、このとき私はようやく自分にとって本当に意味のある働く動機を手に入れたような気がしている。

 また、同じころ読んでいた図書館の本に、次のような「知識専門職」という方向性が示唆されていたことも、たぶん影響していると思う。

主題専門知識があっても、それを他の分野の情報と関連させて、利用者にわかるような形式で提示できなければ、図書館という場で専門知識を生かしたことにはならない。図書館情報学情報科学知識社会学、言語社会学、コミュニケーション科学、哲学などを総合した新しい「知識科学」の創出に、司書が積極的に関わっていく必要がある(柳与志夫『知識の経営と図書館』p.15)

知識の経営と図書館 (図書館の現場8)

知識の経営と図書館 (図書館の現場8)

 少し齧った程度で大層なことはいえないのだけれど、有志とはかって図書館史の勉強を始めたのは、もし仮に図書館の歩み=思想史だという立場が可能ならば、そういう成果は元々いた思想史研究の世界の人々にこそ共有してもらったほうがよいし、また思想史の人がみれば、図書館に面白そうな話題がいっぱい転がっていることに気付いてもらえるのではないか、という直感だった。これは普通の図書館情報学の問題設定からして、邪道といわれると悲しいけれど、本筋に沿っていないのは確かだろう。

 よいところもいっぱいあるのだけれど、図書館員同志の議論は、図書館に着地するのが常なので(当たり前といえば当たり前だが)、私には実はそれが少しだけ不満であった。図書館の利用者が増えたからといって、利用者の図書館に対する認識が深まるかどうかは別の次元の話である。図書館史の本は、司書課程の教養という点の一つの成立の前提にしているので、司書あるいは司書になろうとする人に向けて語られるようにできている。それは必要だし、また、図書館史というのが図書館情報学というディシプリンのなかですでに自立しているのだから、まずそれは尊重されるべきだろう。

 だが、図書館というのはこういう場所なんですよ、ということを説明するのに、歴史的な把握は必要だ。そうであるならば、利用する人たちに向けてこそ語られる図書館史があるべきなのではないか、と、図書館史の本を読みながら、私はしだいに思うようになっていった。それが身の丈を超えるかもしれない不遜な企てなのは重々承知しているけれども。

 そんなおり、図書館史の古典とされる小野則秋『日本文庫史』(教育図書、1942)に、「国民的教養としての文庫史を広く一般に認識せしめんために」という一節があって驚いた。

 戦争の真っ最中の本である。

 戦争になると図書館は常に割を食うので、そのなかで図書館の意義を過剰に語ったものだとはいえる。だから、総力戦体制の下で、時局に迎合して戦争遂行の国策の渦中に図書館の魂を売ったケシカラン論議だ、ということも可能である。実際そういう面もあったろう。けれど、戦後に出た図書館史の本が、押し並べて戦後の図書館法規の下での「司書教養」を前提にして、そこに向けてのみ議論しているように見えていた私にとっては、この一節はなんて高い志なんだろう、と逆に感動して見えたのである。

 手を汚さなかったやつが正義とは限らない。手を汚した奴の中に、実は本当に誠実だった者がいたのかもしれない。それを見誤ると近代思想史は出来ない。ということを、大学院で私はしこたま叩き込まれた。小野の「国民的教養」発言をどうとらえるかは難しいけれど、むしろ私のようにあまり図書館の歴史を知らないできた、歴史・思想史プロパーの人に、もっと見てほしいんですといって図書館の歴史を語っていくこと。そしてそれによって歴史学図書館情報学のあいだを埋めていくことができるのではないか…。

 さしあたってそんなことが私が図書館史を始めた動機である。


(付記)本エントリは、本来4月に某勉強会にて発表するはずだったものの、やむをえない事情によりキャンセルさせていただいた内容の一部を、原稿をもとに起こしたものです。関係各位にはこの場をかりて改めてお詫び申し上げます。