図書館におけるレファレンスってのは、何なんだろうとこの頃考えている。私がレファレンスの担当になって、ひと月ほど経った。
『夜明けの図書館』の葵ひなこさんなら、「Q.レファレンス・サービスって何」と聞かれたら、
「司書が利用者の調べもの、探しものをお手伝いするのが「レファレンス・サービス」」
と答えるのだろうか(というかそれは帯に書いてある)。いっぽう私はというと、何か釈然としないまま仕事しているところがあって、そうして再びこの問いに返ってしまうのである。レファレンスというのは、結局何なんだろうか。
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レファレンス・スキルとは図書館員の資質に関わることなのか、もっと普通の能力なのか。そんなことを考えつつ「昔の人ってどういう思いでこの仕事をしてきたのだろうか」と、色々探しているうちに、『中央公論』に載っていた「国会図書館員の憂鬱」という記事が目にとまった。
住谷雄幸「国会図書館員の憂鬱」『中央公論』82巻3号(1967年3月)200~207頁
リード文に曰く、
知的文化財の宝庫であるはずの図書館を訪れる大学生の利用実態はあまりにお粗末だ。それは教育と文化の危機の現われではないのか
激しい。実際読んでみるとまず大学生利用者への不満がつらつらと書かれている。卒論三週間前になって何か資料はありませんかとやってきて、担当教官も文献指導をしていないらしい学生への不満だとか、原資料を提示すると、「こんな分厚いものでなく、ダイジェスト的なものはありませんか」と聞き返されることを安易だと著者は怒っている。農学部の学生がジャムの作り方を教えてくれと聞いてきたことにすら、筆鋒を向けている。
安易さがしみこんでいる風潮は恐るべきものがある。掲示も読まず、目録案内も読まず、いきなり窓口に来て文献案内を求める学生も多い。そういう学生に限って、質問の内容も極めて幼稚だ。(中略)ものを安易にきくことは、文化を低めることだといったある文化人の言葉が、実感をもって迫ってくる。ある外国人の履歴を知りたいというので欧文の人名辞典を紹介する。しばらくして「ありません」という。そんなはずはないと思って、その辞典をひくと、のっている。このひとはクリスチャンネームで人名辞典をひいていたのだ。これもれっきとした大学生である。図書館のつかいかた、カードや書誌のひきかたを知らない学生は多い。「件名目録というのは何ですか、どうひくのですか」この人は大学図書館を利用したことはないのだろうか。初歩から説明するのには、骨の折れるわりに効果の少ないことである*1。
…云々、というところから、東大図書館の岸本構想などに触れつつ、本論は実は大学図書館をもっとちゃんと振興していかないといけないでしょう。という方向につながっていくのだが、書きながらまた怒りが昂進したのであろうか。
「自分の大学の図書館にある外国雑誌を、わざわざきいてくる地方の大学の教官もいる。つまり教官自体が、図書館の使い方を知らないのだ*2」と、また収まらない感じ。
これ、今なら掲載されないんではないかと思うくらい、「お上」意識丸出しに見えるが、いかがであろうか。時代が「そういう大学生の方が悪いよね」と許容する時代だったのであろうか。私なんぞは、ジャムの本くらい教えてあげたらよいのに、と思うのだが、どうなのだろう。
国立のサービスは、地方自治体の公共図書館のサービスとは違うという意識なのか。
大学生ならば相応の教養を見せろということなのか。
いずれにせよ、どこまでサービスすべきかの線引きは、結局時代ごとに変わらざるを得ないのだなというのが透けてみえる一挿話ではある*3。
さて、そんなわけで、さしあたってこの仕事をするにあたり、いくつかクリアした方が良い事柄があると思うようになった。一つは、レファレンスツールと呼ばれる資料にしたしむこと。すなわち、「書誌の書誌」や目録の類などはあれど、まずは辞典に精通すること、これが当面の課題なのではないかと思い定めた。
そうしてみると、私の印象かもしれないが、静かなる辞書ブームが来ているようだ。
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『新解さんの謎』から、約20年が経とうとしている今、あずかって力があるのは、映画にもなった『舟を編む』のヒットなのだろう。
それらを語り合い、記憶をわけあい伝えていくためには、絶対に言葉が必要だ。(中略)死者とつながり、まだ生まれ来ぬものたちとつながるために、ひとは言葉を生みだした。(三浦しをん『舟を編む』より)
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こうした動きに「便乗」したとまで書くと明らかに言い過ぎであるが、三省堂の国語辞典の編者である飯間先生が、辞書編纂の舞台裏―休日、怪しまれないように町の看板をデジカメで撮って周り、家ではビデオを高速で再生するという用例採取についての涙ぐましい努力を綴っているかと思えば、学者芸人のサンキュータツオさんは、まさかの国語辞典擬人化でもって、その辞書ごとの特性を掘り下げていく*4
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サンキューさんは専門が日本語学で修士号を持っておられるそうだが(確か最初に知ったのは、変な論文収集が趣味とかで、博士論文の活用法を新聞で語っていたときだと思う)、文体を敢えて軽めに書いたといういわゆるタレント本で西村茂樹という単語が出てくるとは私も思っておらず、面喰ったりした。しかも後段のオススメ「辞書関連本」としてあげられた文献が、ハーバード方式で記載されているのにも驚いた。
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共通しているのは、辞書にはそれぞれ癖や個性があるということ。それゆえ是非とも「引き比べ」が重要であることを力説していること、などがある。一番唸ったのは「辞書やことばに、「なにが正しい」という答えはない*5」とハッキリ書いてあったことかもしれない。人文学ってのはそういうものだなと。正しいかどうかわからないから、調べ続け、学び続ける。そういうお手伝いこそが人文系のレファレンスというのかもしれない。
国語辞典もそうだが、百科事典も多種多様だ*6。
それだけに百科事典活用法を記した本も、注意深く探して行くと意外とあるものだなとわかった。
まず
- 索引を引く
- 複数の百科辞典の記述を比べる
という技のは紙ベースの検索方法としては定石だが、そういえば『国史大辞典』でも、学生時代に時間が無くて、15巻の索引に当たらず、各巻を五十音順で検索してしまい、「ないなあ」とパスしてしまったことが何度かあるので、自戒も込めて「索引を引かなければ素人」と思っておかないと、まずいかもしれない。そんな話は、井上真琴さんの『図書館に訊け』にもあったか。
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- 見つからなければ専門事典にあたる
というのもある。誰に、どんな需要があるのだ…との不遜な考えが頭をよぎる、そんな専門家向けの事典も、実に多数存在する。歴史上の人物について、人名辞典で見つからない時は諦めずにお墓参りのガイドになっている『掃苔録』の類を引くと出ている場合がある、とかいう話は、この担当になるまで考えたこともなかった。
また、昔からの検索手段からすると「離れ業」になるかもしれないが、JapanKnowledgeに『日本国語大辞典』も『国史大辞典』も『日本大百科全書』も入ってくると、日国の専門用語…一般的な用語ではないものも検索できるし、短い語釈の引き比べならブラウザ上の方が楽かもしれない。
だが、範とすべき境地となると、弥吉光長『百科事典の整理学』(竹内書店、1972)が取り上げている金森徳次郎の「ブラウジング読み」であろうか。話が具体的なので、弥吉が国立国会図書館在職中に直接聞いたのであろう。
彼は天皇機関説をとるものとして昭和11年法制局長官をやめさせられた。それから昭和21年吉田内閣の憲法担当の大臣になるまで10年間、ただ読書生活で過ごした。その間に「世界大百科事典」の前身である「大事典」を徹底的に読んで覚えてしまった。そこで憲法のようにあらゆる角度から検討しなければならないときには、この雑学が大いに役立った。「だから議会の質問なら何一つ恐いものはなかったよ」といって笑った。
百科事典は知識を濃縮したものであるから、読みこなせば大ていのことには通じるものである。しかしわれわれは金森さんほどの読み方を根気よくやる勇気と時間を持たないものである。しかし思わず深入りする無償の行為は貴いものである*7
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こういう凄みのあるエピソードを見せつけられると、大学生を叱ったり嘆いたりできるほどの博覧強記が羨ましくもあり、結局自分は頭が悪いからホスピタリティの面で頑張っているかのように思えてきてしまい、恥ずかしくなる一方なのだが、一つでも多くの辞書事典に通暁することが、仕事の質を高めるために今できる、一番確実な方法のようにも思えてきている。
(追記)
書物蔵さんの古本オモシロガリズムでこの記事をご紹介いただいて恐縮しまくっている。
「いや住谷だとて、当時の図書館員なかぢゃあ、まともなほうだったとは思うよ。」
今と同じではない時代の話だから、そんな気はする。住谷氏の著作は検索すると結構出てくる。レファレンスサービス論のほか、江戸百名山の本を書いたり、図書館史に関する研究をしたりと、かなり旺盛な執筆をしていた人のようである。
*1:住谷雄幸「国会図書館員の憂鬱」『中央公論』82巻3号(1967年3月)201頁
*2:同上、203頁。
*3:というより、このとき槍玉にあげられていた学生の方々が、今定年で勤め先を辞められて、その後のエネルギーをもって図書館にやってくるシニア層の中核だということを思えば、そこに向けてどんなサービスをすべきかという話も、喫緊の課題ではあるまいか。
*4:古語に強い角川くんだけ和服なのに私は爆笑した。
*5:サンキュータツオ『学校では教えてくれない!国語辞典の遊び方』(角川学芸出版、2013)24頁。
*6:実際のどの程度数があるのか探してみたが、『日本の参考図書』という、レファレンスに使えそうな文献と解題を付けた目録が存在し、少し古いデータかもしれないが、それをまとめた結果2万件(件…ということは冊ではなくタイトルだろう)を超えるとの記載があった。(長野裕恵「『日本の参考図書』は2.0の夢を見るか―ハイブリッド環境下での二次的レファレンスツールの模索―」『MediaNet』No.14(2007)→掲載URLはこちら)