前回のエントリで取り上げた、
- 木村毅 著. 現代ジャアナリズム研究. 公人書房, 昭和8. 376p
に収録されている「日本雑誌発達史」にどれだけのことが書いてあるか、まとめておきたい。
雑誌の歴史の枠組みについて一定の参考になりそうだからである。
まずざっと目次を掲げておこう。国民之友などは、本文表記に合わせた。なお本論文は1930年9月記と巻末に記されている。
一 最初は和蘭の移入
二 新聞と雑誌の分化
三 明六雑誌
四 慶應義塾と同人社
五 経済雑誌と婦人雑誌
六 硯友社の結成
七 二十年代概観
八 国民の友と蘇峰
九 小説雑誌と少年雑誌の先頭
一〇 博文館の勃興
一一 実業の日本社、講談社
一二 中央公論と改造
一三 新声から新潮まで
一四 労働世界
一五 平民社その他
著者の木村毅については、とりあえずこちら(wikipedia)を。リンク先の記述のとおり「あまりの著書の多さと雑駁さに、未だ全集等はなく、伝記も書かれていない」。学生時代、途方にくれた記憶もある。
ただ書誌が全くないのかというとそうでもなくて、例えば谷沢永一氏によって著書目録は作られている。
雑誌の歴史の話である。
そもそも雑誌とは何か。
こうと言われてハッキリ定義するのは存外難しいような気がする。
さしあたり丸善の『図書館情報学用語辞典』第3版には、こうある。
雑誌 magazine; journal
主題、読者層、執筆者層などにおいて一定の方向性を持つ複数の記事を掲載している逐次刊行物。逐次刊行物を雑誌と新聞に大別したり、逐次刊行物中の定期刊行物の中に雑誌を置いたり、あるいは出版物を書籍と雑誌に大きく分ける出版流通などにみられるように、雑誌の位置づけ方はさまざまである。現在の日本では、出版物の売上高の過半を雑誌が占めている。また理工系の研究図書館では、資料購入費、利用の大部分を雑誌が占める状況にある。図書館では、雑誌の各号を年や巻単位で製本し、製本した雑誌は図書とみなすことが多い。
まず気になるのは、「雑誌」はいつからあり、いつから「雑誌」と呼ばれているのだろうかという点である。
木村によると、佐久間象山の遺品中にもオランダの雑誌があるというが、蕃書調所が「和蘭寶函」という名で、雑誌記事の訳を掲載して、それに『官版玉石志林』と名付けて刊行したものが最古期だという。たしかに、明治期の雑誌にも「志林」というタイトルのものはいくつかある。
現存するもので雑誌の名がついた最古のものは、慶応三年、柳河春三により出された『西洋雑誌』だそうで、第一号の末尾に以下の記載がある。明治文化全集に翻刻があるので、そこから引用する。
西洋雑誌 毎月出版 定価は紙数の多少に依りて増減いたし候 四方の諸君子に告げ奉る。此雑誌出板の意は。西洋諸国月々出板マガセイン<新聞紙の類>の如く。広く天下の奇説を集めて。耳目を新にせんが為なれば。諸学科は勿論。百工の技芸に至るまで。世の益となるべき事の訳説。宜しく加入すべきものあらば。吝惜無く寄贈し玉へ。(吉野作造編『明治文化全集』第18巻雑誌篇(日本評論社、1928)7~8頁。<>内は割書)
明治時代に雑誌がどう発展していったか。ここからが木村論文の面白いところで、以下のように段階を設定している。
細かく見れば違うという異論はいくらでも可能だろうが、まず全体傾向をこう言い切っているあたり、1930年という雑誌の歴史が未だほとんどない頃のことであるから、いろいろ考えさせられる。
そういうなか、とにかく三号雑誌、よくて十号出して廃刊となる第一期の雑誌中、四十号以上も継続して「初めて、雑誌らしい雑誌に出会ふ」(160頁)と紹介されるのが『明六雑誌』である。
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『明六雑誌』について木村はこうも言う。
欧州の文化が遂にギリシヤ文化の範囲を出でないと云つてゐるのよりも、もつと痛切な意味で、明治以降の我邦文化は「明六雑誌」の範囲を出でゝゐないと言へる(163頁)。
第一期の雑誌は、宮武外骨の調査によると百八十余種(!)あるといい、その他のおもだったものとして木村は『民間雑誌』『三田演説筆記』『家庭叢談』『同人社文学雑誌』『花月新誌』『団々珍聞』等々を挙げる。
第二期を代表するのは中江兆民主宰の『政理叢談』で、これが「明治の自由民権論の指導精神をなす」という。それから『東京経済雑誌』についてもページを割いて論じている。
第三期に入り、概観として日清戦争後を「大発展時代第一期」とし、書肆としての金港堂、博文館、春陽堂の台頭に触れた後、『国民之友』が紹介される。
木村は同誌が平民主義を主張し、また文学でも夏季附録として小説を載せたことから、「文壇の登竜門」「大家号授与所」となるきっかけになったと論じている。
また木村は、この雑誌をかねてより「最初に最も敏感に、最も鮮明に新興資本主義と呼応した」と主張してきたと書いて、次のように続けている。ここが面白い。
…と書いたら(拙著「明治文学展望」)蘇峰先生から「果して然る乎、否乎、一考を要す。余が国民之友初号を発刊して間もなく西園寺公と相見る際、公は余に向つて何やらソシヤリズムの臭がすると言はれた(後略)(183頁)
つまり徳富蘇峰から、創刊したら西園寺から社会主義っぽいと言われたので資本主義に呼応といわれても違うんじゃないか、と聞かされたという話をさらっと書いているのである。いかに蘇峰存命中とはいえ、なんというか隔世の感がある。
その後明治二十年代の特色として金港堂の『都の花』など文学雑誌の発展、『少年園』など、「少年のため適当な内容を持つた雑誌が現はれた」ことに触れたあと、いよいよ博文館が登場する。
同社の『太陽』にはかなりの頁が割かれているが、『太陽』以後、「編輯に、体裁に、印刷に、写真版の応用に博文館の貢献した点は少くない」(190頁)というのは、やはり出版史のうえでも押さえておきたいところだと思う。
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なお博文館には赤門文士(高山樗牛、大町桂月)だけでなく、樗牛が逝き、桂月が退いた後に結果的に硯友社系が多く残ったことも指摘している。
明治文学史を究むる者は硯友社の文壇梁山泊であつた事を説くに、彼等が日本一の大出版書肆であつた博文館を殆ど占有してゐたがために、あれだけの活躍も出来たのである点を見遁してはならない(191頁)。
という指摘は、案外今でも重要かもしれない。私も言われて気付いた。
王者博文館の地位は、明治末年以後、『太陽』は『中央公論』に、『女学世界』は『婦人世界』に圧倒されて衰微の色を濃くしてゆく。
この間、『実業之日本』が「臆面もないスノビシュネス」(195頁)をもって台頭し、また『講談倶楽部』が出るに及んで、大衆文学への道、『キング』への道が開かれたとしたり、『中央公論』『改造』の登場、文学雑誌では『新声』『新潮』の創刊、など木村の筆は縦横に走って倦むことを知らない書きぶりだが、『労働世界』や平民社の『直言』などにも触れられていることも注目される。
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1930年に一応これだけの雑誌の歴史の見通しがあった、ということは記憶しておいてよかろう。むろん、そのための基礎となる資料が、木村を含む明治文化研究会によって盛んに発掘され収集されたものであることは言うまでもない。
書影を掲げたものはぱっと思いついたもので、各出版社、各雑誌に相当の研究蓄積が現在存在していることは言うまでもない。個々には書ききれないので、ご了承願いたい。