ある「あとがき」の話

 歴史は何のために書くのか。この手の質問を人からされたら、私は嫌な顔を隠せとおせないだろう。ただ、昨日のエントリについてそういう疑問が生じたかもしれない…という懸念は、私のなかにもあって、やはり不十分な文章をパブリックな場にあげても傷つくのは私自身だという反省も、自戒も、今ともにある。

 研究費の申請や何やらで、研究の意義を語らなければならないということは、個々にある。個々にあるのだけれど、何故お前は歴史を書くのか、という風な問いの形式で出されると、なんだか面と向かって生まれてきた意味を問われているような気が反射的にしてしまう。わからない人には禅問答のようなことを言っている気がするので、もう少し補足する。

 あくまで個人的な考えだけれど、その人自身が抱え込んだいかんともしがたいような混み入った事情と、それをもって社会と向き合ったときに出てくる違和感を編成しなおしたのが人文科学の問題意識であって、だから歴史の研究の動機というのは、人によって比率の差こそあれ、個人的な動機と、その研究を通じて明らかになる事象がもたらす価値観の変更への期待という社会的な動機が二重に存在する。強めにいえば、私は二重に存在すべきだと思っている。その二重性が不可分に結びつき合っているから、たんなる実学でもない反面、断じて思いつきや趣味でもないのである。

 個人的な動機というのは、他の人から見れば陳腐でくだらなくて、もっとはっきりいうと無意味にしか思えないことかもしれない。尖鋭な問題意識を持ち合わせていない私の場合も十中八九そうである。ただ、この動機だけが、その人でしか明らかにし得ない視点・解釈の仕方を不可分に支えているのであって、そのことを問うのはタブーである前に無粋である。

 その二重性は、考えようによっては研究書にも表れている。社会的な動機は、論文の序章に書いてあり、個人的な動機は「あとがき」に書いてある。そう考えてみると、それ自体が優れた歴史叙述となっているような研究書は、「あとがき」も優れている。例えばこんな風に。

日本政治思想史研究

日本政治思想史研究

本書執筆当時の思想的状況を思い起しうる人は誰でも承認するように、近代の「超克」や「否定」が声高く叫ばれたなかで、明治維新の近代的側面、ひいては徳川社会における近代的要素の成熟に着目することは私だけではなく、およそファシズム歴史学に対する強い抵抗感を意識した人々にとっていわば必死の拠点であったことも否定できぬ事実である。私が徳川思想史と取り組んだ一つのいわば超学問的動機もここにあったのであって、いかなる盤石のような体制もそれ自身に崩壊の内在的な必然性をもつことを徳川時代について――むろん思想史という限定された角度からではあるが――実証することは、当時の環境においてはそれ自体、大げさにいえば魂の救いであった(371頁)。

 

 大学に入った頃、歴史とは「自己認識の学」だという風によく聞かされた。このことを、さしあたり私は、自分や、自分の属する共同体なり社会なり国家なりの来歴を探ることで、アイデンティティを豊かにしていくことだと理解した。歴史を書くことによって、知られていなかったものの出来事や人物の存在を知らしめることによって、歴史の認識を豊かにすること。そうした価値観の更新は、幸せで予定調和的なものとは限らないし、むしろ社会に対する屈折した不満によって書かれることで、より広い「魂の救い」を提示しうるかもしれない。そういう期待が、どこかにはある。

 前にも取り上げた阿部謹也先生が、卒論のテーマを決めかねていたときの話に、こうある。

自分のなかに歴史をよむ (ちくまプリマーブックス (15))

自分のなかに歴史をよむ (ちくまプリマーブックス (15))

いろいろ話しているうちに先生はふと次のようにいわれたのです。「どんな問題をやるにせよ、それをやらなければ生きてゆけないというテーマを探すのですね」。(13頁)

 最初読んだときこそ、「そんな無茶な」と思ったものだが、ほかならぬ私自身が卒論のテーマを決めあぐねていたころは、公衆の面前にもかかわらずに恥を晒せば、自分が過去辛かった出来事の一覧表まで作った。そのなかでどれが自分にとって一番落とし前をつけねばならない問題で、つまり本質的に「生きる上での主題」で、それを歴史の実証を通じて語らせるためには、どのような対象の選択がありうるか、ということをひどい顔でノートに書き続けていた。大学院に進学しようと思っていたし、モチベーションが続かなければ研究は進まないし、そのためには自分を賭けるしかない。人文科学とはそういうものだ、と頑なに言い聞かせていたともいえる。

 自然科学や社会科学が自分の存在を賭けなくて済む研究なのかどうかは知らないが、だから例えば次の本の「あとがき」などは、先学もまたこれを通って来たんだと自分に言い聞かせるよすがとして、かけがえのない価値を持つ屈指の名文だった、といえる。

日本の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー)

日本の近代化と民衆思想 (平凡社ライブラリー)

こうして、私は、学問の世界でもはじめはいくぶん突飛にみせたかもしれない独自の考えをもつようになるとともに、社会や人生についても、しだいに容易にはゆずることのできないいくつかの論点をもつようになり、要するに私自身となっていった。だが、このことは私が確固とした政治意識や社会意識をもつようになったということではない。私の政治意識や社会意識とは、そのころもいまも、あいまいでお人好しなヒューマニズムの諸断片をいでず、生活者としての私は、小心翼翼と生きてきたにすぎない。しかし、それにもかかわらず、そのような私にも、もはや容易にはひきさがることのできない言いぶんはあるのであり、私の歴史学は、そうした私の人生における立場と相互に密接に媒介しあったものとして形成されるほかなかった(457頁)。

 こうした「あとがき」に勝手に寄り添いながら、下手でもそれでも歴史を書きたいと念じているのが目下の私なのであって、歴史は何故書かれるか、書かれ続けなければならないのか、という問いがあったとして、それに一般的な回答を与えることは不可能といわないまでも、私はしたくないと思うのである。書く人ばかりでなく、歴史に向き合う個々人が見出していくものがあれば、それでよいと思っている。