辞書事典にしたしむの話2――佐滝剛弘『国史大辞典を予約した人々』読書メモ

(本記事は出たばかりの本のネタばれを含みますので、ご注意ください)






国史大辞典

 何とも変わった本が出た。本書は、『国史大辞典』を予約した人々はだれか、ということをひたすら紹介し続けるという本である。

 目次はこちら(出版者HP)から。実業家や文学者に華族、理系の人々、官公庁に学校の先生、さらに書店や図書館もあるから、図書館史の一資料ともいえそうだ。

 『国史大辞典』という、日本史のことを調べるのにまずこれを引くという辞典の存在について、大学で日本史を専攻した人のなかには知らない人は恐らく存在しないし、また図書館で人文系のレファレンスをやったことがある人も最初に覚えるレベルで有名な本だろうと思う。今はジャパンナレッジのコンテンツに入ってしまっているので隔世の感があるけれども、私が学生だったころはあまりに使われるのでどこかの巻はしょっちゅう製本に出され、しぶしぶ諦めたり複本を探しに別の場所にいったりして情報を集めていた。

国史大辞典(全十五巻・全十七冊)

国史大辞典(全十五巻・全十七冊)

 コピー機まで持っていくのに重い本だし、ゼミの発表前で友人と頭を抱えながら辞書引いたりした経験は恐らく多くの人に共通しているので、変な言い方だが、学生時代の思い出の一冊(というか、別巻三冊も合わせて思い出の17冊くらい)になっている人は結構いそうに思うのである。

 「○○さんは就職して最初のボーナスで国史揃えたらしい!」

 みたいな会話は、就職への憧れとともにまことしやかに語られていたように記憶する。図書館に行かないと読めない本が家で見られるというのは、何だかとても眩しく見えることだったのだ。また、実際、ウェディングケーキに「国史」って書いていた人を知っている。

 本書が取り上げるのはいちばん最初に刊行された明治41年(1908)版だが、ただ著者は、最初にもとになる資料を見たときに、

国史大辞典』という辞書のページをめくったこともなかったほど、予備知識ゼロであった(i頁)

というから、人と本の巡り合わせというのは、わからない。

 この本の出版情報を見たとき、どこかに吉川弘文館の内部資料みたいなものがあって、それが発見されたのかと思ったのだが、そうではなかった。活字印刷されて予約者に配布された「古書」なのだそうである。

 そんなものがあるのかと、慌てて日本の古本屋で「予約者名簿」と入力し検索してみて、勿論見つからなかったのだが、これは珍本中の珍本というべき、「予約者芳名録」なのだそうである。売ったのではなく、刊行が遅れそうになるタイミングで、これだけの人に御予約いただいております。必ずお届けいたしますというような意味合いで、予約者に配布されたものらしい。

 ちなみに、この芳名録自体、本郷にある現在の吉川弘文館関東大震災、さらに空襲の被害を受けているので、会社にも残っていないものであるらしい(22頁。また予約者芳名録自体の資料解題は本書3章でやや詳しく触れられる)。完全版が岩瀬文庫にだけある、というのがまた、さすが岩瀬文庫!と思わずにはいられない(55頁以下)。

 著者の佐滝氏は、東大卒。リベラルアーツ・ジャーナリストという肩書で、世界遺産に関する著書があるようだ。ネット情報なども組み合わせると、人文地理が専門で、仕事としてはNHKの番組編成などを担当されているのだそうである*1。講演会も行なっているようだ。ということは、普通に群馬の老舗旅館で美味しいご飯を食べていたら面白い資料を女将に教えてもらったという、なんという幸運なのかという溜息しか出てこない状況で本書が着想されたことになるのだが、それはいいとしよう。

 取り上げられている人も面白い。折口信夫が19歳で買っているというのも凄いが(5頁、本当だろうか?と逆に思ってしまう)、決して安くはなかった辞典について、デンキブランの神谷伝兵衛が国史大辞典を買っている、というのは、なんだか胸が熱くなる(38頁)。また、東大から名古屋大に、矢内原忠雄の斡旋で、初版国史大辞典が移管されていることがわかるという、図書館史の隠れた一コマまで光が当たっているのも、勉強になる(120頁)。

 最初の国史大辞典は、明治40年前後の組み版でありながら、本文の段を割いて花押を入れて組んだりする等、版面にも相当な工夫が認められる。内容は明治維新までとされ、一応大久保利通が載っているのは確認できた(本編はこちら、別巻はこちらでも見られる)。明治・大正のなかで、自国の歴史に関心を持つことがいかなる意味をもつか、そのことを本書で取り上げられた人びとを通じて考えることもできる。


明治時代に辞典を一冊作るということ

 明治時代に辞典を作るというのは大変な作業だった。予約する人も、そのことを十二分に意識して、安くない対価を支払ったのである。辞書作成のために三省堂が倒産してしまったという、齋藤精輔のエピソードも踏まえても、その採算や作業の重労働ぶりはじゅうぶんに伺われるところだ。

 『国史大辞典』も、編者の一人であった八代國治*2の話では、

当時は日清戦争の後で、文学や美術や工芸や諸般のことが勃興してきたけれども、国史の研究は未だ盛ならず、国民発展の由来、日本文明の淵源を簡便に知ることのできる国史上の参考書がないのを嘆いて…*3

という次第で『国史大辞典』を構想したというから、こちらもなかなか凄い。初め、引き受けをめぐって色々交渉し、途中、赤堀又次郎などにも頼って早稲田出版に持ち込むという話も、吉川弘文館に決まる前にあったのだそうである。赤堀は帝国図書館司書。また、赤堀は齋藤精輔の百科事典編纂も手伝っていたらしいと森銑三が言っている*4

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赤堀は、のちに帝国図書館はやめていたと思うのだが、齋藤の自伝によると、田中稲城帝国図書館長曰く「赤堀氏は頭脳明敏、博覧強記、当世に冠絶す、君が同氏を獲たるは劉邦張良を得、劉備孔明を得たる以上に君の事業に光明を与ふるならん」*5とのことで、べた褒めである。回想ということもあり、齋藤の話が全面的に本当かどうかは鵜呑みにできないけれど、あまり人を褒めもけなしもしない田中の言だけに、赤堀に期待するところもあったのだろうと窺わせるに足る。

赤堀と田中稲城についてはまだ若干のエピソードがあるが、今回は措いておこう*6

人物の探索法

そんな具合で、色々と面白い挿話が見つかる本書だが、ただひっかかったのは「人物の調べ方」だ。職業病と言われればそれまでだが、「もっと調べられたのではないか」という思いが先走ってしまうのだ。

「実は、言論人を見つけるのはちょっと手間取った」(31頁)

 と著者はいう。そういって、陸実や黒岩周六が誰だかわからなかった、という話がその後に出てくるのだが、この辺りは、日本近代史では常識に属する事柄なので(黒岩の場合、涙香の号よりスキャンダルに食らいつく「まむしの周六」の異名もそこそこ有名だと思うのだが)、著者が近代史専攻でないのにこの古書と格闘した努力には経緯を払わねばならないものの、

「筆名は有名だが、本名は無名」(62頁)

というのは、著者や世間一般の認識としてそうであっても、「国史大辞典を予約した人々」に興味がある読者(明治時代の出版史になるわけだから、明治時代についてもそれなりの理解がある読者)を前にした場合には、言い過ぎの感を強くする。そうなるとやはり、芳名録中に「もっと判明する人がいるのではないか」と、どうしても思ってしまう。陸実はgoogleで検索してもちゃんとwikipedia陸羯南が最上位に来ていた。

 この辺りの調べ方はレファレンスの教科書に絶対に出てくることがらで、どんな文献があるかについては色々記述があろう。たくさんあって改訂もされているけれど、長澤雅男先生の本が定番だろう。

 また、ネット情報だけでどこまで行けるか!を追及した大串夏身先生の本もある。

 このほか、国立国会図書館の研修教材シリーズで出ている『日本人名情報索引』に載っている解説を読んで、そこから使えそうな辞典や文献を探すという手もある。地方のファクト情報を調べるための辞典の解題もあるし、雑誌『太陽』等で、人物評の記事をたくさん書いて有名だった鳥谷部春汀の全集の人物月旦の巻をめくったら明治時代の人物のことならわかる、と書いてあったのにそんな手があったのかと思った。

 言論人を調べるのが難しいというのも、本当か、という気がする。雅号のせいということかもしれないが、図書館員ならむしろ逆に考えるのではないか。普通、人名調査をする場合、著作がある人が一番楽だからだ。戦前らしいとわかっていれば、私などは国立国会図書館デジタル化資料で「館内限定公開も含む」にチェックを入れて何か書いていないか探す。それでよく書いているテーマから、軍人か、アナキストか、学者か判断して、それこそ国史を引いてもわからなければ個別の辞典にアタックしたりすることが一応できるからだ。

 ※唐突に「アナキスト」とかいうのは事典があるからである。

 ある時点から更新が止まっているから、古いともいえるかもしれないけれど、やはり加藤陽子先生の「日本近代史研究のABC」の「1.耳慣れない人物が出てきたら」は最低限参照した方がいいのではないか。それでもダメなら奥の手も考えられるが…。

 とりあえず書籍ベースでいっても、言論人ということでは、宮武外骨の『明治新聞雑誌関係者略伝』は使わなかったのだろうか。

明治大正言論資料 (20) 明治新聞雑誌関係者略伝

明治大正言論資料 (20) 明治新聞雑誌関係者略伝

 またこの場合、明治40年前後に存命していた人ということで、かなり範囲が狭められるのだから、日外アソシエーツから出ている『人物レファレンス事典』明治・大正・昭和(戦前)編などで、どの辞典に出てくる人かを調べる手もあるだろう。住所が書いてあるのだから、地域の人物事典、あるいは地域年鑑掲載の人名録で調べるという手だってあるはずだ。なお、「人名の調べ方」でgoogle検索すると、国立国会図書館が公開している「人物・人名・家系の調べ方」の案内に行きつく。

 残念ながら本書には資料として予約者のリストも付いていないのだけれど(それはねだり過ぎか)、せめて取り上げた人物だけでも人名索引を五十音順で付けてくれたら、この本で調べられたプロフィール自体がまた新しい辞典項目として利用可能だった気がして、惜しまれる。まだ半分くらい不明のままという芳名録の解読が進んだら嬉しいのだが。

 なお、最後の最後まで読んで、本書誕生秘話に驚いた。著者と、本の編集担当者は、なんと内田嘉吉文庫のジャングル探検隊で知り合ったというのである(231頁)。予約者芳名録と著者、著者と編集者、書店そして図書館…こういう点と点が結びついて奇跡的な一つの本が出来上がったのだということが強く印象に残る本であった。

さらに

なお、国史大辞典をめぐる「物語」については、千代田図書館で行なわれた下記も合わせて読むととても面白い。

『国史大辞典』物語---日本史への道案内  吉川弘文館 代表取締役社長 前田求恭

*1:仕事で、前橋にいたことがあって…という記述が出てくるが(180頁)、これは一部ネット情報に見られるNHK前橋支局勤務という情報と合致する。

*2國學院出身、のち史料編纂所に入る。1873年生まれ。

*3:八代國治「国史大辞典編纂苦心談」『國學院雑誌』14巻9号(1908年9月)947~948頁。

*4:「齋藤精輔氏の自伝」『明治人物夜話』(岩波文庫、2001)235頁参照。

*5:齋藤精輔『辞書生活五十年史』(図書出版社、1991)109頁。

*6:などとちゃっかり言っておきながら、神保町のオタどんさんがとうの昔に赤堀と田中稲城のことを書かれていたことに今更気がついた。なんという迂闊さなのかとお詫びしてここにオタどんさんのエントリをご紹介します(13/7/6追記)。
赤堀又次郎と田中稲城 - 神保町系オタオタ日記