私のささやかな「人文学」

 ところで「人文学」というのは結局何なのだろうか――と、この半年くらい(正確にはもうちょっと長い間)考えている。

「人文学」という言葉の由来については、私自身、過去に気になって語誌を辿ってみたことがあるのだが、1920年代には「人文学」は「地文学」に対応する言葉…学問領域でいうと、今でいう「人文地理学」とほぼ同義で用いられていたらしい。

 「人文」については、「文化」という訳語が成立する前の単語という見方もできる。大正時代に「文化」という単語がはやったというのは割と色んな本に書いてある事柄だが、「文化」に相当する語として、明治から「人文」が使われていた。

 西周が書き、山本覚馬が発行した『百一新論』には、「人文ノマダ十分ニ開ケナイ間ニハ法トモ教トモ就カヌ交セ混セナ事デモ甘ク治マル者デゴザルガ」(『百一新論』十六丁裏。近デジ)という一節があるが、これなどはむしろ「文明」の意味っぽい。ちなみに、『百一新論』は”Philosophy”を「哲学」と訳した最初の文献であると言われている。

 また、高山樗牛の全集に姉崎正治が付けた解説にこんなのもある。

所謂るKulturについては、ドイツでも後に出た様な理くつつぽい概念はなく、日本では訳語もなく、自然に対する人事、人文といふ意味で、我々は人文と呼んでゐた。それで樗牛の此書も、初めは世界人文史と名づけやうと話しをしてゐたが、出版社の考へとして、それでは世間に通じないとの事で、文明史とした位である。(文化といふ訳語はそれから十年ばかり後に出たと思ふ)*1



ちなみに、この単語については、姉崎が相当気に入っていたのか、彼が組織した高山樗牛顕彰会・樗牛会の会誌名も『人文』である。


それにしても人文学は、その範囲もややこしいし、名称も問題がある。

人文学と制度

人文学と制度

 

英語でHumanities:ヒューマニティーズといっている「人文学」は、ドイツ語では「精神科学」というらしい。またフランスでは、「人文学」に対応する語句として「人文科学」があり、構造主義の思想運動を経て人口に膾炙するに至ったとされている。ミシェル・フーコーの『言葉と物』は「人文科学の考古学」という副題を持ち、この語の意味が20世紀以降拡大し、言語学や人類学、精神分析の分野とともに「人間についての学問」を指し示すようになったと指摘されている。ただし、これは漠然とした総称としての「人文学」と異なり、明確に「科学」を志向した語として位置づけられ、英語のヒューマニティーズから直接に読みとることのできないものとされている*2

追記】この記事を書いた後、複数の方から、京大人文科学研究所は戦前(1939年)からあるんじゃないの?というご指摘をいただきました。ありがとうございます。そしていい加減な書き方でごめんなさい。

 私もフーコーのはるか前から、大学の学科に「人文学部」はあったような…?くらいの認識でいましたが、京大の場合「人文科学」とハッキリいっていますし、その目的についても、「国家ニ須要ナル東亜ニ関スル人文科学ノ綜合研究」を掌る機関として勅令で定められているので、「人文科学」の語自体は昔からあるようですね。ただこの場合、何の訳語として想定されていたのか、盛られた意味が重要なんだろうと思います。フーコーと同じ意味というのは無理だと思いますし、だとすればどう違ったのか。ちょっとわかりません。今回は起源の特定が目的ではないのですが、それにしてももう少し概念の調査をちゃんとやりたいと思います。【以上2013/9/1追記

 

言葉と物―人文科学の考古学

言葉と物―人文科学の考古学

 また鈴木貞美氏が日本の「文学」概念の編成について記述する際、「人文学」のあり方についても触れているが、結構重要と思われるのは、「宗教」を日本では「人文学」の中に取り込んでいるという指摘ではないだろうか*3

「日本文学」の成立

「日本文学」の成立

 宗教が哲学や思想のテクストと同列に論じられることに、違和感はあまり感じない。Wikipediaデジタル・ヒューマニティーズの項目(こんな項目があることを今回知った)のなかでは、宗教は普通に対象になっているようである。

 

 図書館の分類ではどうか。

 例えばデューイ十進分類では哲学・心理学と宗教が100番台、200番台にキッチリ分けられたことは一つの時代の思考を反映しているし、そのときにまさかデジタル神学という単語は使わないと思うので、人文学がいわゆる神学の領域といかに対話できるのかは、実は問われているともいえるかもしれない。ただし、アメリカ議会図書館(LC)の分類だと、哲学・心理学・宗教は全て同一の分類が使われている。


 こうした、概念の混乱を踏まえた上で、「人文学」の定義ににかなり明確な答えを与えてくれるのは、実はエドワード・サイードの議論(『人文学と批評の使命』掲載の議論)は比較的受け入れられているように思った。

 サイードはこういう風に「人文学」とアーカイブとの関係から規定したりもしている。


人文学の営みと達成は、つねに個人の努力となんらかの独創性をもとにしているからだ。とはいえ、作家や音楽家や画家が、白紙状態から作品に取り組むかのようなふりをするのは愚かだろう。この世界はすでに、過去の作家や芸術家の作品だけでなく、今日個々人の意識を取り囲み押し寄せる情報や言説、サイバースペース、そしてあらゆる面から五感を襲撃するデータが集まった巨大なアーカイヴなどによって、重苦しくも大量の書き込みがなされているからだ*4

 そのうえで、次のようにも言う。

 現代の人文学者は、二つの決定的な動き――受容と抵抗と呼びたい――のなかで読むことに関わっているのだと論じよう。受容とは、見識をもってテクストに自らを委ね、それらをまずは暫定的にそれぞれ独立したものとして扱うこと(というのも、最初はこのようにテクストに出くわすのだから)である。それから、はっきりせず目に見えないことが多いテクストの存在の枠組みを、拡大し解明することによって、そのテクストが生み出された歴史状況や、特定の態度や感情やレトリックの構造が、なんらかの潮流、そのテクストの文脈を作っている歴史的・社会的公式とどう絡みあっているかという問題へ、移っていくことなのである*5

 なお、「受容」に対する「抵抗」では、サイードはテクストの読解に「批評」を対置させている。両方がセットになって、人文学が成立するという立場だ。

 このサイードの記述の見出しには「文献学への回帰」と振られている。「文献学」は、同書解説などによると、サイードの理論からの後退だとか保守化とか散々に言われることもあるのだそうだが、<過去に生み出され今なお産出され続けている「テクスト」をどうやったらもっと深く意義深く読めるか>をひたすら考えていく学として「人文学」を考えているように見え、哲学、文学、歴史学を包括する人文学の定義として、私自身の実感にはかなりしっくりくるものがある。

 テレビドラマに散りばめられた元ネタ探しに躍起になるように、持っている知識を総動員してテクストにあたること…は、やはり「読む」ことの、一つの洗練された形なのだと思う。

これが現時点での、という留保つきだけれど私にとっての人文学理解だ。前回の記事で触れた「デジタル人文学」は、だから、地図アプリケーションの開発にせよ本文批評にせよ、どれだけテクストの理解を深化させるかが、鍵なのではないか。

文学テクスト入門 (ちくま学芸文庫)

文学テクスト入門 (ちくま学芸文庫)

 ちなみに、この「テクスト」は、前田愛か誰かをを読んでいて偶々知ったのだが、元来「テクスチャ」すなわち「織物」に通じるのだそうである。

クリオの顔―歴史随想集 (岩波文庫)

クリオの顔―歴史随想集 (岩波文庫)

 すこし連想をたくましくすると、この「織物」の比喩は、例えばハーバート・ノーマンのいう「歴史」の定義そのものにつながっていく。

巨匠たちの歴史作品に見られるように、歴史は決して一直線でも、単純な因果の方程式でも、正の邪に対する勝利でも、暗から光への必然の進歩でもなかった。 それよりも歴史は、すべての糸があらゆる他の糸と何かの意味で結びついているつぎ目のない織物に似ている。ちょっと触れただけで、この繊細に織られた網目をうっかり破ってしまうかもしれないという恐れがあるからこそ、真の歴史家は仕事にかかろうとする際にいたく心をなやますのである*6

 ノーマンのことを思い出したのは、その精神を継ごうとする(?)ジョン・ダワーの『記憶のしかた、忘却のしかた』に入っていたノーマン論を読んでいたからだが、ダワーがノーマン以降の「歴史のもちいかた」を考察しつつ、たとえば本の序文で「私は歴史家の仕事と著作のおもな目的が、自国の誇りを涵養することであるとは信じていないが、歴史家の主要な責務が、たんに啓蒙し、人間の経験における暗愚の数章から学ぶことだとも思っていない*7」と言っているのが印象に残った。

 先日、「デジタル人文学」についての本を読んで、感想を書きながら、そもそも「人文学」って何だと人に聞かれたときに、自分なら何と答えるだろうか、とずっと考えていた。いまだに答えはでないけれど、少し考えを整理するためのメモである。雑な話になってしまったが、ご容赦いただきたい。

*1姉崎正治「序言」『改訂注釈樗牛全集』第5巻(博文館)序言4頁。本文はこちら

*2:宮崎裕助「ヒューマニズムなきヒューマニティーズ」西山雄二編『人文学と制度』(未来社、2013)所収、44頁。【補記】この部分についても、引用箇所の要約が不正確ではないかとのご指摘を受けたため、原文を再度確認し、再修正しました。感謝します。

*3鈴木貞美『「日本文学」の成立』(作品社、2009)77頁

*4エドワード・W・サイード著、村山敏勝、三宅敦子訳『人文学と批評の使命:デモクラシーのために』(岩波書店、2006)52~53頁

*5エドワード・W・サイード著、村山敏勝、三宅敦子訳『人文学と批評の使命 :デモクラシーのために』(岩波書店、2006)76~77頁

*6:E.H.ノーマン、大窪 愿二訳『クリオの顔』(岩波文庫、1986)13頁

*7:ジョン・W・ダワー、外岡秀俊訳『忘却のしかた、記憶のしかた』(岩波書店、2013)x頁。

楊暁捷・小松和彦・荒木浩編『デジタル人文学のすすめ』読書メモ

「デジタル人文学」という領域

このたび、勉誠出版から刊行されている『デジタル人文学のすすめ』という本をいただいた。

デジタル人文学のすすめ

デジタル人文学のすすめ

帯にはこうある。「人文学の未来を考える デジタル技術と人文学との出会いは、いったい何をもたらしたのか――われわれはいま何を考え、どのように行動すべきなのか――

とっても壮大で、いい。

本書では、デジタル技術と人文学を融合させた「デジタル人文学」(Digital Humanities)について「現在の立ち位置を確認し、さらなる発展のための思考の拠り所を提供すること」(16頁)を課題にしているという。

デジタル人文学自体が耳慣れない言葉かもしれないが、カレント・アウェアネスなどではすでに「デジタル人文学」のタグが存在しており、日々多くのニュースが伝えられている。図書館においても、いまもっともホットな分野の一つであるといえる。

私自身は、デジタル技術に精通しているわけでないし、人文学全般についても全体の最新動向をとうていフォローできていないのだが、「人文」という語には、多少なりとも思い入れがあって、自分自身の勉強になるのと、色々思うことがあったので、その整理を兼ねて、少しだけ感想を書いてみたい。

本書は全部で3部構成(目次はこちら)。第1部はデジタル環境の出現と普及ということで、図書館や様々な機関の取り組みが、第2部は、人文学諸分野との融合ということで、人文学研究の個々の作業にどうデジタル技術が入り込んでくるかを、実際の研究者が描いている。第3部では明日のデジタル人文学へということで、新しい動向を踏まえた教育や情報流通のあり方が考えられている。

巻頭の大場利康「図書館が資料をデジタル化するということ」では、国立国会図書館のデジタル化の動きを紹介しながら、書誌学者・森銑三の「営利を目的とせざる」出版業の必要の訴えとからめながら、図書館が史料をデジタル化することを「これまであまり知られていなかった資料」の発見として積極的に意味づけようとしている。

和本のすすめ――江戸を読み解くために (岩波新書)

和本のすすめ――江戸を読み解くために (岩波新書)

本棚の中のニッポン―海外の日本図書館と日本研究

本棚の中のニッポン―海外の日本図書館と日本研究

同時に、中野三敏先生の「和本リテラシー」や江上敏哲氏の『本棚の中のニッポン』でしきりに主張された内容を踏まえながら「まだまだ足りないデジタル化」の内容を次のように総括する。

 何かを知ることがインターネットに大きく依存している状況下では、ネット上に存在しないことは、存在しない、少なくとも存在を知られない、ということとほぼ同義に近い。困ったことに、江戸期や戦前期の資料は、その文体や崩し字や旧仮名、旧漢字が障壁となり、ただでさえ、誰もが読めるわけではない。その上、インターネットで検索してもたどり着けないのでは、日本社会が生み出してきた書物群という、文化的・知的な蓄積を広く活用してくれといっても無理な話だろう(30~31頁)

感想

 これまでのデジタル人文学の動向について、私が横目で眺めていた印象だと、おそらく、第三部で赤間先生が「統計学や計量的手法を使った人文科学分野への切り込み」「情報科学分野から人文学の研究素材を対象としたアプローチ」、とくに適合が高い分野としての「地理情報システム」への適用、等々で描きだしているような試みが、ずっと主流であったように思う*1

 ただ、私には、赤間先生の図式で行くと、DHはある種、「人文学ならぬ人文学」として定着してしまって、旧来の荒木先生風にいえば「ジュラシック*2」なものと棲み分ける形であんまり交渉が無いような地点に議論が着地してしまうのではないか、という違和感も持っていた。

 違和感というと言い過ぎかもしれないが、要するに、私が歴史学の論文を書くときに地図をあまり使わなかったり、データの集計はするけれどもあまり統計処理をかけなかったりするために、DHの方向が、今ひとつ私のなかの「人文学」イメージと違うことをやっている気がして、凄さが実感しにくかったのだと思う。

 本書集録の各論文は、こういう疑問にきちんと答えてくれている。また大変重いが回避できない問題を正面から扱っている千本先生の論文など、むしろもっとも保守的な人文学研究者の層に「いいからまず話を聞け」と、突っ込んでくる読後感の論文が今回たくさん載っていたのが、刺激的だった。

 とくに、私の理解では、「デジタル人文学」の今後についての統一見解というよりも、二つの異なった志向性が共存しているように思い、そこが全体に緊張感を与えている気がして面白かった。

 端的に言うと、こういうことだ。

 デジタル人文学はどこに行くのかという問いに対する回答として、一つは、画像処理や地理情報など、マルチメディア的に資料理解の幅を拡張していくことで、新たな人文学創造の「触媒」にする水平的な方向のことである。例えば小松先生が語る次のようなありかた。

デジタル環境の整備によってもたらされる新しい研究とは、なによりもまず視覚文化領域の研究の開拓もしくは活性化であり、それに伴って、これまで気がつかれなかった資料の発掘もまた進むことによってもたらされるのである。つまり、データベースはそのために触媒なのである*3

 日文研の妖怪のデータベースを監修されている先生のお話として、重い意味がある。


 これに対し、もともと人文学が職人的にやってきた「校訂」テクスト読解を、図書館による資料デジタル化も含めて発掘的に掘り下げていく垂直的な方向も考えられると思う。とくに今回こちらの視点があるのが面白かった。

 具体的には、本書でも海野先生が「「国文学」の「研究」は、その成立の当初よりデータと格闘する学問領域として構想されてきた…*4」といい、古典テキストの標準化やデジタル化をはっきりと課題として打ち出して行くような方向である。

 私などは、こちらの方向性が保守的な人に訴えるんじゃないかなあ、と思ったが、技術をかじっている人からすると、面白くないのかもしれない…。ただ、海外では、テキストの校訂がデジタル人文学の本流という考え方もあるのだそうだ。


 読了後の今、これから大事なのは、<もっとも革新的な技術を、あらゆる学問分野のなかで方法的には一番“保守的*5”な人文学につなげる>ことなんじゃないか、ということを思った。Googleという「黒船」が来た後、電子書籍元年を経て、「維新」=「復古」を唱えるみたいだが、実はそういう二重の視点が、改めて大事なのではないかなあと思い始めたのである。

 「世直り」が肯定される風土では、「復古」が、現状変革の契機となりうるとされる。明治維新も、RevolutionでなければRestorationか、最近はRegeneration(復興)という語も提唱されているそうだが、デジタル人文学は、昔からある「人文学」の再生に貢献するや否や。

明治維新を考える (岩波現代文庫)

明治維新を考える (岩波現代文庫)

愛国・革命・民主:日本史から世界を考える (筑摩選書)

愛国・革命・民主:日本史から世界を考える (筑摩選書)

 あとは余談になるが、海野先生の論考を読んでいて気づいたのだが、書物蔵さんが折に触れて主張されているような近代を対象にする書誌学の形成の問題は、何をデジタル化するか、デジタル化したものをどう使うかという議論に、図書館が図書館として関わっていく際に、かなり重要になると思い始めた。

日本近代書誌学細見

日本近代書誌学細見

 故・谷沢永一御大の仕事も、この果てしない課題の前に控えな一歩を踏み出したもののように思えるが、そのことはいずれ改めて考えてみたい。

*1赤間亮「デジタル・ヒューマニティーズと教育」同書191~192頁

*2荒木浩「<国文学>のミレニアム」同書100頁。

*3小松和彦「魅力的なデータベースとは何か」同書91頁

*4:海野圭介「電子資料館事業の現在と未来」同書55~56頁

*5:ここでいう保守的とは、ひたすら読んで書くという、基本的には昔からあまり変わらない方法を用いているという程度の意味である

辞書事典にしたしむの話2――佐滝剛弘『国史大辞典を予約した人々』読書メモ

(本記事は出たばかりの本のネタばれを含みますので、ご注意ください)






国史大辞典

 何とも変わった本が出た。本書は、『国史大辞典』を予約した人々はだれか、ということをひたすら紹介し続けるという本である。

 目次はこちら(出版者HP)から。実業家や文学者に華族、理系の人々、官公庁に学校の先生、さらに書店や図書館もあるから、図書館史の一資料ともいえそうだ。

 『国史大辞典』という、日本史のことを調べるのにまずこれを引くという辞典の存在について、大学で日本史を専攻した人のなかには知らない人は恐らく存在しないし、また図書館で人文系のレファレンスをやったことがある人も最初に覚えるレベルで有名な本だろうと思う。今はジャパンナレッジのコンテンツに入ってしまっているので隔世の感があるけれども、私が学生だったころはあまりに使われるのでどこかの巻はしょっちゅう製本に出され、しぶしぶ諦めたり複本を探しに別の場所にいったりして情報を集めていた。

国史大辞典(全十五巻・全十七冊)

国史大辞典(全十五巻・全十七冊)

 コピー機まで持っていくのに重い本だし、ゼミの発表前で友人と頭を抱えながら辞書引いたりした経験は恐らく多くの人に共通しているので、変な言い方だが、学生時代の思い出の一冊(というか、別巻三冊も合わせて思い出の17冊くらい)になっている人は結構いそうに思うのである。

 「○○さんは就職して最初のボーナスで国史揃えたらしい!」

 みたいな会話は、就職への憧れとともにまことしやかに語られていたように記憶する。図書館に行かないと読めない本が家で見られるというのは、何だかとても眩しく見えることだったのだ。また、実際、ウェディングケーキに「国史」って書いていた人を知っている。

 本書が取り上げるのはいちばん最初に刊行された明治41年(1908)版だが、ただ著者は、最初にもとになる資料を見たときに、

国史大辞典』という辞書のページをめくったこともなかったほど、予備知識ゼロであった(i頁)

というから、人と本の巡り合わせというのは、わからない。

 この本の出版情報を見たとき、どこかに吉川弘文館の内部資料みたいなものがあって、それが発見されたのかと思ったのだが、そうではなかった。活字印刷されて予約者に配布された「古書」なのだそうである。

 そんなものがあるのかと、慌てて日本の古本屋で「予約者名簿」と入力し検索してみて、勿論見つからなかったのだが、これは珍本中の珍本というべき、「予約者芳名録」なのだそうである。売ったのではなく、刊行が遅れそうになるタイミングで、これだけの人に御予約いただいております。必ずお届けいたしますというような意味合いで、予約者に配布されたものらしい。

 ちなみに、この芳名録自体、本郷にある現在の吉川弘文館関東大震災、さらに空襲の被害を受けているので、会社にも残っていないものであるらしい(22頁。また予約者芳名録自体の資料解題は本書3章でやや詳しく触れられる)。完全版が岩瀬文庫にだけある、というのがまた、さすが岩瀬文庫!と思わずにはいられない(55頁以下)。

 著者の佐滝氏は、東大卒。リベラルアーツ・ジャーナリストという肩書で、世界遺産に関する著書があるようだ。ネット情報なども組み合わせると、人文地理が専門で、仕事としてはNHKの番組編成などを担当されているのだそうである*1。講演会も行なっているようだ。ということは、普通に群馬の老舗旅館で美味しいご飯を食べていたら面白い資料を女将に教えてもらったという、なんという幸運なのかという溜息しか出てこない状況で本書が着想されたことになるのだが、それはいいとしよう。

 取り上げられている人も面白い。折口信夫が19歳で買っているというのも凄いが(5頁、本当だろうか?と逆に思ってしまう)、決して安くはなかった辞典について、デンキブランの神谷伝兵衛が国史大辞典を買っている、というのは、なんだか胸が熱くなる(38頁)。また、東大から名古屋大に、矢内原忠雄の斡旋で、初版国史大辞典が移管されていることがわかるという、図書館史の隠れた一コマまで光が当たっているのも、勉強になる(120頁)。

 最初の国史大辞典は、明治40年前後の組み版でありながら、本文の段を割いて花押を入れて組んだりする等、版面にも相当な工夫が認められる。内容は明治維新までとされ、一応大久保利通が載っているのは確認できた(本編はこちら、別巻はこちらでも見られる)。明治・大正のなかで、自国の歴史に関心を持つことがいかなる意味をもつか、そのことを本書で取り上げられた人びとを通じて考えることもできる。


明治時代に辞典を一冊作るということ

 明治時代に辞典を作るというのは大変な作業だった。予約する人も、そのことを十二分に意識して、安くない対価を支払ったのである。辞書作成のために三省堂が倒産してしまったという、齋藤精輔のエピソードも踏まえても、その採算や作業の重労働ぶりはじゅうぶんに伺われるところだ。

 『国史大辞典』も、編者の一人であった八代國治*2の話では、

当時は日清戦争の後で、文学や美術や工芸や諸般のことが勃興してきたけれども、国史の研究は未だ盛ならず、国民発展の由来、日本文明の淵源を簡便に知ることのできる国史上の参考書がないのを嘆いて…*3

という次第で『国史大辞典』を構想したというから、こちらもなかなか凄い。初め、引き受けをめぐって色々交渉し、途中、赤堀又次郎などにも頼って早稲田出版に持ち込むという話も、吉川弘文館に決まる前にあったのだそうである。赤堀は帝国図書館司書。また、赤堀は齋藤精輔の百科事典編纂も手伝っていたらしいと森銑三が言っている*4

[rakuten:hmvjapan:11500094:detail]

赤堀は、のちに帝国図書館はやめていたと思うのだが、齋藤の自伝によると、田中稲城帝国図書館長曰く「赤堀氏は頭脳明敏、博覧強記、当世に冠絶す、君が同氏を獲たるは劉邦張良を得、劉備孔明を得たる以上に君の事業に光明を与ふるならん」*5とのことで、べた褒めである。回想ということもあり、齋藤の話が全面的に本当かどうかは鵜呑みにできないけれど、あまり人を褒めもけなしもしない田中の言だけに、赤堀に期待するところもあったのだろうと窺わせるに足る。

赤堀と田中稲城についてはまだ若干のエピソードがあるが、今回は措いておこう*6

人物の探索法

そんな具合で、色々と面白い挿話が見つかる本書だが、ただひっかかったのは「人物の調べ方」だ。職業病と言われればそれまでだが、「もっと調べられたのではないか」という思いが先走ってしまうのだ。

「実は、言論人を見つけるのはちょっと手間取った」(31頁)

 と著者はいう。そういって、陸実や黒岩周六が誰だかわからなかった、という話がその後に出てくるのだが、この辺りは、日本近代史では常識に属する事柄なので(黒岩の場合、涙香の号よりスキャンダルに食らいつく「まむしの周六」の異名もそこそこ有名だと思うのだが)、著者が近代史専攻でないのにこの古書と格闘した努力には経緯を払わねばならないものの、

「筆名は有名だが、本名は無名」(62頁)

というのは、著者や世間一般の認識としてそうであっても、「国史大辞典を予約した人々」に興味がある読者(明治時代の出版史になるわけだから、明治時代についてもそれなりの理解がある読者)を前にした場合には、言い過ぎの感を強くする。そうなるとやはり、芳名録中に「もっと判明する人がいるのではないか」と、どうしても思ってしまう。陸実はgoogleで検索してもちゃんとwikipedia陸羯南が最上位に来ていた。

 この辺りの調べ方はレファレンスの教科書に絶対に出てくることがらで、どんな文献があるかについては色々記述があろう。たくさんあって改訂もされているけれど、長澤雅男先生の本が定番だろう。

 また、ネット情報だけでどこまで行けるか!を追及した大串夏身先生の本もある。

 このほか、国立国会図書館の研修教材シリーズで出ている『日本人名情報索引』に載っている解説を読んで、そこから使えそうな辞典や文献を探すという手もある。地方のファクト情報を調べるための辞典の解題もあるし、雑誌『太陽』等で、人物評の記事をたくさん書いて有名だった鳥谷部春汀の全集の人物月旦の巻をめくったら明治時代の人物のことならわかる、と書いてあったのにそんな手があったのかと思った。

 言論人を調べるのが難しいというのも、本当か、という気がする。雅号のせいということかもしれないが、図書館員ならむしろ逆に考えるのではないか。普通、人名調査をする場合、著作がある人が一番楽だからだ。戦前らしいとわかっていれば、私などは国立国会図書館デジタル化資料で「館内限定公開も含む」にチェックを入れて何か書いていないか探す。それでよく書いているテーマから、軍人か、アナキストか、学者か判断して、それこそ国史を引いてもわからなければ個別の辞典にアタックしたりすることが一応できるからだ。

 ※唐突に「アナキスト」とかいうのは事典があるからである。

 ある時点から更新が止まっているから、古いともいえるかもしれないけれど、やはり加藤陽子先生の「日本近代史研究のABC」の「1.耳慣れない人物が出てきたら」は最低限参照した方がいいのではないか。それでもダメなら奥の手も考えられるが…。

 とりあえず書籍ベースでいっても、言論人ということでは、宮武外骨の『明治新聞雑誌関係者略伝』は使わなかったのだろうか。

明治大正言論資料 (20) 明治新聞雑誌関係者略伝

明治大正言論資料 (20) 明治新聞雑誌関係者略伝

 またこの場合、明治40年前後に存命していた人ということで、かなり範囲が狭められるのだから、日外アソシエーツから出ている『人物レファレンス事典』明治・大正・昭和(戦前)編などで、どの辞典に出てくる人かを調べる手もあるだろう。住所が書いてあるのだから、地域の人物事典、あるいは地域年鑑掲載の人名録で調べるという手だってあるはずだ。なお、「人名の調べ方」でgoogle検索すると、国立国会図書館が公開している「人物・人名・家系の調べ方」の案内に行きつく。

 残念ながら本書には資料として予約者のリストも付いていないのだけれど(それはねだり過ぎか)、せめて取り上げた人物だけでも人名索引を五十音順で付けてくれたら、この本で調べられたプロフィール自体がまた新しい辞典項目として利用可能だった気がして、惜しまれる。まだ半分くらい不明のままという芳名録の解読が進んだら嬉しいのだが。

 なお、最後の最後まで読んで、本書誕生秘話に驚いた。著者と、本の編集担当者は、なんと内田嘉吉文庫のジャングル探検隊で知り合ったというのである(231頁)。予約者芳名録と著者、著者と編集者、書店そして図書館…こういう点と点が結びついて奇跡的な一つの本が出来上がったのだということが強く印象に残る本であった。

さらに

なお、国史大辞典をめぐる「物語」については、千代田図書館で行なわれた下記も合わせて読むととても面白い。

『国史大辞典』物語---日本史への道案内  吉川弘文館 代表取締役社長 前田求恭

*1:仕事で、前橋にいたことがあって…という記述が出てくるが(180頁)、これは一部ネット情報に見られるNHK前橋支局勤務という情報と合致する。

*2國學院出身、のち史料編纂所に入る。1873年生まれ。

*3:八代國治「国史大辞典編纂苦心談」『國學院雑誌』14巻9号(1908年9月)947~948頁。

*4:「齋藤精輔氏の自伝」『明治人物夜話』(岩波文庫、2001)235頁参照。

*5:齋藤精輔『辞書生活五十年史』(図書出版社、1991)109頁。

*6:などとちゃっかり言っておきながら、神保町のオタどんさんがとうの昔に赤堀と田中稲城のことを書かれていたことに今更気がついた。なんという迂闊さなのかとお詫びしてここにオタどんさんのエントリをご紹介します(13/7/6追記)。
赤堀又次郎と田中稲城 - 神保町系オタオタ日記

辞書事典にしたしむの話

図書館におけるレファレンスってのは、何なんだろうとこの頃考えている。私がレファレンスの担当になって、ひと月ほど経った。

『夜明けの図書館』の葵ひなこさんなら、「Q.レファレンス・サービスって何」と聞かれたら、

「司書が利用者の調べもの、探しものをお手伝いするのが「レファレンス・サービス」」

と答えるのだろうか(というかそれは帯に書いてある)。いっぽう私はというと、何か釈然としないまま仕事しているところがあって、そうして再びこの問いに返ってしまうのである。レファレンスというのは、結局何なんだろうか。

夜明けの図書館(2) (ジュールコミックス)

夜明けの図書館(2) (ジュールコミックス)

レファレンス・スキルとは図書館員の資質に関わることなのか、もっと普通の能力なのか。そんなことを考えつつ「昔の人ってどういう思いでこの仕事をしてきたのだろうか」と、色々探しているうちに、『中央公論』に載っていた「国会図書館員の憂鬱」という記事が目にとまった。

住谷雄幸「国会図書館員の憂鬱」『中央公論』82巻3号(1967年3月)200~207頁

リード文に曰く、

知的文化財の宝庫であるはずの図書館を訪れる大学生の利用実態はあまりにお粗末だ。それは教育と文化の危機の現われではないのか

激しい。実際読んでみるとまず大学生利用者への不満がつらつらと書かれている。卒論三週間前になって何か資料はありませんかとやってきて、担当教官も文献指導をしていないらしい学生への不満だとか、原資料を提示すると、「こんな分厚いものでなく、ダイジェスト的なものはありませんか」と聞き返されることを安易だと著者は怒っている。農学部の学生がジャムの作り方を教えてくれと聞いてきたことにすら、筆鋒を向けている。

安易さがしみこんでいる風潮は恐るべきものがある。掲示も読まず、目録案内も読まず、いきなり窓口に来て文献案内を求める学生も多い。そういう学生に限って、質問の内容も極めて幼稚だ。(中略)ものを安易にきくことは、文化を低めることだといったある文化人の言葉が、実感をもって迫ってくる。ある外国人の履歴を知りたいというので欧文の人名辞典を紹介する。しばらくして「ありません」という。そんなはずはないと思って、その辞典をひくと、のっている。このひとはクリスチャンネームで人名辞典をひいていたのだ。これもれっきとした大学生である。図書館のつかいかた、カードや書誌のひきかたを知らない学生は多い。「件名目録というのは何ですか、どうひくのですか」この人は大学図書館を利用したことはないのだろうか。初歩から説明するのには、骨の折れるわりに効果の少ないことである*1

…云々、というところから、東大図書館の岸本構想などに触れつつ、本論は実は大学図書館をもっとちゃんと振興していかないといけないでしょう。という方向につながっていくのだが、書きながらまた怒りが昂進したのであろうか。

「自分の大学の図書館にある外国雑誌を、わざわざきいてくる地方の大学の教官もいる。つまり教官自体が、図書館の使い方を知らないのだ*2」と、また収まらない感じ。

これ、今なら掲載されないんではないかと思うくらい、「お上」意識丸出しに見えるが、いかがであろうか。時代が「そういう大学生の方が悪いよね」と許容する時代だったのであろうか。私なんぞは、ジャムの本くらい教えてあげたらよいのに、と思うのだが、どうなのだろう。

国立のサービスは、地方自治体の公共図書館のサービスとは違うという意識なのか。

大学生ならば相応の教養を見せろということなのか。

いずれにせよ、どこまでサービスすべきかの線引きは、結局時代ごとに変わらざるを得ないのだなというのが透けてみえる一挿話ではある*3

さて、そんなわけで、さしあたってこの仕事をするにあたり、いくつかクリアした方が良い事柄があると思うようになった。一つは、レファレンスツールと呼ばれる資料にしたしむこと。すなわち、「書誌の書誌」や目録の類などはあれど、まずは辞典に精通すること、これが当面の課題なのではないかと思い定めた。

そうしてみると、私の印象かもしれないが、静かなる辞書ブームが来ているようだ。

新解さんの謎 (文春文庫)

新解さんの謎 (文春文庫)

新解さんの謎』から、約20年が経とうとしている今、あずかって力があるのは、映画にもなった『舟を編む』のヒットなのだろう。

それらを語り合い、記憶をわけあい伝えていくためには、絶対に言葉が必要だ。(中略)死者とつながり、まだ生まれ来ぬものたちとつながるために、ひとは言葉を生みだした。(三浦しをん舟を編む』より)

舟を編む

舟を編む

こうした動きに「便乗」したとまで書くと明らかに言い過ぎであるが、三省堂の国語辞典の編者である飯間先生が、辞書編纂の舞台裏―休日、怪しまれないように町の看板をデジカメで撮って周り、家ではビデオを高速で再生するという用例採取についての涙ぐましい努力を綴っているかと思えば、学者芸人のサンキュータツオさんは、まさかの国語辞典擬人化でもって、その辞書ごとの特性を掘り下げていく*4

辞書を編む (光文社新書)

辞書を編む (光文社新書)

サンキューさんは専門が日本語学で修士号を持っておられるそうだが(確か最初に知ったのは、変な論文収集が趣味とかで、博士論文の活用法を新聞で語っていたときだと思う)、文体を敢えて軽めに書いたといういわゆるタレント本で西村茂樹という単語が出てくるとは私も思っておらず、面喰ったりした。しかも後段のオススメ「辞書関連本」としてあげられた文献が、ハーバード方式で記載されているのにも驚いた。

学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方

学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方

共通しているのは、辞書にはそれぞれ癖や個性があるということ。それゆえ是非とも「引き比べ」が重要であることを力説していること、などがある。一番唸ったのは「辞書やことばに、「なにが正しい」という答えはない*5」とハッキリ書いてあったことかもしれない。人文学ってのはそういうものだなと。正しいかどうかわからないから、調べ続け、学び続ける。そういうお手伝いこそが人文系のレファレンスというのかもしれない。

国語辞典もそうだが、百科事典も多種多様だ*6

それだけに百科事典活用法を記した本も、注意深く探して行くと意外とあるものだなとわかった。

まず

  • 索引を引く
  • 複数の百科辞典の記述を比べる

という技のは紙ベースの検索方法としては定石だが、そういえば『国史大辞典』でも、学生時代に時間が無くて、15巻の索引に当たらず、各巻を五十音順で検索してしまい、「ないなあ」とパスしてしまったことが何度かあるので、自戒も込めて「索引を引かなければ素人」と思っておかないと、まずいかもしれない。そんな話は、井上真琴さんの『図書館に訊け』にもあったか。

図書館に訊け! (ちくま新書)

図書館に訊け! (ちくま新書)

  • 見つからなければ専門事典にあたる

というのもある。誰に、どんな需要があるのだ…との不遜な考えが頭をよぎる、そんな専門家向けの事典も、実に多数存在する。歴史上の人物について、人名辞典で見つからない時は諦めずにお墓参りのガイドになっている『掃苔録』の類を引くと出ている場合がある、とかいう話は、この担当になるまで考えたこともなかった。

また、昔からの検索手段からすると「離れ業」になるかもしれないが、JapanKnowledgeに『日本国語大辞典』も『国史大辞典』も『日本大百科全書』も入ってくると、日国の専門用語…一般的な用語ではないものも検索できるし、短い語釈の引き比べならブラウザ上の方が楽かもしれない。

だが、範とすべき境地となると、弥吉光長『百科事典の整理学』(竹内書店、1972)が取り上げている金森徳次郎の「ブラウジング読み」であろうか。話が具体的なので、弥吉が国立国会図書館在職中に直接聞いたのであろう。

彼は天皇機関説をとるものとして昭和11年法制局長官をやめさせられた。それから昭和21年吉田内閣の憲法担当の大臣になるまで10年間、ただ読書生活で過ごした。その間に「世界大百科事典」の前身である「大事典」を徹底的に読んで覚えてしまった。そこで憲法のようにあらゆる角度から検討しなければならないときには、この雑学が大いに役立った。「だから議会の質問なら何一つ恐いものはなかったよ」といって笑った。

百科事典は知識を濃縮したものであるから、読みこなせば大ていのことには通じるものである。しかしわれわれは金森さんほどの読み方を根気よくやる勇気と時間を持たないものである。しかし思わず深入りする無償の行為は貴いものである*7

こういう凄みのあるエピソードを見せつけられると、大学生を叱ったり嘆いたりできるほどの博覧強記が羨ましくもあり、結局自分は頭が悪いからホスピタリティの面で頑張っているかのように思えてきてしまい、恥ずかしくなる一方なのだが、一つでも多くの辞書事典に通暁することが、仕事の質を高めるために今できる、一番確実な方法のようにも思えてきている。



追記

書物蔵さんの古本オモシロガリズムでこの記事をご紹介いただいて恐縮しまくっている。

「いや住谷だとて、当時の図書館員なかぢゃあ、まともなほうだったとは思うよ。」

今と同じではない時代の話だから、そんな気はする。住谷氏の著作は検索すると結構出てくる。レファレンスサービス論のほか、江戸百名山の本を書いたり、図書館史に関する研究をしたりと、かなり旺盛な執筆をしていた人のようである。

*1:住谷雄幸「国会図書館員の憂鬱」『中央公論』82巻3号(1967年3月)201頁

*2:同上、203頁。

*3:というより、このとき槍玉にあげられていた学生の方々が、今定年で勤め先を辞められて、その後のエネルギーをもって図書館にやってくるシニア層の中核だということを思えば、そこに向けてどんなサービスをすべきかという話も、喫緊の課題ではあるまいか。

*4:古語に強い角川くんだけ和服なのに私は爆笑した。

*5サンキュータツオ『学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方』(角川学芸出版、2013)24頁。

*6:実際のどの程度数があるのか探してみたが、『日本の参考図書』という、レファレンスに使えそうな文献と解題を付けた目録が存在し、少し古いデータかもしれないが、それをまとめた結果2万件(件…ということは冊ではなくタイトルだろう)を超えるとの記載があった。(長野裕恵「『日本の参考図書』は2.0の夢を見るか―ハイブリッド環境下での二次的レファレンスツールの模索―」『MediaNet』No.14(2007)→掲載URLはこちら

*7弥吉光長『百科事典の整理学』(竹内書店、1972)88-89頁。

三たび、<アーカイヴ>を思想する、その手前で。

highway61さんから、拙文へのコメントを頂戴いたしました。

「<アーカイヴ>を思想する、その手前で」を読んで - 本の地図、真夜中のグランドで

ほんとうに恐縮してしまうほど、丁寧に読んで下さり、また拙文の問題点を指摘してくださっています。弁解じみたところも出て来てしまうかもしれませんが、応答することを通じて、お礼にかえたいと思っております。

以下、通常の文体でご容赦ください。

ベンヤミンの思想について。

「ちょっと引っかかるところ」として、ベンヤミンの歴史哲学テーゼの私の解釈を挙げられている。私が「相続するだけ、遺してるだけマシなんじゃないですかね?」と書いたところである。

ベンヤミンがここで批判しているのは「従来の歴史家が、支配者の残した文化財をもとに歴史を描いてきた」ということである。そして、それと同時に、彼は「なしうるかぎり[文化財の]そうした伝承から離れ」て、従来の歴史記述を「逆撫で」するのが歴史的唯物論者の使命(ベンヤミンの立場)だと述べている。

この「逆撫で」するというのは、「これまで見向きもされてこなかった対象に目をやって、新たに歴史を描き直し、従来の歴史観をゆさぶる」といった意味合いだと私は理解している。

negadaikonさんの言及では、残されなかった文化財に着目しようとするベンヤミンの主張が抜けており、やはり「遺してるだけマシなんじゃないですかね」というツッコミは片手落ちな気がしてしまう。(ご自身で「問題提起に応えることにはならないけれど」とも付言されているが)

筆が滑ったというのは言い訳にもならないが、ここで批判頂いたことは、正当だと思う。確かに私の書き方だと、ベンヤミンが「歴史」に対してもっている切迫感を故意に切り捨てている印象は否めない。また、以下に指摘されている、地下出版の問題など、排除されてきた資料を含めて歴史を再構成していかないといけないという指摘も、異論はない。

ただ一点、私がベンヤミンを読んだときに気になったところは、言い訳めくが、「そういった歴史に残るか残らないか分からないような文化財も含めて歴史は再考されていくべきだという主張が、ベンヤミンの主眼だと思う」というとき、そういった排除された資料群を、果してベンヤミンが「文化財」と呼ぶかどうかだった。呼ばないのではないか、と思ったのである。

図書館なり文書館なり博物館なりが「文化財」を保護するという論理で蒐集していくものを多様化していく努力を行なったとしても、それは結局、ベンヤミンに言わせれば、どこまでも「勝者たち」の財産目録を豊富にするだけであって、終わりなく「文化財」から排除される資料を生み出すことになっていくという議論になっていくのではないか。つまりどこまで行っても、資料保存機関はベンヤミンの期待に答え得ないのではないか…。

そういう問いを、「遺してるだけマシなんじゃないですかね」という形で切り返した私は軽率に違いないが、ベンヤミンの議論からは、すでに別エントリで指摘されているように、色々な物語を引き出して行く、読み方、解釈の面白さがあるし、また、多くの議論があるように、メディア理解の知見を引き出すことも可能である。『複製技術時代の芸術作品』に見られるような展示的価値の議論など、ある資料群を理解したり、活用する方法については、ベンヤミンの議論はなお魅力的であり、学ぶところがたくさんある、と私は思っている。

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

けれどやはり、ベンヤミンの書いたものから、歴史解釈に関するヒントは引き出せても、資料保存機関の積極的な意義を引き出すのは難しいという印象を私は持った。その辺は、歴史叙述と、資料保存の間にある、ズレということがあるのかもしれない。あまりちゃんと認識していなかったと後でそのことに気付いたので、これは後半でも再度取り上げる。

歴史の重要性について

コメントいただいた「進歩や発展のためには、過去を乗り越えるために、過去をよく認識し、学ぶ必要がある。だから歴史は重要である」というのは、これは明らかに私の書き方のミスだが、一例として提示した判断にすぎず、私自身の主張というわけでは必ずしもない。そうもいえるな、と思うことはあっても、私が自分の言葉で第三者に歴史の意義を説明しようと思うときには、この論法は使わないと思う。

進歩や発展という理念は、仰る通り、「前後・上下の価値観を少なからず含んでおり、ある種の差異化を図るために、使いやすい・濫用されやすいものだ。だから、現代思想でも植民地主義等の文脈で批判の対象になってきた」のであり、このような命題が、徐々に説得力を失いつつあると感じている。では、どのように歴史の意義を説明すべきか、そのことを考えていきたいと思っている。

歴史を哲学する (双書 哲学塾)

歴史を哲学する (双書 哲学塾)

まだ、なかなかうまく説明できないのだけれど。逆に「大きな物語」終焉後においても、歴史を「物語」(story)としてでなく「物語る」(narrative)ものとして、再定義を試みるものからも学んで行ける気がする*1

最後に、私が書いたなかで示した

現代思想についての懸念について

一番核心の部分について「「歴史の否定→資料の不要」といったイメージをやや抽象的に描いていないだろうか。」という指摘をいただき、正直自分の書いたことを反省した。歴史の価値が相対的に減少するとそれに対応して資料が不要になる、というのは、確かに自明ではない。集積してきた資料を使って何かを導き出す営みがあるとして、それが歴史だとは限らないからである。

現代思想に通じる人からは、「多様な資料を残すべきだ」という主張はなされても、「資料は要らない」という話は出てこないはずだ。ベンヤミンでもよいし、現代思想から派生したポストコロニアル批評でもカルチュラル・スタディーズでもよい。遺す資料の偏りについては、批判される可能性は十分にあるが、それは資料保存に携わる者は傾聴すべき事柄だ。

これも、その通りだな、と思った。先ほどのベンヤミン理解ともしかしたら矛盾するかもしれないが、人文学の最大公約数的な特徴が、他者の声に耳を傾ける、自分以外の誰かが作った作品なりテクストを「読む」―その上で再構成していく、ことにあるのだとすれば、近代的な知の布置や、あるいはそこにもたらされるカテゴリを批判していくためには、結局のところ、従来型の資料からでは立証することができなかった「新しい資料」の要請が生じてくるはずである(それが当面「文化財」と呼ばれなかったにしても)。そして恥ずかしながら、私自身これを過小評価していたと思う。

指摘されているボルツのハーバーマスへの抵抗は、まさに今読み進めているので(だから余裕があったらまた感想を書いてみたい)十分に消化した上でお答えすることができないが、例の記事を書いたあと、デリダの国際哲学コレージュの取り組みや、『条件なき大学』などを読んでいて、むしろ彼が人文学の存亡に強い危機を持っていることを改めて知り、現代思想系の議論にあらためて興味がわいてきたところだ。それを消化して自分なりの言葉に変換して行くのは、まだ相当時間がかかりそうだけれど。

哲学への権利

哲学への権利

前のエントリを書いたときに、ぼんやりとしか考えられていなくて、明確な形で表現できていないな、と今回コメントをいただいて改めて気付いたことが、いくつかある。第一に、歴史に対する現代思想の攻勢というのが、例えばイーグルトンのポストモダニズム批判――「大きな物語」を批判する論者たちが取り上げている小さな物語の存立根拠が結局全体の存在を前提にしている、というのを、私がかなり俗化した形で理解していたこと。

第二に、自分がそういうイーグルトンの立場に身を寄せるかというと、決してそうではなくて、本当はもっと現代思想の議論から学びたいなあと思っているところを斜に構え過ぎて、かえって素直に読めない見方をとっていたかもしれないこと。

第三に、歴史の記述方法ということと、図書館で資料を遺すという別個の問題群を、何か一緒にして一気に考えようとしていたこと。これは、反省点でもある。そして、先のエントリを書いたときの私の興味の重心は、どちらかといえば後者にあった。要するに、図書館のミッションなりが今までのような形で立ちいかなくなってきたときに、とくにその利活用のレベルの話でなくて、利活用とセットで論じられていいはずの<アーカイヴ>をめぐる理論的な構築というのは、新しい価値観を作っていこうとしている現代思想の議論を参照にして、どういう風に学べていけるか考えたいと思っていた。

タイトルに「、その手前で」と付けたのは、照れ以前に自信がなかったからなのだが、コメントをいただいて改めて考えながら、あらためて思うのは、図書館というのは、やはり多くの場合、思考の「外部」なのだろうと。フーコーが図書館好きだったり、そこから言表の集蔵体(アルシーブ)を構想した、ということはあるのだけれども、逆にデリダが、

「記載の場所のない、反復の技術のない、何らかの外在性の存在しないアーカイヴは、存在しない。外部のないアーカイヴはない」

と語っていたように、思考の自律的な展開のうちにア・プリオリに、過去のあらゆる知識を納めるようなデータベースは、格納されてこないのだろうと、思った。私自身は、直接「使える」言葉やレトリックや考え方を、思想家にせっかちに求め過ぎていたかもしれないと思う。「遺す資料の偏りについては、批判される可能性は十分にあるが、それは資料保存に携わる者は傾聴すべき事柄だ。」と仰っていただいた通り、結局、それを考えるのは、最終的に図書館にいるわれわれの仕事だということを、いまになってようやく思い始めている。

改めて、コメントを下さったhighway61さんに御礼申し上げたい。

*1:全然追いかけられていない、ヘイドン・ホワイトの問題提起などもこれから読んでみるつもり

文化と社会のパラドクスについて――明治時代の「美術」問題から

 芸術は誰のものなのか。みんなのものなのか、あるいは見る人が見て分かれば良いものなのか。マルクス主義なら使用価値に対する交換価値としてこれを論じるだろうし、文化人類学なら生存財に対する威信財としてこれを論じるだろう。そのパラドックスは、私が愛してやまない『ギャラリーフェイク』第一話のモネのつみわらの話に集約的に表現されている。

ギャラリーフェイク(1) (ビッグコミックス)

ギャラリーフェイク(1) (ビッグコミックス)

 何故急にこんなことを考えついたのかというと、最近、芸術は社会に役立つべきか、とか、あるいはモラルに著しく反する芸術は許容されるべきか、とかいう話題を立て続けに見たからである*1

 ここで時事的な問題をあれこれ批評する趣味は全くないし、当事者の人たちがしかるべく対応されているので、何にもできない私が介入して付け加えるべきことはないのだが、ただ一つ、こういう問題設定による議論が立て続けに起こり、反復されるということが、今現在の時点で、それなりの説得力と波及力を持って見えてきたことに、少々面食らった。

 面食らった理由は二つ。

 一つは、日本の文脈に限定しても、この問いは120年近く前にあった問いと酷似していること。まさしく、「なんと悠長な、とお叱りを受けるかもしれないが、悠長なことだけが長い時間軸でものごとを考える歴史屋の取り柄だからしかたない*2」というほかない感想である。120年前のことが忘却されている苛立ちとでもいおうか。

 二つめは、むしろこっちの方こそ考えるべき問題だと思うのだが、似た形の問いが反復されるとして、発生条件・環境の違いはどこにあるかである。

 以前も書いたかもしれないが、高校生の頃画家になりたくて、その後結局大学で歴史を学ぶことにして、ただ興味の赴くままにどういう風に歴史を考えようかと彷徨ってきた私にとって、芸術と社会の関係というのは、割と切実な問題だった。結局、図書館に就職した今も、図書館史の勉強を初めて、恥ずかしながら顕著な成長もないままに、文化だの社会だのにまつわるあれこれをしょっちゅう考えたりしている。

 もちろん図書館の本は芸術作品ではなくて、また複製技術の産物なのだけれど、しかし文化の構成要素ではあろう。私の場合、文化についてきちんと定義しようとするといつも話が拡散してしまい、おそらく以下の文章も全くそのような代物になっていく予感しかしないのであるが、それはともかくとして、面食らうような出来事を一つのきっかけにして、芸術とそれを包摂するカテゴリとしての文化について、文化と社会との関係とか、文化と道徳の関係とか、思いつくままに書いて、後日検討の材料にしたい、と思った。

 また前置きが長くなった。その上になお、今回もまたダラダラと長いので(しかも大した結論が出ていないことも)ご容赦いただきたい。

近代美学の語り

 まず、近代美学の前提として、「美」というものは利害や真とか善とかいう価値に規制を受けない、それ自体で自立した価値を持つという説がある。カントが『判断力批判』で提示した無関心説は、これも解釈についての長い論争史が存在するけれど、極めて乱暴にいえば、役に立つという功利性を第一義とした製作物は、すでに芸術というよりも実用品であり、また、道徳的な善を志向するもののみが美であるということはできないということを示唆している。反道徳的な美は存在してきたし、また美は道徳に従属するものでもないからである。

判断力批判 上 (岩波文庫 青 625-7)

判断力批判 上 (岩波文庫 青 625-7)

 この説は、場合によっては聞いた人の嫌悪感を催す可能性はあるが、しかしその論理を極限まで推し進めると、盗みを働く行為を描くのは大変悪いことだから、映画「レ・ミゼラブル」を見てはいけません、みたいな、やはりどこか変な話になってしまう。また、実在しない、フィクションでも美しいものはあるのだから、もちろん美は真にも従属しないことになる。カントが、ケーニヒスベルクの地を一歩も出ないで、例えばピラミッドとか実物を一度も見たことがないのに、書物のなかで美論を組み立てた、という批判?もあるけれど、それでも彼の美学思想は高く評価されている。

美学の逆説 (ちくま学芸文庫)

美学の逆説 (ちくま学芸文庫)

 ついで、この無関心の美は、利害を考慮に入れないという話であるとともに、人間には共通感覚が備わっているので、利害が入って来なければ、逆に、多くの人にとっても普遍妥当性を持つという話へと接続して行く(通常、それが美学という学問の成立根拠だとされる)。つまりこれによって、主観的な話ではなく、美は共同性の次元において論じられることになるのである。

 ハンナ・アレントはカントのこういう構想を政治哲学の次元に結び付けて新解釈したので、美と政治という、一見関係が自明で無いようにみえる主題が、むしろ最近では、政治思想の一局面として前掲化してくることになった。例えば美的な、あるいは文化的なナショナリズムの問題と接する形で。

 他方、芸術は資本主義社会の中ですっかり商品化されてしまっており、利害抜きで美を云々するのは、そもそも無理だといわんばかりの見解もある。ベンヤミンとか、フランクフルト学派の場合である。ただ、その場合であっても、芸術だけが持っている特性が、資本の論理に晒されながらも、社会に欠落しているもの、忘れられている価値を照らし出す、という一種の啓示的なニュアンスが芸術の意義として分析されるし、複製技術がもたらす知覚の変容は、芸術の領域においてもっとも先鋭的に表れるという分析もなされる*3

ヴァルター・ベンヤミン――「危機」の時代の思想家を読む

ヴァルター・ベンヤミン――「危機」の時代の思想家を読む

美のイデオロギー

美のイデオロギー

明治日本の「美術」をめぐる諸問題

 ところで、真善美とは西洋哲学由来の価値の体系であり、哲学的なニュアンスを含む日本の「美」というのは、明治思想史をかじったことがある人ならおそらく周知の話になるのだが、翻訳語である。もちろん、「うつくし」とか「うるはし」とかいう古語はあり、形が整っているとか味が美味しいとかそういう意味では使われていたのだが。また、白川靜が「大きな羊」をみんなで分け合うことが美なのである、と言っていた気もする。

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

 

 明治初期には「美学」という語自体が安定せず、西周によって「佳趣論」とか「善美学」とか訳されていた。森鴎外は「審美学」にこだわった。そうして、美的価値の意義を他との関係でどう位置付けるかという、こののっぴきならない翻訳と苦闘が、近代日本の美学史を彩ることになる。

近代日本「美学」の誕生 (講談社学術文庫)

近代日本「美学」の誕生 (講談社学術文庫)

 ついでにいうと、やはりこれもファインアートの翻訳語だが、「美術」は、少なくとも明治初期において、たぶん今でいうクールジャパンとか何とかと次元が違うレベルで、対外的に重い位置付けを与えられていたということも重要である*4本当に国の威信がかかっていて<日本は世界に冠たる「美術」の国なのである>という戦略的な言い方が、条約改正交渉を課題とする政府でも民間でもなされていくようになる。

眼の神殿―「美術」受容史ノート

眼の神殿―「美術」受容史ノート

〈日本美術〉誕生 (講談社選書メチエ)

〈日本美術〉誕生 (講談社選書メチエ)

 もっとも、この時期の「美術」振興論に分け入っていくと、「この茶碗は茶碗として売ると、買い叩かれるけれど、美術品として売れば高く売れて国が豊かになるので、是非とも「美術」を振興すべきである」みたいな発言も(衆議院の議事録などにも)あって、今だといいのかなあとちょっと思ってしまうレベルかもしれないが、それだけ当時としては色んな人に問題が共有されていたことの証左でもあろう*5

 そんなこと言ったって小説家も画家も安定してご飯食べられないし、国が口先だけ「美術」の価値を説いて何になるんだ!という意見は(たぶん)当時もあったと思うのだが、あまり表面化しなかった。「美術」が世界で評価されることは、それだけ日本の対外的な地位向上に貢献したわけで、その声の方が大きかった。

明治国家と近代美術―美の政治学

明治国家と近代美術―美の政治学

 こうして、日清戦争の後にたぶん頂点を迎える「美術」振興のなかで、改めて登場してくることになったのが、「芸術は社会に役立つべきか」とか「あるいはモラルに著しく反する芸術は許容されるべきか」という問いなのである。展示会場に裸体画を置いたら布で隠した、とか、口絵にヌードの洋画を入れたら雑誌が発売禁止になった、とかそういう話である。1900年のパリ万博は、日本史学の分野でも重視されているが、まさしく「美術」を通じて日本の来歴を語ろうとする、一大イベントとなった。

 高山樗牛のように、大学でちゃんと哲学や美学を学び始めた美学者は、「日本主義」を掲げて国民道徳の重要性を訴える反面、内心では、美が道徳の下に置かれるのは馬鹿馬鹿しいと考え、美の真義を理解しない社会の風潮のほうが悪いのであると思っていた節がある。例えば裸体像を見たら、劣情を催す奴が馬鹿なのであって、そんなやつのためにこれから発展の余地がある美術が汚されてたまるか、みたいな話である。

高山樗牛―美とナショナリズム

高山樗牛―美とナショナリズム

 彼は、「美術」とは一国の花であるといい、その花がつぼみもつけぬ前に枯らされてたまるか、と、あるときは国家主義的な見地から、またあるときは個人主義的な見地から、さらには宗教的世界にも思索を進めながら、そのことを弁証しようとした。美術家に対しても、好き勝手に物を作るのではなく、社会にもその意義が十分伝わるような作品は、どういうことに留意したら作れるか、語った。彼は、32年間の生涯の最後の10年をほとんどそれに費やしたように私には思える。

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高山樗牛墓地・静岡県静岡市清水区(2001年8月撮影)勧富山龍華寺

 道徳からの自立性を担保しつつ、本当にみんなが美しいと思えるような芸術作品の登場を待ち、しかもそれを社会全体でバックアップできるように、社会的な合意を調達できる方向に繋げていく、というのは、何か針の穴に縄を通すような難題というか曲芸のような話なのだが、明治時代の人がやろうとしていたのは、要するにそういうことだった――そしてこの文化と社会のパラドックスとでもいうべきジレンマは、「東洋一の大図書館を作るぞ」という理想を掲げながら3分の1が完成したところで日露戦争に突入してしまい、賠償金が取れなくて、軍事費が増大しつづけるのに外債と増税で国家予算をなんとかしていくしかなくなってしまって、結果としてずっと増築が後回しにされ続けた某国の図書館においても無関係とはいいきれまい――。

 だからとりあえず、この点を抜きにして、いいとか悪いとか個々人の想いだけで是非を判断するのは、悠長な歴史屋としては、近視眼的に過ぎてあまりよくないように思えてしまうのである。大問題だから、考えるなら、私も、色んな人巻き込んで一生懸命考えます。だからすぐ結論に飛びつくのはやめにしませんか、と言いたかったりする。


「批評」は変わるのか、それとも変わらないのか。

 第二の問題として挙げた、似た形の問いが反復されるとして、発生条件・環境の違いはどこにあるかについてもちょっとだけ触れておきたい。要するにそれは「批評」に関わっている。「批評」の活動は、社会というスクリーンを前提にしており、難解な作品の意義について作者に代わって広く一般に向けて発信したり、あるいは作者が意図していないことを様々なコンテクストをつなぎ合わせることで明るみに出して、芸術の発展に貢献する理論構築をしたり、という役割を引き受けることになる。

僕が批評家になったわけ (ことばのために)

僕が批評家になったわけ (ことばのために)

 新しい文化の発展には、新しい批評家が必要なのだ、と確か以前どこかで東浩紀氏も言っていた気がする。「批評」という言葉も、いわゆる人文学を専攻した以外の人にとっては、あまり肯定的に受け入れられないニュアンスを持ったものかもしれないのだが、ごく限定的な意味では、芸術批評の意味で用いられてきた。そしてそのことによって、近代日本の思想史を読みなおそうとする試みも、少なくない蓄積が出てきている。

近代日本の批評3 明治・大正篇 (講談社文芸文庫)

近代日本の批評3 明治・大正篇 (講談社文芸文庫)

 「批評」の歴史については、明治の一定期間は、批評家の格は美術の価値を論じることのできる「美学」にどれだけ通暁しているか、によって決していたといってもよい。それが激しい「大喧嘩」にもなった。

文豪たちの大喧嘩―鴎外・逍遙・樗牛

文豪たちの大喧嘩―鴎外・逍遙・樗牛

 小林秀雄が「様々なる意匠」において、「近代批評」を確立したというのは、良く言われることだが、そのなかではもはや「美学」なんか役に立たないよとも言っていた。この辺の意味を、昔から計りたいと思いながら上手く出来て来なかったのだが、一つ思いついたのは、小林の「様々なる意匠」は、言説それ自体はもちろんのこと、円本ブーム以後の、読者の拡大というコンテクストを踏まえた上で読まれるべきなのではないか、ということだ。

 すでに指摘のあることなのかもしれないが。「美学」が利害関心を顧慮しない快感情を「美」と名付けて、それによって保たれていた均衡は、見方によっては、読者の拡大によって当てにならないものとして清算されてしまったともいえるのかもしれない。それはアイロニカルだが、<戦前的価値>であるとも。少なくとも戦後民主主義の価値観ではない。そう思ってみるとアドルノ小林秀雄は、確か、一歳違いの同時代人である。

小林秀雄初期文芸論集 (岩波文庫)

小林秀雄初期文芸論集 (岩波文庫)

 「読者」が増えれば、「批評」も変わる。昔と同じ形式では持続が不可能かもしれない。とすれば、ネットが普及した今ではどうか。コンテンツも変わっている。批評家の職業的自立性も(それが以前存在したと仮定した上での話だが)よくわからなくなってきたなかで、改めて次のベンヤミンの発言が目を引く。

十九世紀の終わり頃、ある変化が生じた。新聞・雑誌がますます拡大し、たえず新しい政治的・宗教的・経済的・職業的・地域的機関紙(誌)が読者に提供されるに従い、しだいに多くの読者が―はじめは散発的に―書き手の側に加わっていった*6

 受け手が書き手に自由に交換可能になる空間。そうすると今浮上してきている問題は、価値や概念の再分配、芸術なり文化なりの再定義の必要性という新しい事態なのだろうか。

 芸術とは何のために、あるいは文化とは何かという問いが出てくるのは、面食らうけれど、そのように考えてみるとこれはやはり、私も含めてちゃんと認識すべき、変化の兆しなのだろう。「社会に役立つ芸術」って、あれそんな素朴な話に肯定的でいいの?とか、私などは反射的に思ってしまうけれど、「役立つ」という言葉にしても直接間接のいくつかの次元がありうるし、またそういうのを考え直すべきときに来たんだという見方も成り立つかもしれない。

 120年前の出来事について、ゼロから考え直すのではあまりに寂しい。さりとて結論が出ている問題というわけでもない。文化が積み重ねであるならば、そして図書館が文化を守り伝えるんだという使命を有しているのならば、そういうなかでは、きっと歴史の知見が役立つこともあるだろうし、気づきもありえると思う。今回、ちょっとした刺激から始まって色々考えてみたのは、社会と文化を徹底的に対立させるでもなく、あるいは、社会の論理の圧倒によって、文化の領域が閉塞していかないような議論の積み重ねをしたいというありふれた感想だった。

 自分でも結局何が言いたいのかよくわからないオチになってしまって愕然とするほかないが、文化と関わる図書館の末端であえぎつつ、この問題、もう少しまだ考え続けてみる。

*1:そういえば思い出したが、科学的合理性に著しく反する疑似科学の本を、図書館の分類で科学の棚に置くべきか、という話も見た。ついでのように書くなとおしかりを受けそうである。

*2與那覇潤「日本化する中国?毛沢東という「国体明徴」」東洋経済ONLINE -2013年1月17日 Last access-2013年2月12日)。

*3仲正昌樹ヴァルター・ベンヤミン』345頁の「ネット時代」にベンヤミンを読み直す意義についての記述参照。またイーグルトンは、アドルノにおける「芸術」を「存在の理想化された領域といったものではなく、むしろ矛盾の具体化」と形容している。『美のイデオロギー』484頁。

*4:「美術」は、明治5年、ウィーン万博の出品目録に登載されたものが最初となっている。詳細はこちら。第22区を参照。割注で「西洋ニテ音楽画学像ヲ作ル術、詩学等ヲ美術ト云フ」と説明されている。

*5:余談だがこの構造は「デジタル化」っていうと予算が付きやすいという都市伝説みたいな話にうっすら似ている気がする。「美術」振興は、何よりもまず、殖産興業の一環でもあった。この辺詳しくは佐藤道信『明治国家と近代美術』(吉川弘文館、1999)参照。私が卒論で計り知れない影響と恩恵を被った本でもある。

*6ヴァルター・ベンヤミン・浅井健二郎訳「複製技術時代の芸術作品」『ベンヤミン・コレクション』Ⅰ(ちくま学芸文庫版、一九九五年)所収、六一二頁。

ジャック・デリダ『アーカイヴの病』読書メモ―<アーカイヴ>を思想する、その手前で。

※前回前置きで終わってしまった記事の続きです。

原題は”Mal d’archive.”1995年刊行。英訳すると”Archive Fever.” “mal”は「苦痛」。外務省のHPにも咄嗟のフランス語みたいなページがあって、それを見ると、頭痛は” mal de tete”とかあるので、そういうニュアンスのものらしい。Amazonで英訳本を見ると、燃え上がる火が表紙に用いられている。

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しかし何故デリダが、ということをまず思った。私の貧しい哲学知識を駆使すると、脱構築をキーワードにして、形而上学を批判し、ことばと意味のズレを強調し、むしろ次々と意味の連鎖が生じてくるところから、構造主義を乗り越えようとする思想家が、なぜ資料の保存、アーカイヴについて思索するのだろう。


フランス的伝統?

そんな風に考えると同時に、別の観点からいえば、まさにそれがフランス的伝統だという感じがしなくもなかった。フランスの国の文書館(Archives nationales)は、フランス革命の直後に出来た近代的公文書館の嚆矢とされるものであるし、国内の出版物をあまねく集めるための納本制度にしても、そういえばフランソワ1世治世下のフランスで始まったものである*1。ただの思いつきでしかないが、国家が強力に図書や記録を集める、その事が国家の国民に対する責任であると考える知的伝統が、おそらくフランスでは他国と比べた場合、相対的に強いのではなかろうか*2。フランス元国立図書館長のジャン・ノエル・ジャンヌネー氏がGoogle電子化プロジェクトと戦っていたことは記憶に新しい。

さらに、書物の社会史を構想し、図書館の文化保存の機能について、過去の読書スタイルも含めて媒体を保存するべき、と説いたシャルチエの研究も、フランスの知的伝統を引くものとして読むと考えさせられるところが多い。

「文字遺産のデジタル化によって、修正・加筆が容易な、開かれた書き言葉(エクリチュール)が生まれる可能性があります。それは、18世紀以来の習慣である、書物をまとまった著作としてとらえる読書のあり方を揺るがすものです。(中略)デジタルテキストは、そのアーカイブ化、保存の問題を図書館につきつけています。そして図書館には、これまで読まれてきた媒体を保存し、専門家だけでなく一般に開放することも求められています。図書館は、文化遺産を保存する場所であると同時に、人々が文化遺産を介して研究や教育などのコミュニケーションをもつための公共的な空間でもあります。様々な言葉――言説や書き言葉、そして語られる言葉(パロール)が交わされる場所なのです。一部の図書館では、蔵書をマイクロ化あるいはデジタル化した後に、廃棄したり閲覧させないというような悪しき政策がとられたことがありました。しかし、たとえあらゆる文字遺産がデジタル化されたとしても、昔の媒体を保存し伝えることは、図書館の何よりも重要な使命です。図書館は、新しい技術を見据えるとともに過去からの継承をふまえ、デジタルテキストの世界における新しい秩序を構築する方法を探っていかなければなりません。*3

書物から読書へ

書物から読書へ

グーテンベルク以降、印刷技術は確かにドイツで発達していたけれど、領邦が存続して統一国家形成ではフランスに遅れる形となったドイツの思想圏のテクストでは、言うまでもなくヘーゲルや、マルクスのように、「歴史とは何か」という、いわば歴史の目的論の議論は発達しているけれど、哲学や思想の分野において、歴史を紡ぐ資料を提供する図書館なり文書館のアーカイヴの主体に関する議論が、どうも相対的に希薄な印象がある*4


1994年6月5日、ロンドン、国際会議「記憶―アーカイヴの問い」

さて、『アーカイヴの病』である。副題に「フロイトの印象」とある。この「印象」という単語に、印刷機械を使って外部に刻印する(impression)というところから始めて、デリダは二重三重の意味を被せていて頭を抱えてしまうのだが、省略する。

デリダの本にしては丁寧に書いてあってわかりやすいという評も見かけるが、以下に述べる事情によって、普通には理解はしにくい本であると思う。たぶん、それが同業者の間で、主題の割に、本書を読んだ感想が上がらない理由の一つなのかなと思う。

このデリダの講演は、1994年に、ロンドンにあるフロイト博物館が定期的に行っている講演会の一環として行われたものだそうである。フロイト博物館Freud Museum London)は、ナチスドイツのオーストリア併合に際して、ロンドンに亡命したフロイトが、亡くなるまで住んでいた家なのだそうである。ちなみに、ウィーンにもシークムント・フロイト博物館(Sigmund Freud Museum)がある。だから、聴衆はある程度フロイトに関心を持っていることが前提とされている。また、本題にあたるthesis(諸命題)の前置きが本書の7~8割を占めているという謎の構成になっているし、しかも前置きのほとんどが、デリダが発想のヒントを得たとされるヨセフ・ハイム・イェルシャルミの『フロイトモーセ』(“Freud's Moses”)の読解と解釈に充てられているし、しかもイェルシャルミのこの本は、今のところ邦訳が存在しないようである(私も読んでいない)。

この時点で、なんだかもう私には語る資格が全く無いようにしか思えないのだが、一つの哲学用語として<アーカイヴ>が位置づけられるとすれば、それは一体どういうものなのか、何とかしておさえておきたいという個人的な思いだけで、続きを書いてみる。

この本の書き出しは<アーカイヴ>の語源、アルケーから始まる。

Arkhēというその語は、始まりと掟を同時に名指すことを思い出そう。この名は、外見上二つの原理を一つにまとめ上げている。一つは、自然あるいは歴史に従う原理で、物事が始まるところ――自然学的、歴史的あるいは存在論的原理――である。しかしそれはまた、法に従う原理であり、人々と神々が支配するところ、権威が、社会秩序が行使される場であって、この場所においてそこから秩序が与えられる――法規範論的原理でもある*5

すでに最初から二重の意味を帯びた語として、アルケーがある。

どのアーカイヴも、われわれはそれからいくつかの結論を引き出すだろうが、創設するものであると同時に保守するものだからである。革命的にして伝統的である。この二重の意味で、経済―法的なアーカイヴは、保管し、保留し、貯めるが、非自然的な仕方で、つまり、法を作り従わせるか、人々に法を尊敬させることによってである*6

この箇所、原文が参照できないので大変辛い。日本語としても不自然な気がするけれど、始まりであると同時に保守するところで、しかもそれを法の力で行うという理解でとりあえず良いだろうか。

ところで私は、正直にいえば、なんでフロイトから<アーカイヴ>の概念が取り出せるのか、最初全く想像がつかなかった。

しかし、最後まで読んで少しだけわかった気がする。ごく当たり前の話として、<アーカイヴ>は「記憶」に関わるからだ。そしてフロイトは「記憶」をめぐる哲学的思考に、新地平を切り開いた一人ということが確かにできる。

デリダフロイトの局所論(前意識・意識・無意識)と、それに関連する「記憶」のあり方、「想起」「自発的記憶」」「抑圧された記憶」等々の構造的な議論を意識している。そうして「記憶」が書き込まれる場所の存在を問題化しようとしている。これも当然の話に思えるが、<アーカイヴ>は次のことを前提にしている。内側から「外部」に記録されたものを作成するという行為である。

記載の場所のない、反復の技術のない、何らかの外在性の存在しないアーカイヴは、存在しない。外部のないアーカイヴはない*7

この外的なものに、文字などといった人工的な記憶が位置づけられてくる。フロイトもそれを受け入れた。記憶を再生するための補助的な装置として。


外部記憶

ここで、アーカイヴの外部性が問題になっていることを理解するために、補助線として、プラトン以来の「記憶」の問題――文字を獲得することによって、より人は忘れるようになり、イデアに至る道がむしろ閉ざされていくようになる、という問題――を思い浮かべるべきなのだと思う*8

ソクラテスパイドロスとの対話のなかで、文字を持つことの意味を説明するために引き合いに出したエジプトの昔話にこうある。

人々がこの文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には、忘れっぽい性質が植えつけられるということだろうから。それはほかでもない、彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫り付けられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからである。じじつ、あなたが発明したのは、記憶の秘訣ではなくて、想起の秘訣なのだ。また他方、あなたがこれを学ぶ人たちに与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない。すなわち、彼らはあなたのおかげで、親しく教えを受けなくてももの知りになるため、多くの場合ほんとうは何も知らないでいながら、見かけだけはひじょうな博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代わりに知者であるといううぬぼれだけが発達するため、つきあいにくい人間となるだろう*9

パイドロス (岩波文庫)

パイドロス (岩波文庫)

ところでフロイトは、記憶を再生するための補助的な手段としてであれ、文字。人工的な、外部化された<アーカイヴ>を容認した。

<アーカイヴ>を思想するということは、「記憶」を相手にするという場所に開かれていく。

だからデリダは、フロイト精神分析が<アーカイヴ>の思想に決定的な影響をもたらしたことをこうも言う。

確かに、フロイト精神分析はアーカイヴについての新しい理論を提起していることになる。それは或る局所と死の欲動を考慮に入れており、それらがなければ実際に、アーカイヴに対するいかなる欲望も可能性も存在しないであろう*10

もはや誰も、前もって何らかの仕方で、このフロイトの印象によって跡づけられてしまうことなく、これについて語ると主張することはできず、できないはずであろうし、よってそうする権利も手段も有していないのである。ここでフロイトの印象と呼ぶものを、良かれ悪しかれ、首尾一貫してもしなくても、承認しても否認しても、組み入れることなしにそうすることは不可能であり不当である*11


アーカイヴの病とは何か

そうすると気になるのは、やはり「アーカイヴの病」とは何なのかである。

これは保存の欲求に対置されるフロイト死の欲動に対応するもので、次のように説明されている。

それは働いているが、つねに沈黙のまま作用するからには、それにとって固有であるようなアーカイヴを残すことは決してない。この欲動はそれ固有のアーカイヴをあらかじめ破壊する。あたかもそれこそまさに、その最も固有の運動の動機そのものであるかのように。それはアーカイヴを破壊するために、すなわち、それ「固有」の諸痕跡を抹消するという条件でのみならず、それらの痕跡を抹消することを目指して働く*12

このアーカイヴを消しつくそうとする欲動が、アーカイブ化の条件の核心において、アプリオリに導入されている。

デリダフロイト精神分析に寄りながらアーカイブの特性として見出したのはこの点であり、そういう暴力的なものによってもたらされる緊張、あるいは矛盾した状態に置かれていることが、アーカイヴの病にほかならない。

では、アーカイブはそうして自閉的な場で死の欲動に喰いつくされながら病んで終焉にむかっていくのだろうかというと、どうもそうでもないらしい。何故だろうか。

アーカイヴは、未来に対して、未来から開かれているからである。ここから、一気にデリダのメシア性とメシア主義の議論に飛んで行ってしまって話が混乱するが、「何のためにこれを保守するか」その理由を今現在からははかることができない。だが、未来にとっては役立つことがありうるという保存の理念に近いものとして見れば、それなりに理解可能な記述である。

アーカイブの問いは、繰り返し言えば、過去の問いではない。それは、われわれが既に所有していたりいなかったりする、過去すなわちアーカイヴについてのアーカイヴ化可能な概念に関する問いではない。それは未来の問いであり、未来そのものの問いであり、明日に対する応答、約束、責任〔応答可能性〕の問いである。アーカイヴは、それが何を意味するだろうかをわれわれが知りたくても、われわれはそれを、来たるべき時においてしか知らないだろう。おそらく。明日にではないが、来たるべき時に、もうすぐか、それともおそらく決してないか。亡霊的なメシア性がアーカイヴの概念を働かせて、それを宗教のように、歴史のように、科学自体のように、約束という非常に特異な経験に結びつける*13

アーカイヴは、欠乏に苦しむところから、求められてくる(フランス語でいうと、本書標題の“Mal d’archive”は“en mal d’archive”とすることで、このような意味になる…らしい)。アーカイヴが無いところで、原初の起源に帰ろうとする強迫的な欲望(これがノスタルジーと呼ばれる)を自らに抱え込む。

アーカイヴの病が、欠乏からアーカイヴ化を求めていく欲動と、アーカイヴを隠し、破壊しようとする欲望において二重化される。

なお、1960年代から活動を開始したデリダの思想は、初期には「脱構築」や「グラマトロジー」についての理論的叙述がまさっていたが、70年代以降、『散種』(La Dissémination)等の著作で、書くこととそのものを思索の遂行と並行させる叙述をし出し、文学作品を解釈するテクスト理論として受容された。ところが80年代以降になると、正義とか応答責任とかいった主題が前景化してくるようになり「倫理―政治的」転回を遂げたとされている*14

ビフォア・セオリー―現代思想の“争点”

ビフォア・セオリー―現代思想の“争点”

その点で、この1994年の講演である『アーカイヴの病』も、記憶の問題を手掛かりにして、応答責任といったことを考えようとしているものだということはできそうである。

面白いのは、フロイトが「これを印刷(≒印象)すべきかどうか」と自分のメモ類について悩む部分から、「何を隠したかったか」「何が隠せたのか」を問おうとする発想かもしれない。「歴史記述のあるべき姿とは」が書いてある本だとか、Amazonの内容紹介に載っているが、私が読解できた範囲でいうと、正直誇張だと思う。ただ、次のような、フロイトの伝を書く可能性が示唆されているにすぎない。

人はつねに、彼がこのアーカイヴの病において、何を燃やしえただろうかを自問することだろう。人はつねに、誰がこのアーカイヴの病を共苦のうちで分かちあいつつ、彼の秘密の情念、彼の書簡、彼の「人生」から、何が燃え立ちえたのかを自問することだろう*15

フロイトが「何を遺そうか」と悩んだことを例えば今の自分に引き付けてみたらどうだろう。これは残したいと思って下手なりに文章をブログに書いているけれど、では一本書くごとに毎回作っているWordの草稿、ノートの抜き書き、あるいは読破した論文のファイルは本当に合わせて私自身でアーカイヴしておくべきだろうか。コストと、後々に得る利益とを天秤にかけたときに、どう判断されるか。私の実感から率直にいって普通にライフログとかは要らないが、必要だという人との違いはどこから来るか。

デリダの「差延」は、「差異」と「遅延」という二つの意味を合わせもつもので、脱構築思想の基本概念の一つとされる。

同一性の内部に差異性を見出して、しかもそれを運動として捉えて「差延」を編み出したデリダは、これが本書の多分一番重要なポイントだと思うのだが、<アーカイヴ>それ自体の中に、保守しようとする動きと、「死の欲動」に対応する形で痕跡を消そうとする動き(「アーカイヴ-原-暴力」という訳語が宛てられている)の緊張関係を持ちこんだのだと思われる。

そうすると、<アーカイヴ>の暴力は、単にそれが権力的な仕方で君臨することへの告発とか異議申し立てという素朴な話ではなくて、むしろ「アーカイヴ管理人」=Archivistが、アーカイヴの病に、本質的には苦しんでいる、という話になるように読める。ただのイデオロギー暴露でないところがいい。権力者たる管理人でさえも、未来に対して開かれる<アーカイヴ>のなかでは、望んだ仕方でアーカイヴを遺すことはできないということを言っているようにも読める。これは俗化した見方に過ぎないだろうか。

脱線

脱線するが面白かったところで、デリダがもう一つ注目しているのは、E-mailのあり方だった。

それは公的なものや現象的なものの間の境界を変える。アーカイヴの生産、印刷、保管、そして破壊までのプロセスを瞬間的に行なってしまう。アーカイヴが法的な力を伴うとすれば、E-mailの登場は同時にこの法の変化を伴わずにはいない。未来の精神分析も、フロイトが考えていたものと違うものになってくるはずだ、というのである。これは間接的には、メディア論的な話とも関わってくるところだろう。

とりわけ思い出すべきなのは、当該のアーカイヴ技術は、もはや保存記録の唯一の瞬間を決めはせず、今後決めることもないが、アーカイブ可能な事件のまさに創設を決めるのだということである*16

デリダが予見するのは「変わる」というところまでである。破壊の欲動が強化されるのか、あるいは簡便に保守できるのか、を言っていない。1994年の講演だということは頭に入れておいてよいかもしれない(ほぼ20年前の問いなのである!というのは改めてちょっと驚く。)。だから、それはまさにこれからの思考課題だともいえる。

とにかく難解だし、何を言ってるのかしばしば(もとい、頻繁に)わからないし、言葉遊びのようにも見えてしまうし、ハイデガーにおけるドイツ語のように、フランス語を理解できなかったら全く理解できないんじゃないかと、いいもんどうせ語学できないもん、と一方的にイジけたくなるデリダの思想だが、アーカイヴについて否定し去るのではなく、未来に開かれたものとして、病を抱えながら存立することを説いている、という風にはおぼろげながら読めた。その続きを考えることは、これからぼちぼちやっていきたい。


アーカイブのつくりかた―構築と活用入門

アーカイブのつくりかた―構築と活用入門

デジタルアーカイブの思想とか、メディア論の成果も踏まえつつ、本格的に考えたら、どういうことができるだろうか。いや、松岡正剛さんとか、すでにやってるのか。

参考

この記事を書くのに、先行するいくつかの書評に助けられた。むしろこっちを読むと、自分が大変余計なものを書いて話を混乱させている気にさえなってくる。本書読解の手引きとしては以下のほうが遥かに良いと思うので、最後に紹介する。

ジャック・デリダ “Mal d’archive”その1 - 生きてみた感想

ジャック・デリダ “Mal d’archive”その2 - 生きてみた感想。こちらは内容の詳しい紹介。

デリダが「歴史小説」として取り上げているフロイトの『モーセ一神教』については、松岡正剛の「千夜千冊」にも紹介がある。

895夜『モーセと一神教』ジグムント・フロイト|松岡正剛の千夜千冊

アーカイヴ一般についての図書館員からの別なアプローチとして。

過去をコントロールするものは - Traveling LIBRARIAN ―旅する図書館屋

後で気がついたが、こんな本もある模様。

Functions of the Derrida Archive: Philosophical Receptions

Functions of the Derrida Archive: Philosophical Receptions

Functions of the Derrida Archive: Philosophical Receptions

*1春山明哲納本制度の歴史像と電子出版物への接近―「納本学」のための研究ノート」『図書館研究シリーズ』34(1997.7)

*2:ちなみにフランスでは、ミシェル・フーコーの遺稿などが国宝指定されている。「ミシェル・フーコーアーカイブがフランスで国宝指定に」『カレント・アウェアネス・ポータル』2012年4月16日付の記事。出典はこちら1984年に亡くなった人の遺稿が30年後に「国宝」になってるって凄くないか…。

*3:「本とは何か―ロジェ・シャルチエ氏の講演から」『国立国会図書館月報』601号(2011.4)p.7。本文はこちらから

*4:そのことと、一般に州ごとの独立性が強いとされているドイツの図書館事情は何がしか関係しているかもしれない。ただし他方、ドイツではランケが実証主義史学を確立しているし、ベルンハイムは『歴史とは何ぞや』の「史料学」の項において図書館に関する知識の必要性を説いている、という面もあるから、一概には言えない。

*5:『アーカイヴの病』1頁。

*6:同上、10頁。

*7:同上書、17頁。

*8:こういう問題は私などがあれこれ気づく前に疾うに誰かが指摘しているはずである。と思っていたらやっぱり森さんが言っていた。半ば予想通りだったが、その博覧強記ぶりは予想を超越している。森さん凄い…。
書物といふトポス |【書庫】*書物のトポス=書物のトピック

*9プラトン・藤沢令夫訳『パイドロス』(岩波文庫版、2010年改版)164頁。275A-275B。太字は引用者。以下同じ。

*10:前掲『アーカイヴの病』46頁。

*11:同上書、49頁。

*12:同上書、15頁。

*13:同上書、56~57頁。

*14:田辺秋守『ビフォア・セオリー』(慶應義塾大学出版会、2006年)200頁。

*15:前掲『アーカイヴの病』167~168頁。

*16:同上書、p.28。