論文のルールをドレスコードのようなものとして理解する

相変わらず論文の書き方の本ばっかり読んでいるわけだが、日本語学の石黒圭氏の本が面白い。

 

特に後半は、これは日本語学を専門とする著者ならではのものだと思うが、論文用の適切な日本語表現について力を入れている。

論文・レポートの書き方の本で、石黒さんの本では、ちょうど論文の参考文献の書き方を、「服装」にたとえているのが面白い。

引用は,服装のようなもの です。書き手は中身に力を入れますが,読み手は外見を見ていることが多いのです。 論文はフォーマルな服装が求められるジャンル ですから,あまりだらしないかっこうはしないほうが賢明です。学生のレポートによく見られるだらしなさは,手近な本しか調べていないことに現れます。おそらく,地域の公共図書館で調べたものを適当に並べたんだろうなあ,という文献リストを眺めていると気持ちが萎えてきます。ひどい場合は受験参考書が並んでいたりします。まともに本を買ったのは高校までで,大学では一切本を買わないようにしているのかもしれません(石黒圭『この1冊できちんと書ける!論文・レポートの基本』p.36)

なるほど。「だらしない」という感じはいいえて妙である。求められている場所でそれに相応しいものを出せないというのは、手抜き感につながってしまう。

「専門レベル」というのがリクルート・スーツのような正装で,「入門レベル」というのがクール・ビズのような軽装に当たります。「一般レベル」というのはTシャツにジーンズのような普段着です。つまり,「専門レベル」の文献は積極的に論文の参考文献に入れてよく,「入門レベル」の文献は時と場合により,「一般レベル」の文献は参考文献に入れてはいけないということになります。(同上、p.37)

レポートや論文を書く場合には、出典を示し、参考文献を挙げなければいけないのだが、参考文献に挙げてはいけないレベルの情報源は存在するのである。

こうして著者は、専門性の度合いによって、縦軸に文献のレベルを専門レベル/入門レベル/一般レベルの3段階に分け、さらに横軸に本(著書)、雑誌(学術誌)、辞典・事典の3種類に分けた3×3のマトリックスを作っている。詳しくは本書を参照されたい。

専門レベルでは、本ならば研究書。雑誌ならば原著論文があげられる、という。辞書・事典はそもそも入門レベルまでということなので、専門レベル相当のものはないという。

入門レベルでは、本ならば入門書・概説書、雑誌ならば調査論文、レビュー論文などが入る。辞書・事典では、分野ごとの専門辞典のものが区分される。

そして一般レベルでは、本なら一般書や実用書、雑誌ならエッセイ(高名な学者が書いたものでも、根拠がないもの)、辞書は一般辞書、とこう分けるわけである。

岩波新書とか講談社現代新書とか中公新書のような新書レーベルのものは、入門レベルの本に当てはまるので、「時と場合により」参考文献に入れたりしてよいが、もっと一般向けの、例えば『鎌倉殿の13人』の大河ドラマガイドのようなものとか、受験参考書とか、高校の用語集みたいな実用書は入門書とは呼べないので、参考文献に挙げてはいけないということになる。インターネット上に存在する事典類も、この基準で使っていいかどうか判別できそうだ。

また、いくら書くときに繰り返し読んだからといって、卒論・レポートの書き方の本とかを卒論の参考文献には挙げてはいけないのも、この方式で説明可能だ。実用書だからである。

一般レベルの辞典というのは、広辞苑とかだろう。『日本大百科全書』とか『国史大辞典』とかであれば分野ごとの専門家が書いている入門レベルに達しているけど、国語辞典では、執筆者の書名がないから、そういうのは引用してはいけない。こういう形式的な判断が可能になる。

広辞苑とか高校の日本史用語集がレポートの参考文献に載ってると、多くの教員は採点するときに「うわぁ…」となると思うのだが、学生同士で「え、それ出すのヤバくない?」と相談しあっているかどうかもわからないので、教えたほうがいいんだろう。新書・事典を注記に挙げるべきではないという主義の人もいるということは知っておいて損はない。

うまく言語化できていなかったが、よくできているなあと思う。