ICT時代の日本史文献管理・再考

※以前の記事「ICT時代の日本史文献管理考」の続編?です。

※例によって、自分のやり方を書いてみて、もっといい方法が無いか考え直す作戦ですので、アイデアがあったらおよせください。

 日本史の研究について、少し前に出た『わかる・身につく歴史学の学び方』は、問題意識の持ち方、概説書と研究書の違いはもとより、レジュメのまとめ方まで書いてある至れり尽くせりの本で、既に歴史学を学んだ大人がこれからの歴史学を学ぼうとする人に向けてできることは何かを考え抜いたと感じる良書だった。

 研究史の整理に関しては、「自分のオリジナルの文献リストをつくり、自分の視点からの研究史の整理をしていってもらいたい」と書いてある(p.172)。

 文献の整理が大事なのは、だいたいどんな研究分野も共通だと思うが、全くその通りだなと思う。

 個人的にこの本の白眉は第8章で「読書ノート」の作り方が書いてあることで、せめてこれを卒論書くときとは言わないまでも、修士論文を書いた頃から継続していれば・・・・と思うことしきりであった。

 図書館に入ってからは歴史だけでなく図書館の論文も読むようになって守備範囲が増えたので、むしろ就職してからより切実になったともいえる。

 

 この本では次のような表現で読書ノートの効用を3つあげている。何かというと

・備忘録

・比較するため

・後で必要な情報を引き出す

の3つである。これも良く分かる。何を読んだか忘れることは多いし、同じ著者の本ならどの本に書いてあったかわからなくなって混乱するから区別する必要があるし、記録を作っておくのは後で何らかのアウトプットに使いたいからである。

 私も以前は、ともかく読んだ本や論文のタイトルだけは控えておこうと思ったのだが、横着なせいもあり、手書きでノートを付けることに挫折したので、ウェブサービスで、後で読み終わった日付と簡単な書誌情報だけブログ形式に出力してくれるものを使ってまとめていた。

 だが、このとき侮っていたのが30代後半になってからの自分の記憶力の低下だった。もともと集中力がある方ではないけれど、こんなに忘れっぽくなると思っていなかった。

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 せつない話だが、確かに読んだ覚えがあり、読んだ本のリストを見ても確かに何月何日に読んだことが載っているのだが、印象に残った一部分だけが鮮明に残っていて、全体の結構や肝心の要点が思い出せない。精読をちゃんとしていないことのツケであろうが、読むものがいっぱいあるので、なかなかうまくいかない。

 

 「読みっぱなし」は読んでいないのと一緒と喝破したのは『読書は1冊のノートにまとめなさい』の著者である。この本が説いている手書きで完結させ、インデックスの機械でというやり方のの効用は私も良く分かっているのだが、切れ端のメモに書いてそれを後からノートに貼ることが多くて、だったらそれをカメラに撮ってevernoteに貼っても効果は似たようなものになるよな、と勝手に解釈しながら部分的に取り入れているのが現状だ。

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

 

 ノートに書くべき事柄など、大事なことがたくさん書いてあると思う。evernoteの日付を6ケタで入れる習慣があって、勝手に自分で思いついたのだと思っていたが、読みなおしてこの本からの影響だったことに気が付いた…。



 前回の記事で「図書・図書館史にまつわる本棚」などというのを作ってみたのも、結局ちゃんと文献を管理しておかないとマズイという、同じような動機による。


 学生時代に本を読んでいなかったことのコンプレックスがあり、その反動もあって、たくさん読まないといけない強迫観念にとらわれているところはあるのかもしれない。加藤周一がある程度早く読んだ本が、理解が深まるときがあると言っていたのをぼんやり信じつつ。

読書術 (岩波現代文庫)

読書術 (岩波現代文庫)

 

 もちろん、途中で大事だなと思う本はちゃんとメモなりを取ってevernoteに記録していたのだけれど、evernoteでノートを新規作成し、書誌事項を書いて、それから抜き書きのメモを載せるという工程も、一つ二つならいいが、増えてくると大変で、次の本も読みたいと思ってしまって復習する時間も取れないことがあった。とくにタイトルを無題で保存してしまうと、何だか後で絶対わからないのでそれは避けなければならない*1

 本の読み方も様々で、達人になると持ち歩くために解体し、あとでまた製本し直すというのもあるという。そこまで出来ないが。

 


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 それでもう少し試行錯誤を続けているうちに、図書と雑誌論文については以下のような形になった。


図書は―――

  • 紆余曲折・試行錯誤を繰り返しているが、最近はメディアマーカーに落ち着いている。
  • 本棚登録するときにevernoteの新規ノートを作成できるのがその理由。
  • 読み始めてから気になった箇所を途中で、スマホevernoteアプリからノートに入力しても良い*2
  • 最近の本は書影も入るので、後でノート整理していてちょっと楽しい。
  • Kindleのハイライト機能と併用。読みながらマーカーをつけたところが、あとでそのままEvernoteにコピーして貼り付けられるので、便利だと思う。

雑誌論文については―――

  • 入手した本文に書きこむなりしてメモを作り、それをスキャンスナップでスキャン。
  • そのままevernoteに登録し、タイトルに書誌事項を張り付けて保存。
  • その場で必要なメモはノート本文に入力してしまう。
  • 読みながら書いたメモも写真を撮って同じノートに貼ってしまう。
  • 引用関係の情報も書き込む。
富士通 ScanSnap iX500 (A4/両面)

富士通 ScanSnap iX500 (A4/両面)

 

 ある程度数が増えてくるとキーワードで検索してもいくつかの文献がヒットしてくるようになった。

 そこで、あまり自分の中で近いと思っていなかった著者同志の、あるいは文献同士の、妙な繋がりなどに気づくことも、まれにある。

 一つの文献が構成する関係性(relevancy)というのは、思った以上に大事なのかもしれない。これもちょっと前に出た『読んでいない本について堂々と語る方法』に、<共有図書館>という面白いアイデアが出てくるのを思い出す。この、一見奇を衒ったタイトルが意外と真面目に説いているのは、個々の本の単独の内容よりも大事なものの存在である。それはちょっと図書館的でもある。

ある本についての会話は、ほとんどの場合、見かけに反して、その本だけについてではなく、もっと広い範囲の一まとまりの本について交わされる。それは、ある時点で、ある文化の方向性を決定づけている一連の重要書の全体である。私はここでそれを<共有図書館>と呼びたいと思うが、ほんとうに大事なのはこれである。この<共有図書館>を把握しているということが、書物について語るときの決め手となるのである。ただし、これは<共有図書館>を構成している諸要素間の関係の把握であって、切り離されたしかじかの要素の把握ではない。そしてこの意味で、大部分の書物を読んでいないということはなんら障害にはならないのである(pp.35-36)。

もう何箇所か。

文学について考察しようとする真の読者にとって、大事なのはしかじかの本ではなく、他のすべての本の全体であり、もっぱら単一の本に注意を向けることは、この全体を見失う危険をともなう。あらゆる本には広範な意味の組織に与る部分があり、それを見逃すと、その本じたいを深層において捉えることもできない。(pp.64-65)

 この本の著者は、個々の本に対しても適度な距離をとって全体見極めるよう説く。それが「教養」だという。


教養とは、書物を<共有図書館>のなかに位置づける能力であると同時に、個々の書物の内部で自己の位置を知る能力である(p.66)。

 『読んでいない本について~』は、文学テキストについての本だが、これはたぶん研究史の把握や文献管理に要請されているものとだいたい同じことかもしれない。私がちょっと思い出していたのはWeb of Scienceの引用・被引用関係のことだった。

 本と本をめぐる情報は常に変動し続けているが、なんとか全体を見渡せるように付いていけるようにしたいので、お勧めがあったらぜひ教えてください。

*1:一応、ノートブックの下層に置かれるノートのタイトル欄には、論文の書誌事項を入力する。このとき面倒なので、NDL-OPACで署名を検索して書誌情報を表示させた後、「引用形式」で表示しなおしたものをコピー&ペーストで貼ることが多い。さらに研究文献の場合は、発行年月を6ケタの数字で書いている。というやり方は継続してやっている。※その後、国立国会図書館オンラインの稼働やNDL-Bibの提供終了により、ちょっとやり方の変更を迫られております(2020年12月29日追記)

*2:これについては、以前は読了の日付が自動で入るよう、読了後にevernote生成にしていたのだが、一冊読み終わらないと何にも出来ないのは意外に不便であることに気づいたので読んでいる途中で書きこめるように変えた。読了日は最後のメモを付けるときに自分でいれるので間に合う。