牧義之『伏字の文化史』読書メモ

牧義之『伏字の文化史:検閲・文学・出版』(2014.12、森話社

伏字の文化史―検閲・文学・出版

伏字の文化史―検閲・文学・出版

 版元HPはこちら(書影あり)。


 ある特定の時期に、集中的に密度の高い研究成果が相次いで発表されるジャンルというものがある。例えば00年代後半から10年代にかけて急速に活発化した検閲研究は、そのような分野の一つだろう。若手研究者によるこの分野の研究蓄積が本書であり、刊行が待ち遠しい本だった。

 著者のHPはこちら

 検閲研究は、国内の図書・雑誌出版だけでなく、映画や、海外の事例まで入れるとかなりの数にのぼる。

検閲帝国ハプスブルク (河出ブックス)

検閲帝国ハプスブルク (河出ブックス)

 さて、本書の課題は「戦前・戦中期の検閲体制下における、伏字の文化記号としての意義と役割、そして文学作品への影響に関する実証的な考察である」(p.14)とされる。検閲研究のなかで本書がどういう画期的な意味を持つのか、私的な読書メモとして考えたことを書いておきたい。

検閲制度に関する歴史

 本書は博士論文を元にしたもので、序章では、先行研究が整理される。検閲の研究は、江藤淳以来、占領期の研究として進んできたとされる。プランゲ文庫を活用した研究成果は、近年でも出続けている。

閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)

閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)

戦後雑誌の周辺

戦後雑誌の周辺

 占領期に関する検閲研究に比して、戦前・戦中の実体解明が進んでこなかったことを指摘した上で(p.20)、紅野謙介鈴木登美、ジェイ・ルービンの各氏によって、近年、戦前期日本を対象にした注目すべき研究成果が発表されていることもあわせて紹介される。

検閲と文学--1920年代の攻防 (河出ブックス)

検閲と文学--1920年代の攻防 (河出ブックス)

検閲・メディア・文学―江戸から戦後まで

検閲・メディア・文学―江戸から戦後まで

検閲の帝国

検閲の帝国

 千代田図書館ある内務省委託本の調査・分析も、その一環に加えられる*1。そうするとこの4、5年は、検閲に関する研究者の反応が敏感になっているということもできそうではある。

 そのなかで本書の特色はといえば、伏字を権力弾圧の結果、負のイメージを持ったキズとしてとらえるのではなく「文化記号的な使用形態」(p.23)に注目することなのだという。

 「文化記号的な使用形態」というのは何なのかについて、著者は「読者が介入できる”余地”」(p.57)を対置させる。このあたりは、近年も注目されている言論抑圧に関する諸研究とは一線を画する視点だと思う。

 また、かなり重要な指摘だと思うのだが、「施される字数が原文に対して非常に厳密に対応している」(p.61)ということが、伏字の大きな特徴とされる。この字数の厳密さが、逆に伏字部分の読解可能性を担保するというのである。また、伏字が黒塗りのものから白抜きの丸や四角などになっていくことも、日本人の美意識に合致する部分があったのではないかと著者は指摘する。

伏字のいろいろ

 もともと伏字は、『明治事物起源』などによると、維新後に徳川慶喜の名前を隠すために使われていていたらしい。佐幕派の新聞で、慶喜を反逆者として示すことができず、遠慮から使われだしたとされる(p.32)。

 伏字にもいろいろなバージョンがあった。

 外国語やローマ字で埋める場合、同じ字数だけ他の符号を埋める場合、活字をひっくりかえし、ゲタの形で示したもの*2、数字を使うもの、伏字部分を余白にするもの、伏字部分を別刷にして密かに頒布するもの(!)、あえて誤字を挿入して正誤表でわかるようにするもの・・・そのほか黒塗りなどなど様々な事例が紹介されている(p.34以下)。

 伏字は「無意味な記号としての役割を超越して機能していた」(p.62)とする著者は、伏字が施される理由を次のようにまとめる。

そこにあるのは、単に隠蔽に用いられただけの記号ではなく、当局に対する抵抗としての言論の仮の姿であり、当時の発行者、執筆者から読者への呼びかけの機能を仮託された意味記号でもあった。繰り返しになるが、伏字は主として発行者、あるいは編集者によって意図的に施された記号であり、検閲当局からは・・・内閲などを通して指示が反映されたものもあるが、その影響は原則的に間接的なものであり、直接的な指示による伏字化はまず行われないと考えて良い(p.63)


 引用中にも出てくるが、著者が注目しているのが「内閲」という制度である。

 内閲とは大正6年(1917)頃から大正末期・昭和初期までの約10年間、内務省図書課において編集者が事前に原稿を見せて修正個所の指示を非公式に受けていた制度のことである。

 つまり「内閲の結果を反映する場合に用いられたのが、様々な記号形態での伏字だった」(p.98)。

 しかし内閲は円本ブームを受けた出版点数の増加により、廃止せざるを得なくなり、代わって、禁止処分を受けたもので、発行者が還付願を提出して受理された場合、指定箇所を削除して発行者に還付する「分割還付」の制度が運用されていくようになる*3

内閲と出版史の論点

 本書の面白味は、例えば萩原朔太郎の『月に吠える』発行過程の分析を通じて、内務省交付本と流布本の奥付にかかれた発行日付の違いを指摘する箇所や(p.118)、発禁書の引用が許されず、与謝野晶子の詩を後年引用する際には伏字にせざるを得なかったこと(p.137)など、内閲の視点を得て、著者が出版史上の論点を描いていくところにある。

 権力側の抑圧に対する、いわばしたたかな対抗策として伏字をみていく著者は、たとえば昭和11年(1936)に、全国特高課長会議で伏字一律廃止とする方針が決定されたことに注目する(p.214)。

 これなどは実に面白い。


 要するに自主規制に見せかけて著者や出版者が巧妙に伏字を「逆用」するので、取り締まりの効果が上がらず、逆効果を生じるからであった。だがこの方針は一時的なもので成功を収めなかったらしい。

 もう一つ面白かったのは、こういう伏字が特殊日本的なものだという指摘である。

 たとえば占領下、CIEに納本した出版物について、呼び出しを受けたある編集者は、婦人将校から「あなたは検閲の結果を理解していなかった」として、次のように叱責される。

 すなわち、削除箇所を空字にしている。削除すべき文書を削除せず誌面を黒く塗りつぶしている、これにより、事前に検閲があったことが歴然と残っていることを厳重注意されたという。

 事前に検閲があったことがバレてはならないのだから、伏字は生き延びようがない。かくして占領期に伏字は一時的に姿を消すことになったのである。

いくつかの疑問など

 ただ、もとになった論文を読んだ段階でも思ったのだが、内閲の史料がないのが問題であるとはいえ、大正6年内務省に原稿を見せる習慣が、どうやって広がっていったのだろうかというのは気になった。

 完全な立証が難しいのは承知の上なのだが、p.111以下で論じられる『月に吠える』発行過程の考察(朔太郎が、当局の注意を受けて一部の作品をカットして発行せざるを得なくなったこと、それに彼が非常に憤ったことなど。)について、萩原朔太郎が内閲の制度を知らなかったのはそうだとして、なぜ発行者の前田夕暮内務省にゲラを持っていった方が良いと判断したのだろうか。危ないと思う箇所が朔太郎の作品にあったのだろうか。文芸作家の間で内閲が一般的に知られていなかった段階だとすれば余計にその部分は知りたいと思う。

 あと、雑誌と単行本の内閲の仕方が同じなのか違うのか、開始時期も一緒なのかどうかが気になるところもあった。

 これは引用史料で雑誌を取り締まっているのに、「従来出版法により・・・」とあって、根拠法に「新聞紙法」の記載がない箇所があったからだが*4、法で定められていないのに運用でカバーしている部分なので、公文書等の史料にも残りにくく、まだまだ不明な部分があると思われる。いずれにせよ内閲の詳細な検討の余地はまだ残されているといえるのだろう。

 もう一つ、大きな文脈におけば、内閲が行われていた時代の言論規制は、第一次世界大戦終結関東大震災をはさむ政党政治の時代に運用されていたことの意味をどう位置づけられるかということも気になる。これは出版史の論点として私自身も今後意識していきたいところである。

 自主規制ということの意識をかなりポジティブに捉えるということは、本書の戦略的なスタンスだと思うのだが、しかしたとえば制度的な検閲よりも自主規制をよりネガティブなものとして捉える視角も、たとえばフランクフルト学派などを参照した思想系では比較的根強くあるように思われ、こういう立場と本書がどう対話していくのかも気になった。

 例えば『啓蒙の弁証法』における「校訂者が自動的に行う予備検査は別にしても、原稿審査係、編集者、改作者、出版社の内外にいる代作者等々のスタッフの手によって、ある著作のテキストに加えられる審査の手続きは、その徹底ぶりにおいてどんな検閲をも凌駕している*5」というような「検閲」観との付き合い方とでもいおうか。もちろんまた一方には、加藤典洋がいうように、禁止されたものだけを祭り上げるだけでなく、合法的な範囲内で批評することの意味も積極的に捉えなおして良いという考えもあるのだが。

僕が批評家になったわけ (ことばのために)

僕が批評家になったわけ (ことばのために)

 この本を見たある方が、「おもしろそうだけど、若い人からすると伏字にはマイナスイメージとか刷り込まれていないからできる研究なのかなあ」という感想を漏らしていたが、なるほど、自主規制も表現の挫折として捉えるむきは、たとえば私が思想史の勉強を始めた頃に確かにあった*6。だからまさに新しい世代だからできた研究なのであろう。

近代日本思想案内 (岩波文庫 (別冊14))

近代日本思想案内 (岩波文庫 (別冊14))

 引用に『読売新聞』が多いのは、「実証的」研究を標榜する本としてはちょっと気になるところだが、それでも本書は検閲に当たった内務官僚や警察の発言などを丁寧に拾っているので、その部分を読むだけでも勉強になる。それにしても、自分より若い人のしっかりした研究成果がどんどん出始めていることに焦りを感じてしまう今日この頃ではある。

*1内務省委託本については、千代田図書館のウェブサイトの下記を参照。http://www.library.chiyoda.tokyo.jp/findbook/naimusho/

*2:布川角左衛門の『出版事典』の記述を読むと、活字を「伏せ」たときに上にくる「〓」部分を使用することが由来のようにも見える。

*3:内閲とこの制度変更については、千代田図書館が企画した浅岡邦雄氏の講演会「「戦前内務省における出版検閲【PART-2】:禁止処分のいろいろ」」でも触れられていた。詳細はこちらを参照。http://www.kanda-zatsugaku.com/080801/0801.html

*4:…と書いておいて、後になって出版法第二条但書きによって発行する雑誌、すなわちもっぱら学術・技芸・統計・広告の類を載せる雑誌に限定した議論の可能性もあるなあ…と気づいたので、誤読だったらごめんなさい(後記)。

*5:ホルクハイマー、アドルノ啓蒙の弁証法』徳永恂訳(2007、岩波文庫版)p.10

*6:例えば鹿野政直『近代日本思想案内』(1999、岩波文庫)参照。

敢えて読書史と読者史に思うことの断片いくつか

――和田敦彦『読書の歴史を問う―書物と読者の近代』読書メモ

読書の歴史を問う視点

 和田敦彦著『読書の歴史を問う―書物と読者の近代』(2014年、笠間書院)を読んだ。

読書の歴史を問う: 書物と読者の近代

読書の歴史を問う: 書物と読者の近代

 刊行前から楽しみにしていた本で、出たらぜひとも感想をまとめておきたいと思っていた。発売後すぐに読んだのに、身辺が少し慌ただしかったためにブログの更新自体が停滞してしまったが、以下、本書を通じて考えさせられたことについてまとめていきたい。

 本書の目次については、すでに版元が詳細なものを公開しているが、以下に掲げる全10章からなる。

第1章 読書を調べる

第2章 表現の中の読者

第3章 読書の場所の歴史学

第4章 書物と読者をつなぐもの

第5章 書物が読者に届くまで

第6章 書物の流れをさえぎる

第7章 書物の来歴

第8章 電子メディアと読者

第9章 読書と教育

第10章 文学研究と読書

 本書のスタンスの特徴は、冒頭のベトナム社会科学院にある日本関係図書との出会いに表れているだろう。これらの資料群は、ベトナム戦争の際に鉄の箱に入れて疎開された。そのことの意味を和田氏は次のようにまとめる。

「そこに書物があるということだけではなく、今までそれらが維持され、残されてきたこともまた、当然なことでも容易なことでもない。書物がそこにあるということ、そして読者に届くということが一つの驚きであるということを、そしてそれが調べ、考えるべき問いであるということを、この図書館の蔵書はまさに実感させてくれる」(『読書の歴史を問う』p.11、以下本書という。)

 ここから本書は、読書研究を「理解するプロセス」とその前段の「たどりつくプロセス」に区分する。そうして、「読者への具体的な働きかけを問うことなく出版史や流通史を記しても意味はない」(本書p.17)とまで言い切っている。本書では、表現の問題としてまず雑誌新聞が、ついで投書家が論じられ、読書空間、書物の仲介者、流通、検閲、電子メディア、国語教科書、文学理論のなかの受容史をめぐる問題といったテーマが手際よくまとめられて展開されている。

 手際が良すぎるといえば不当かもしれない。というのは、いずれも著者にとっては1997年の『読むということ』以来の、20年近い研究で開かれてきた独自の読書論のエッセンスにほかならないからだ*1

 構成としては、和田氏が中心に取り組んできたテーマが各所に配置されるとともに、前田愛永嶺重敏佐藤卓己日比嘉高各氏の近年の研究動向が整理されている。巻末の脚注では関連領域の情報まで整理されているので、読んでいて既知の文献だけでなく未知の文献が見つかることもしばしばだった。ほんとうにありがたかった。

 非常にコンパクトに、わかりやすく、多岐にわたる読書の歴史の論点をまとめている本なので、こういう本が読みたかった!と言っていた人は周りにも結構いたし、もっと若いころに読んでこういう視点を身につけたかったという感想も聞いた。同感だなと思う一方、感想が書きにくくなるようなある種の引っかかりも実は感じていた。

 いろいろな論点を示している本だけに、この本の全てが読書の歴史のトータルな形とされることに、軽い引っかかりを覚えたのだ。この本は新しい、ということと、だけどどこか全然新しくない気もするという読後感がぶつかりあっていた。そのことをもう少し掘り下げて考えてみたい。

たとえば読者の歴史について

 本書を読んで初めて読者研究の面白さを知った、という方もおられるだろうが、読者の歴史の研究は、少なくとも50年以上の「伝統」がある。そのことを踏まえて本書の新しさを考えないと、研究史的な読み方ではあんまり生産性がないことになってしまうと思うのだ。

 例えば1964年に『近代読者論』を書いた外山滋比古氏は、『異本論』のなかで「作者の手もとで古典になって世に送られる作品はひとつも存在しない」(p.13)という卓抜な表現で読者への注目を促して、次のように語る。

「作品が時間の流れに沿ってどのような運命にめぐり会い、どのように展開して行くか。それをたどって行く見方も必要なのではなるまいか。作品は読者に読まれることで変化する。そして、あとからあとから新しい読者があらわれる。文学作品は物体ではない。現象である。読者が新しい読み方をすれば、作品そのものも新しく生れ変る。後世、大多数の読者が、作者の夢想もしなかったような意味を読みとるようになれば、その新しい意味が肯定されてしまうのである」(『異本論』p.15)

異本論 (ちくま文庫)

異本論 (ちくま文庫)

 ただ外山流読者論と、和田流「読書の歴史」が、まったく別物であることは、簡単に想像がつく。もちろん、電子メディアが入っているからではない。

 絶妙なタイトルなのである。「読書の歴史を問う―書物と読者の近代」というと、書物の近代と、いわゆる近代読者の成立を問うと、本書が扱っている読書の歴史を問うたことになりそうに見えるのだが、それとは絶対に違う。

 前田愛氏によれば「文学研究者のあいだで、読者の問題が研究領域のひとつとして認められるようになった時期は、昭和三十年代に入ってからの数年間であったと思われる」といい、さらに1920年代から50年代の国民文学論までを「読者論小史」として描いている*2。文学は門外漢だけれど、そうしてみると読者論はもう古いと言っていいような分野なのかもしれないし、にもかかわらず文学研究における読者論は、続々刊行されていて活況を呈しているようにもみえる。読者の歴史を問わんとしているのは、何も本書だけの話ではないのだ。

書物の近代―メディアの文学史 (ちくま学芸文庫)

書物の近代―メディアの文学史 (ちくま学芸文庫)

近代読者の成立 (岩波現代文庫―文芸)

近代読者の成立 (岩波現代文庫―文芸)

読者はどこにいるのか--書物の中の私たち (河出ブックス)

読者はどこにいるのか--書物の中の私たち (河出ブックス)

 基本的にこれまでの書物・読者の近代から連想される研究史の蓄積は、基本的に「理解するプロセス」に属するものだったといえるかもしれない。その意味で、本書は基本的に、「読者」とはこういうものである、というような形で、いくつかの読者の型を設定するような問題の立ち上げ方をほとんどしていない。

 じゃあ何なのか?ということは、考えなければならないが、とりあえずはっきりした読者史ではないように思えるのだ。アルベルト・マングェル氏のエッセイのように、結局読者の歴史とは、本を読む者一人一人の歴史のような形で示されるほかないということなのかもしれない。そういえば、本書のタイトルはマングェル氏とちょっと似ているが、読書と読者の関係は考え出すとなかなか難しい。


歴史研究、思想史研究のなかの読書と読者

 読者を個人ではなくある社会的な階層に分けてとらえる視点なら、文学よりもむしろ歴史学や思想史の領分になってくるといえようか。新聞研究の分野では日本新聞協会が発行する『新聞研究』で、1961年にすでに「日本の読者」研究をしている。読者が新聞批判をすることを背景に組まれた特集で、統計なども出ている。

 1980年代までの研究史を包括的に知るためには、山本武利氏の『近代日本の新聞読者層』の第一章は必読である。すでに述べた文学分野における読者研究にくわえて、自由民権運動大正デモクラシー期における読者研究の方向性が示唆されている。言及された文献は日本史研究の古典なので、文庫でも復刊されて現在も入手できる。

明治精神史〈上〉 (岩波現代文庫)

明治精神史〈上〉 (岩波現代文庫)

 本書第2章「表現の中の読者」でも推奨されている個別の雑誌研究は、少なくとも明治思想史に関していえば、『明六雑誌』や『国民之友』『日本人』など、日本史の教科書に出てくるような主要雑誌の研究は90年代から相当に蓄積されている。近年でも明治期のナショナリズム研究でも、思想の担い手であり、読者としての「書生」の重要性が指摘されているので、この方面の研究は今後歴史学でも活発になっていくはずと思う。

 さらに歴史学からする読者の研究では、フランスの現代歴史学アナール学派(Annales School)が提唱する「社会史」の文脈で、ロジェ・シャルチエ氏の読書の文化史や、フランス革命期における出版物を分析したロバート・ダーントン氏の研究などからも直接的ないし間接的な影響を受けている。シャルチエ氏の方法は、それ自体取り上げてちゃんと勉強しなければな、と前々から考えている。さらにイギリスの歴史家ピーター・バーク氏の研究も重要だと思われる。

読書の文化史―テクスト・書物・読解

読書の文化史―テクスト・書物・読解

猫の大虐殺 (岩波現代文庫)

猫の大虐殺 (岩波現代文庫)

A Social History of Knowledge II: From the Encyclopaedia to Wikipedia

A Social History of Knowledge II: From the Encyclopaedia to Wikipedia

 また、本書が意識的に具体化しようとしている「たどりつくプロセス」に関しても、思想史の分野で注目がないわけではなかった。アダム・スミスの書誌学的研究で知られる水田洋氏は、著書『知の商人』のなかで、次のように問題点を整理している。

「思想史研究の中心は、いうまでもなく原典の解読であるが、一方ではそれの形成過程、他方ではそれの伝達・普及過程を明らかにすることが、ふたつの重要な支柱の役割をもつ。ふたつの方向での研究は、もちろんないわけではないが、しばしば--とくに形成過程は--伝記と混同され(中略)、あるいは伝記に埋没しているし、伝達・普及過程は、たいてい研究史に限定され、しかも正解か誤解かという正統・異端史観に支配されている。さいごの傾向の例は、とくにマルクス主義思想史に豊富にみられるが、普及史においては、正解と誤解は同権なのである」(『知の商人』p.241)

 書物の出版社が思想史のアクターとしてどう捉えうるかという点では、最近の『物語・岩波書店百年史』が参考になろう。とくに第3巻では、『日本思想大系』『日本古典文学大系』あるいは同時代ライブラリー、書目からどのような思想を生み出そうとしていたか、傾向を読み解こうとする試みがなされている。

 出版史の研究についても、むしろ電子化という新たな課題と直面するなかで、関心が高まっているといえそうである。こうした視点からの「たどりつくプロセス」の掘り下げは、喫緊の課題である。柴野京子氏の『書物の環境論』は、とくに流通に関して、本書と重なる部分も大きいように思うが、どうだろうか。

書物の環境論 (現代社会学ライブラリー4)

書物の環境論 (現代社会学ライブラリー4)

 歴史社会学的な視点でも、読書は重要な分析対象とされているようである。例えば佐藤健二氏は、『読書空間の近代』のなかで柳田国男の読書について取り上げる。

読書空間の近代―方法としての柳田国男

読書空間の近代―方法としての柳田国男

 柳田が「内閣文庫」に勤めるなかで、人があまり読まない記録というものがあることを発見していく過程で、彼の民俗学が立ち上がっていくことを指摘している。とくに柳田の読書が、まず歴史性を帯びた書物の塊との出会いからはじまったといい(『読書空間の近代』p.132)、文庫―蔵書は、柳田の学問構想の「産屋」だったとするのは、一冊の本の解釈史ではない、ある種のアーカイヴとの出会いが、人の思想形成にいかに関与するかという問題を投げかけている。

 自分の関心ももっぱらそこにあるが、歴史の中で読者同士のつながりを発見していく過程というのはかなり重要なのではないかと思っている。例えば「読者である信徒」によって担われる宗教思想運動として、内村鑑三の無教会運動が「紙上の教会」である雑誌を媒介に成り立っていたことを説明した赤江達也氏の研究は、ほんとうにおもしろく読んだ。

 これらの研究の成果を踏まえたときに、本書で描かれた「地図」はどう拡大していくのか、目が離せない。


図書館情報学のなかでの読書と読者

 本書の論点はまだまだあってとても語りつくせない。検閲なども論じれば大変なことになってしまいそうなので、いったんこの辺でやめて、図書館の話をしたい。本書でも図書館について言及されているので、注目した人は多そうである。例えば図書館史の有効性について次のように述べられる。

「ここで図書館史を評価したいのは、それが読書の歴史、すなわち読者への書物の流れがいかに形成され、あるいは制限されてきたかを教えてくれるからである。あるいは、こうした読者への書物の流れという観点から、これまでの図書館史研究の成果を今一度とらえなおし、整理していくことも可能だろう」(本書p.72)

 ただ、こういっては僭越極まりないが、私自身は近年研究が増えている図書館史でも、日本国内ではまだまだ読者≒図書館利用者への視点は弱いと感じている。図書館史から出発して読者論を立ち上げた唯一の例外が、本書でも言及されている永嶺重敏氏だと思うのだが、そのあとに続く人があまりいない気がする。

 最近出た図書館史の実践的な書き方の教科書でも、あくまでも図書館員が図書館史に関心を持つよう奮起を促す内容になっていて、結果的に、図書館員による図書館員のための歴史が要請される形に留まってしまっている。

 この場合、問題は図書館員のメンタリティであって著者の奥泉氏の責任ではないのだろうが、せっかく和田氏が読書の歴史という形で図書館にも目を向けているのに、図書館側でそれにこたえる視点が乏しいのは、正直どうなんだろうか。と私は思ってしまう。

 もっとも、最近知ったところでは、アメリカの図書館情報学における「専門性」をめぐる議論のなかで、読書の社会史についてちゃんと知っておくべきだろうという提言もなされているらしい。

 リチャード・ルービン氏の『図書館情報学概論』は、図書館とマイノリティやジェンダーの問題なども扱っていて、また、教育と情報の衝突とでも形容できそうな、図書館員の専門性をめぐる図書館学者と情報学者の間での論争について記述されていて、アメリカの事情がよくわかるのだが、この本によれば、図書館員の専門性のなかで読書の歴史に関する知識が必要だという提言が、1997年頃にすでになされているのだそうだ*3。提言しているのは、アメリカ図書館史研究の大家ウェイン・ウィーガンド氏*4

 はやく日本の図書館のなかでも読書の歴史、読者の歴史がもっともっと注目され、たくさん研究される日が来てほしいと思う。



 和田氏による本書の最大の特徴は、従来バラバラに研究されてきたいくつかの流れを、「たどりつくプロセス」と「理解するプロセス」に分類し、しかもそれを統合した研究領域がありうることを示唆した点にあると考える。

 ところで、こうしていろいろと考えてきて思うのは、和田氏の研究領域は、例えば「近現代の書物を対象にしたネオ書誌学」と呼んでしまって、よいのではないか?ということだった。

 もしかしたら、あえて「リテラシー史」を標榜する和田氏には、旧来の書誌学の在り方に対して疑問や批判がおありかもしれず、それを混ぜっ返して「書誌学」に再度分類してしまうのは乱暴極まりない話かもしれないのだが、近代書誌学というのは、ありそうでない、できそうでなかなか構築されない分野だということは、かねてから何人もの斯学の先輩方が言及してこられたところでもある。

 自分で言うのもなんだが、私が興味があるのは少し変な領域で、思想家の全集の本文の異同だったり、地方で出版され回覧された同人誌だったり、あるいは図書館史の歴史だったりするのだが、そういうものに興味を持ってきたのは、どこの誰にとっても、何かを読んで何かを考える経験は代替不可能でかけがえないもので、どんな媒体・形態で、あるいはどんな場所で、お金を払ったのか、借りたのか、その意味や意義をいい加減な推論で簡単に判断すべきでない。という考え方を多少なりとも歴史研究のなかで具体的にしたかったからと思っている。本書を通読し、「近現代の書物を対象にしたネオ書誌学」という着想を得たことで、もう少しだけその興味の対象が具体的になった気持でいる。

 タイトルから読書史や読者史として本書を読む方もおられると思うが、“敢えて”いえば、私にとってこれは「書誌学」の本だった、それも極めて新しい論点整理をした本だったというのが、読了後しばらくたった今の感想である。無論「ネオ書誌学を問う」よりは「読書の歴史を問う」というタイトルのほうが数十倍カッコイイことは、まったく否めないのであるが。

*1:和田氏の本については、かつて当ブログ内で『越境する書物』についての読書メモを書いたことがあるのでそちらも参照。

*2前田愛『近代読者の成立』(岩波現代文庫版)p.377

*3:リチャード・ルービン、根本彰訳『図書館情報学概論』(2014年、東京大学出版会)第二章による。

*4:まだ未見だが、次の文献がある由。急ぎ読んでみたいと思う。Wiegand, Wayne A, "Out of Sight out of Mind: Why Don't We Have Any Schools of Library and Reading Studies?" Journal of Education for Library and Information Science, 38(4), 1997.ウィーガンド氏のプロフィールについては、Wikipediaのほか、川崎良孝「ウェイン・A.ウィーガンドと図書館史研究--第4世代の牽引者」を参照

レファレンス・サービスは自らの来歴を語りうるか

不遇のサービス?

 図書館におけるレファレンス・サービスの真価が理解されていないという話がある。

 図書館関係者の嘆きでよく聞く類の話題である。海外で資料調査してきた人だと、「すごいね向こうの図書館!レファレンスライブラリアンってのがいてさ、何でも資料のこと教えてくれるんだよ。ダメだねうちの図書館は。日本遅れてるよ!」というような会話が、レファレンスカウンターの前でなされる悲劇。もしかしたら、今日もどこかで繰り返されているかもしれない。

 エビデンスを出すのが難しいが、レファレンスというのが図書館のサービスであること、しかもそれは大学でも公共でも館種を問わずやっているということまで含めて認知されているとはおそらく言い難い状況にあろう。

 そもそもレファレンスとは何であるのか。『図書館情報学用語辞典』第4版(丸善、2013)は次の定義をしている。

何らかの情報あるいは資料を求めている図書館利用者に対して、図書館員が仲介的立場から、求められている情報あるいは資料を提供ないし提示することによって援助すること、およびそれにかかわる諸業務。図書館におけう情報サービスのうち、人的で個別的な援助形式をとるものをいい、図書館利用者に対する利用案内(指導)と情報あるいは資料の提供との二つに大別される。

 質問に対して情報源を提示することがポイントで、業務となると情報源を提示しやすくするために辞書類をコレクションとして整備したりだとか、質問傾向を分析してよくある質問はあらかじめパスファインダにして配るということも考えられる。

 こうしたレファレンスについて書かれた本は、しかし教科書も含めると膨大な数が存在する。その中でも名著というべきは、井上真琴氏の『図書館に訊け』だろう。

図書館に訊け! (ちくま新書)

図書館に訊け! (ちくま新書)

 図書館とはそもそもどんな種類があるのかというところから説き起こし、一般的な資料の探し方に加え、講座モノ、博論、学者自伝の利用などといった特定主題の学問分野に簡単に通暁するための裏ワザも言語化する。学生さんが読んだら役に立つと思うのだが、どちらかというと学生さんに図書館の使い方を教える大学の先生により読まれたらよい本だと思う。誰かが噛み砕いてあげないと、学生さんが、書いてある事柄の凄さを理解するまでには、ひょっとすると時間がかかるかもしれない。


 井上本が大学図書館向けにできているのは確かで、公共図書館系のレファレンスなら、『図書館のプロが教える調べるコツ』などが良いのかもしれない。小学校の自由研究ほか、簡単な事実調査や、生涯学習に使える事例が豊富に載っている。その意味で、こちらは、専門的な論文さがしというよりは、もう少し生活に密着した疑問の解決のために図書館がどう使えるかという観点の事例集といえるだろう。

 事例が豊富なものとなると、大串夏身『情報サービス論』を初めとするいくつかの教科書も有用と思われる。大串先生の本は、レファレンスの経験的な部分から探索手段をチャート化していく、帰納的な方法によるレファレンス論構築のねらいがあるように思われる。『ある図書館相談係の日記』(日外アソシエーツ、1994)は、元号が平成に代替わりしたころの都立図書館の充実した記録になっている*1

情報サービス論 (新図書館情報学シリーズ)

情報サービス論 (新図書館情報学シリーズ)

インターネット時代の変化

 ただ、古いレファレンスの教科書は、情報環境の変化が速すぎるために、肝心な部分がすぐ使えなくなってしまうことも多い。インターネットの普及で、レファレンスはどう変わったか。田村俊作編『情報サービス論』では、次のようにある。

たしかに、簡単な情報探索は以前とは比べ物にならないくらいに容易になった。しかし、実際には、情報源は多様化し、検索の仕組みも複雑になり、しかも新しい技術やサービスがつぎつぎと導入されるため、的確な情報アクセスを維持するためには、いっそう高度な技能が要求される。またインターネット情報源は予告なく変更されるなど不安定で、間違いも多く信頼性も不十分なため、的確に評価する批判的な目が必要である(17ページ)

新訂情報サービス論 (新現代図書館学講座)

新訂情報サービス論 (新現代図書館学講座)

 本書は、2010年の刊行だから、その後のtwitterなどの爆発的な普及とか、デジタルアーカイブの浸透以前の話であって、インターネット情報源に対する評価は、今日では多少変わっているかもしれないが、今なお傾聴に値する見解である。簡単にわかる範囲が増えたのだから、ある事実などについて、限界まで調べることが増えてくるわけで、そのような質問が増えれば、当然、従来以上にレファレンスに時間がかかるようになった。レファレンスの件数が減少傾向にある、というのは田村先生の別の論考でも言及されている*2


どうしたら批判に応え得るか

 他方、サービスへの批判や疑問もある。冒頭で述べたように、一般的な認知度がずば抜けてあるわけでないのに、いつまでも貸出の次に来るべき主力サービスの有力候補がレファレンス・サービスだと言っていてよいものかという、ある意味当然の疑問である。

 例えば次のようなもの。

レファレンス・サービスは、米国図書館(図書館情報学)界の影響を強く受けている日本では、図書館が行なうべき当然の、そして専門職のスキルとコレクションをフル活用して行なう高度なサービスと考えられている。しかし、例えば英国ではレファレンス・サービスという言葉自体をあまり聞くことはない。それはレファレンス・サービスにあたるサービスを行なっていないということではなく、サービスの提示の仕方が違っているからである。そもそもレファレンス・サービスは、情報サービス、利用者教育、図書館利用ガイダンスなど、手法も目的も大きく異なるサービスについて、司書による利用者援助の側面に焦点を絞って共通化した総称であり、細かく見れば、簡易レファレンス、書誌事項確認、相互貸借・文献提供手続き、情報提供サービス、レフェラル・サービス、調査支援、SDI、データベース検索、情報事業者斡旋、図書館オリエンテーション、文献探索指導、情報マネジメント教育、読書相談、読書療法、調査コンサルティングなどの極めて多様なサービスから構成されている。これら全体をレファレンス・ワークとして、レファレンス・ライブラリアンが業務上統括することには意味があるが、司書とのコミュニケーションを必要とするサービスに慣れていない、そして利用目的も社会的背景も異なる日本の図書館利用者にいきなりレファレンス・サービスとして提示しても、受け入れられるはずがなかった。(柳与志夫『千代田図書館とは何か』(ポット出版、2010)129頁)

千代田図書館とは何か─新しい公共空間の形成

千代田図書館とは何か─新しい公共空間の形成

 厳しい意見だが、こういう考え方もあろう。

 British LibraryにもReference Teamが各部屋にあるとウェブサイト上に出てくるがHelp for researchersとかいう表現も使っているみたいだし、アメリカほど使わないという意味に解するならば、そうだろう。ちなみに、アメリカのCIE図書館は、ヨーロッパ戦線の終結を見越して、レファレンスライブラリーをあちこちに設置していったという話もあり、とくに第二次世界大戦ナチスから解放される地域に野戦図書館を設けたりしていたという。そうするとレファレンス・サービスもある種の政治性を必然的に帯びることになる*3

「問答版」の話

ところでちょっと気になったのが、レファレンス・サービスは戦後アメリカから入ってきたが定着しなかったという話である。例えばこういうのがある。深見洗鱗「帝国図書館に就きて」『風俗画報』第218号(1900年10月)に載っている「問答板」だ*4

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『風俗画報』の記事にはこうある。

学芸参考若くは著述上或る一事を調査せんと欲するに其何れの書に就かば之を亮知するを得べきや其捜索人中互いに質問するの方法を設く故に質問せんとする者は出納所に申出で質問用紙を受取て其の疑問を記し此処へ挿むべし又閲覧者中質問の事に就き書名等承知の者は質問用紙の部に其答を記載ありたし(深見洗鱗「帝国図書館に就きて」『風俗画報』第218号(1900年10月)p.15)

 稲村徹元氏によると、これが日本におけるレファレンスのはしりといってもよいらしいのだが*5、職員が回答せず、利用者同士の情報共有のような形で質問回答がまわっていることがなかなか面白い。

 帝国図書館だってアメリカをモデルにしていたではないかと言われればそうなのだが、何にせよ参考業務に需要があり、それに対して、何とか帝国図書館が、少ない人員で(専任スタッフがまだ館長以下10人前後の時代だと思われる)やりくりしようと涙ぐましい努力をしてこういう形になったことは面白いではないか。

 レファレンスについてはマンガ『夜明けの図書館』の第一話が(一話に関してはこちらで立ち読みができる)、レファレンスに大いなる夢と熱意をもって取り組もうとする新米司書が、サービスとして過剰ではないかと言って懐疑的な態度を取る職員と言い合いになるという、かなり重要な問題を提起していて、考えさせられる。

夜明けの図書館 (ジュールコミックス)

夜明けの図書館 (ジュールコミックス)

 田村論文以後、いくつかの公共図書館でのレファレンスの傾向を調査した論文では、全体としてレファレンスの件数全体は増えておらず、この数年でレファレンス件数が増加した図書館では、難易度の低いレファレンス(所蔵調査等)が増えているという結果が出ている。ネットの普及した結果、難しいレファレンスが相対的に増加したという通説は、やや疑わしいのだそうだ*6

 こうなると、コスト削減から、レファレンス要らない論が出てきかねない。同論文で次のように述べられているのは相当重い提言だと私は思う。

万が一レファレンスサービスを「失うことになった場合」図書館と図書館員は、レファレンスサービス抜きで社会から評価されることになる。130年前、サミュエル・グリーンが図書館の評価を高めることを企図して提唱したレファレンスサービスの意義はおそらく今なお減失していないと考えられるが、レファレンスサービスの位置づけが変化を迫られている以上、その再定義は不可避である(渡邉論文、163ページ。)

 そう。図書館はレファレンス・サービス抜きで戦えるのか?そのことまで含めて考えないと、日米カルチャーの印象批評をしてもほとんど意味がない。

 私もまた、レファレンス・サービスは重要と考える者の一人である。

 ある時期まで、占領軍政策の一環としてレファレンス・サービスがもたらされたと強調することに意味はあったのだと思うのだが、実際にはむしろそうした情報サービスへのニーズは、先の帝国図書館「問答版」に見られるように明治時代からあったし、戦後の水準からみて十分でないからといって、きちんと図書館史のなかに位置づけなくていいという話にはならないと思うのである。

 占領軍がもたらした先進的なレファレンス・サービスの理想を強調する物語はむしろ、アメリカ人には合うけれど日本人には適合しないのだという主張に追い風となってしまうかもしれない。

 今なお定義があいまいな「レファレンス・サービス」をそれとして考えるのではなく、未だレファレンスと呼ばれていなかった頃のサービス受容の在り方から、一つの筋の通った話として、いわば「来歴」をきちんと物語ることが出来るのかどうかを、これから少し考えてみたいと思っている*7

(続けられたら、志智嘉九郎『りべる』などを参考にもう少し掘り下げてみたい)

*1:ある先輩に聞いてみたところ、レファレンスの話は大概規範的な話+参考図書紹介のテンプレができていて、実務経験を相当程度こなした上で、理論的な話と経験的な話を接合したレファレンス論は、少なくともインターネットが普及して以降、日本語ではまだないので、こういう本が貴重なんだそうだ。その先輩に教科書書いてくださいよ、と言ったらうまくはぐらかされてしまったのだが。

*2:田村俊作「総論:レファレンス再考」『情報の科学と技術』第58巻第7号(2008年)325ページ。テキストへのリンクはこちら。なお、同じ号に掲載されている安藤誕、井上真琴「インターネット時代の"レファレンスライブラリアン"とは誰か?」も非常にためになる事例が豊富に掲載されている。リンクはこちらから

*3渡辺靖オバマ時代のパブリック・ディプロマシー」『ソフト・パワーのメディア文化政策』(新曜社、2012)124ページ。なお、注記によると、このあたりの記述は今まど子氏のCIE図書館研究も参照されている由。

*4著作権は切れているので、とりあえず古本で買って持っていた手元の号からアップしてみた。

*5稲村徹元「戦前期 における参考事務のあゆみと帝国図書館--資料紹介「読書相談ノ近況」(昭和十年六月帝国図書館)〔翻刻〕」『参考書誌研究』3号(1971年9月)

*6:渡邉斉志「公立図書館におけるレファレンスサービスの意義の再検討」『Library and Information Science』66号(2011年)。テキストへのリンクはこちら

*7:ここでいう「来歴」というのは、故坂本多加雄氏が使っておられたものを念頭に置いてのことだが、そのことも含め、次回以降機会があれば考えてみたい

「最近の図書館システムの基礎知識」を読んで考えたこと

最近の図書館システムの基礎知識

 『専門図書館』264号(2014年3月)に掲載された林豊氏の「最近の図書館システムの基礎知識―リンクリゾルバ、ディスカバリーサービス、文献管理ツール」という記事を読んだ。

 最近、図書館情報学に関する情報収集のお仕事にほんの少しだけ関わり始めたこともあって、ふだんあまり意識的には読まないシステム系の論文も、勉強しないままではいけないなと思っていた矢先。このテーマで、しかも林さんの執筆とあればこれはと思い、さっそく読んでみた。

 『専門図書館』は色々な特集をしているが、今回は「図書館システム2014」と題する特集で、林さんの記事の後には、各社の製品紹介が続々と続く。ちょうど巻頭論文+総説のような感じになっていて、もうなんというか大御所のようであると思ったりした。さすがすぎる。

 同記事で紹介されているのは、2000年代以降増えてきた電子リソース*1を管理・提供するシステム、さらに検索システム、文献管理ツール、次世代型図書館システムの4つのカテゴリーに属するシステムの概要である。後半の二者は軽く触れている印象だが、どんなものがあるかの商品名くらいは、私も覚えておかねばと思った。

 内容については、私があやふやな知識でまとめるより、そもそもリンク先の方が詳しく書いているし、論文ではなくて解説記事だとご本人もおっしゃっていたところでもある。本文もいずれ一定期間を経過後にオープンになるのではと思われるので、興味を持たれた方には是非実際に本文を読んでいただくのを強くお勧めして、私が面白いなと思ったところを以下にまとめたい。

 物凄くわかりやすく、参考になったのは、やはり検索システムのところであった。これは以下のリンク先にある発表資料が示す通り、林さんの得意中の得意分野なので、当然だし、読み応えがある。

 本文では、物理的資料だけでなく、電子リソース、オープンアクセスの文献まで図書館で提供できるようになったという前提の上で、このように述べられる。

OPAC以後の検索システムは両者のギャップを埋める方向に進んでいる。しかし、提供可能な資料は増大する一方であり、この差を完全に埋めることは今後も不可能であろう。各図書館では、導入・維持コストを考慮したうえで、必要十分なレベルのシステムを検討することが大切である。また、検索範囲に加えて検索機能やユーザインターフェースの問題もある。従来型のOPACは、利用者が直感的に使えないとしばしば言われる。検索範囲を拡大していけばいくほどに、利用者が情報の海のなかから目当てのものを効率良く探し出せるようにサポートする機能が強く求められるようになる(p.4)。

 すげえ「不可能」って言い切った。というちょっとした感動があるのだが、しかしこれは当然だとも思う。

 以前は、検索によって得られた結果がリプレースのたびに変わって不安定な印象を持つこともあったのだが、資料が増えるということは新しいものが上に積み重なることを意味するわけではない。図書館は古書だって場合によっては購入するし、寄贈で欠本になっていた個所が埋まることも稀にあるし、そもそも未整理だったものが遡及入力されてOPACで検索できるようになることもあり得る。前に調べたからなかったのが、数年後に調べてもないとは限らない(図書館によっては物凄く汚損・棄損された資料は除籍されることもあるし、亡失も完璧に防ぐことはできないので、論理的には逆も起こりうる)。

 それはどの時代についても言える、というのが図書館のキモなのかもしれない。


変わる検索スタイル

 ディスカバリーサービスとも呼ばれる最近の検索システム*2の特徴は、林さんによれば、次のようにまとめられる。

  1.  シンプルなキーワード検索画面
  2.  物理・電子リソースの統合検索
  3.  検索語の推薦(もしかして?を返してくるもの)
  4.  検索結果の絞り込み
  5.  関連度順ソート
  6.  情報の充実した検索結果一覧の画面
  7.  書影・目次・あらすじなど充実した書誌情報
  8.  関連資料の推薦(Amazonのレコメンドのようなもの?)

 そこでは「前もって緻密な検索語を組み立てるのではなく、シンプルなキーワードでざっくりと検索してから、(膨大な)検索結果をさまざまな機能で絞り込んでいくという利用スタイルが意識されている」(p.4-5)ことになる。

 林さんによると、ディスカバリーサービスも、北米を中心に2005年ごろからおこってきた、と書いてあるので、来年で10年になるわけだ。それなりに長いトレンドといってもいいかもしれない。

 また、細かすぎるためかあまり触れられていないが、検索ロジックについても、根本彰・岸田和明編『シリーズ図書館情報学②情報資源の組織化と提供』(東京大学出版会、2013年)などもあわせて読むと、新しい動きがいくつもあることがわかる。

 単語の一致だけでなくて、その類義語や関連語を複数使って検索したりとか、全文検索技術として研究されているバイグラムのようなものもある。バイグラムでは、例えば歴史学用語を検索するにあたり、「国民主義的対外硬派」みたいな語を、「国民」「民主」「主義」「義的」「的対」「対外」「外硬」「硬派」のように二文字ずつ区切っていって、それぞれの語で検索をかける。こうすることで検索漏れを防ぐ機能を実装しているOPACもある*3

 

日露戦後政治史の研究

日露戦後政治史の研究

 それから、ウェブスケールディスカバリーサービスの紹介も面白かった。これは、

統合検索(リアルタイム検索)の欠点である検索速度の遅さを改善するために、世界中の出版社と交渉し、検索対象のデータベースから事前にタイトル単位・論文単位のメタデータやフルテキストを収集して検索インデクスを構築しておくという手法の製品が登場した(p.5)。

 とされており、「何だそれは頭良すぎるだろう!」と思って調べてみると、先日筑波大学附属図書館のOPACリニューアルで導入されたSerials Solutions社のSummonがこれにあたるらしい。

 事例で挙げられているのは初期の導入館だった九州大学だが、「収録されたメタデータは現在では数億件から数十億件という規模に達している」(p.5)と書いてあって、そんな大袈裟なと思って九大附属図書館のHPを見たら本当に

論文/記事情報(海外) 世界中の6,800以上の学術出版社、94,000以上のジャーナルからの論文/記事 約8億件

 と書いてあったので度肝を抜かれたのであった(国内が800万件だから、桁が違う)。

 この規模の想像できないような文献世界を相手にして、色々な利用者の要求をできるだけ汲みつつ、何とか情報ニーズを満たせるような検索システムを構築しているというのが実情なのだ。

 ところで、こういうOPACの話や検索の話は、図書館員もそうだが、大学で教鞭をとっている人にもちゃんと伝わっているのであろうか。というのは、新しいディスカバリー系のインターフェースは、私自身が当初かなり戸惑ったし、いまでも周りにいる人文系の研究者の間では、少なくとも絶賛されるような事態に至っていない。しつこく聞いてみると、むしろどうも不評のようでもある。そのことと検索システムのギャップについて、最後に考えてみたい。


歴史研究にとって検索とは何か

 そういうのを考えたきっかけは、たまたま最近読んだ本にある次のような一節からだった。

 歴史家がコンピュータを使いはじめてから、少なくとも四半世紀が経つ。一世紀以上前に原稿をタイプで打ち込むようになったときには、研究や執筆の構成、スタイル、手順にも、またテーマにも変化は見られなかった。だがコンピュータを使うようになってからも変化がなかったとは言い切れない。人間の知性とコンピュータの関係について論じた本はいまではたくさん出版されている。この問題について私は何も知らないが、歴史家という職業の現状と将来を憂う者として、二つの点を指摘させてほしい。

 一つは、歴史を書くにせよ他の文学作品を書くにせよ、コンピュータ上で文を書くと文体が改善されるという証拠はどこにもないことである。むしろ逆になるケースも見受けられる。もう一つは、より重大な問題で、コンピュータで入手可能な情報に研究者が依存しがちになることである。この種の「情報」は言うまでもなく大量に存在し、しかも驚異的に簡単に入手できる。だがそうした情報は信頼できるのだろうか。答えはイエスでもあればノーでもある。それらは、誰ともわからない人間の手でどこかのコンピュータに入力されたものだ。「データバンク」と称するものの中には、書籍、論文、史料の所在も含めて重要な情報が欠落し、しかも欠落したままだろうと予想される代物がいくらも存在する。この事実に、コンピュータを使う多くの人が気づいていない(原文の引用や参照をインターネットに頼り切り、レポートに切り張りする学生を見るだけでも、このことは明らかだ)。検索可能であることと証拠として依拠できることとは同じではない。キーを叩くと画面上に現れるものが、必ずしも「現実」に存在するとは限らない。

 いま述べたことの多くは、「史料」の問題にかかわってくる。これについてはすでに触れたが、ここでは一部の歴史家が取り上げた論点を吟味することにしよう。社会史、ジェンダー史、宗教史といったものでは、史料が乏しく断片的だという問題があり、歴史家はつぎはぎ細工をしたうえで結論をひねり出さなければならない。これに対して近年の政治史や国際関係史では、まったく逆の問題に直面する。社会や政府のさまざまなレベルで材料が大量にありすぎるのだ。通話記録、テレタイプ、eメール……。これらの中には検索可能なものもあれば、可能でないものもあるが、いずれにせよ信頼できるのだろうか、あるいは完全なのだろうか。また、中央情報局(CIA)のような情報機関で保存している記録は、どこでどんなものが検索できるのだろうか、そもそも検索できるのか、できるとして信頼できるのだろうか*4

 大変長い引用で恐縮である。著者は1924年生まれなので、なんだ老人の小言か。といって片づけられてしまいそうなのだが、しかし歴史という学問と出版であるとか、同書に対して私自身はかなり共感できる個所が多かったので、ここも立ち止まって考えてみたいのである。

 著者がいら立っているのは、検索できるものが歴史研究で使える史料の全てではない、ということなんだろうと思う。

 すなわち、「検索可能であることと証拠として依拠できることとは同じではない」。ごく一部の人にしか通じないかもしれないが、しかし例えば、相当の理由がない限り、日本近代史の論文で、いくら検索がしやすいからといって、読売新聞データベースからしか引用せずに世相を語っているのはNGという判断はある。第一、新聞記事から世相を語りたければ、(割と私の好きな)『明治世相編年事典』なり『新聞集成明治編年史』なり、あるいは索引から検索しやすいところでいえば、『明治ニュース事典』『大正ニュース事典』なりが現に存在しているのだから。

明治世相編年辞典

明治世相編年辞典

 そういう意味では、歴史研究の質は、普通にシステムを使って検索できるものと、それでは辿りつけない史料の塊をどれだけ知っているかの組み合わせで決まるということになってくるのだろう。そして検索では辿りつけない史料の塊が何なのかという話になってくるとき、俄かにレファレンス・サービスはやはり大事だということになってくる。


 もうひとつ、検索が研究の全てを規定してしまうわけではないと思うのだが、ちょっと思わせぶりな分析概念を拵えるところから始まって、人文系はそもそも緻密な検索語を作るのが基本的に大好きな人が多いように見えることも、何がしか検索システムに対する人文系の意識を規定しているように思える。いくつかの文献を読みながら検索語を抽出して「このパターンならこういう結果が出るはずだ!」と思いながら検索をかける利用スタイルが、あくまで私の想像だが、かなり多いと思うのである。

 絶対の自信を持って選び抜いた検索語に「もしかして?」がついたときのイラっとする感じは、わかるような気がするし、また、利用側がこのようなアイデアで調べた先行研究はないだろうと思って念のため検索をかけたら、よく把握できないロジックで、なんだか見てみないと当たりか外れかもわからない結果が複数出てきた。見てみたら全部無関係のテーマだった。というのは利用者の時間を節約するどころか浪費させているわけなので、その点でうまくいかない悲劇であるかもしれない。

 いずれにせよ、一見、「なにそれ繋がるの?」という風に見える論題に接したとき、この主題とこの主題を組み合わせるのかという意外性の驚きが人文系の論文の妙味の一端を構成していることは疑えず、それが私の周りの人文系ユーザからまれに漏れ聞こえてくる、ディスカバリーサービスの不評と繋がっているような気はする*5

 戯画的に付け加えるなら、自分がこのようにしてみたい、やってみたいと内発的に思ったことを、システムに規制される形で実現できないことを何か「疎外されている<私>」みたいな形で発見してしまい、そのような問題を哲学的な次元で議論したがる人も、人文系には一定数いると思われるが、まあそれはともかく、検索のスタイルも、十年一日同じようにやっていて良いわけではないということ否めないのだろう。

 「図書館は成長する有機体である」といった人がある。その解釈はさまざまであろうけれど、持っている資料が有機的に増えていくならば、それを探すツールもやはり変質を免れないし、さらにそれを提供する側はもとより、使う側も、そうした発展のサイクルの影響を不可避的に蒙りながら進んでいくしかないということなのだと思う。

 端的にいえば、真面目に研究を続ける気があるならば、検索はその都度やるよねと、調べる側が問われているのだ。図書館員にではなく、増え続ける資料に。

 OPACは検索のための道具で、道具はしょせん道具なのだが、気がつくと留守の間に勝手に室内を動き回る掃除機のようになっているかもしれない。そんなことまでする必要はないと言い続けても、大勢では掃除機の古い紙パックが生産中止になってしまうように、結局道具である以上、耐用年数があるということなのだろう。

 

 成長や進化という言葉を安易に形容詞に使うのはよくないかもしれないが、従来型OPACで十分な検索結果が得られているのだからそのままでいい。余計は改変をするな!というのは、知らないところでどんどん友達づきあいが増えていく子供の成長を受け入れられないために、上から馬鹿にし続けないと立場を失ってしまう親のようである――そう想像して、それはカッコ悪いなと思って、過去にそんなことを思ったり言ったりしたことのある気がする自分をちょっと反省した。

 何もそんなことまで考えなくとも、という著者のあきれ顔が浮かぶが、考えるきっかけをくれた林さんに感謝である。

*1:大まかに「電子ジャーナル、電子ブック、データベース、デジタル化資料など」と分けられている(p.2)。

*2:検索範囲が図書館の書庫の中にある物理的資料だけでなく、契約データベースに入っている論文などの電子リソースも含むことから、もはやOPAC=Online Public Access Catalog、オンラインで見られる図書館の蔵書目録という意味ではないだろうという含意からとくにディスカバリーと呼ばれるらしい(p.4)。

*3:大変どうでもいい話。この検索式によるOPACは、間に助詞などが入る場合は大変重宝するのだが、他方こんなこともある。以前、かねてから個人的に調べている明治時代の出版社「博文館」を検索しようと窓に放り込んだところ、未知の文献が大量に出てきて、「なんだこれは!」と胸をときめかせてみると、未知の文献の全部が伊藤「博文」のことが書いてある吉川弘「文館」の本だったために凄まじい脱力感を味わったことがある。伊藤ならまだ明治時代だから許せるような気もするが、「博文」というお名前の研究者が著者として返された場合の関連度順とは何なのか、微妙に考えさせられる事例ではある。

*4:ジョン・ルカーチ、村井章子訳、近藤和彦監修『歴史学の将来』(みすず書房、2013年)149~151頁。原書は2011年刊

*5:検索結果のロジックが見えにくいことについて不満を持つ(歴史)研究者については、後藤真電子書籍・デジタル化の課題と展望 コンテンツの電子化がもたらす新たな情報発見の可能性 歴史資料を用いた事例を題材に」『現代の図書館』51(4)(2013.12)が少しだけ言及している。

日本史研究とiPad

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


今年は正月休みも長く、例年より少し長めに帰省したりできたので、多少時間も出来、iPadを使いながら原稿を書くようなことを試みたところ、ふと、次のような疑問がわいてきた。

「自分は、iPadを買ってから1年が経過しようとしているけれど、ほかの人たちはどんな風に活用し、あるいはどんなアプリを使って、研究なり調査なりに役立てているのだろうか?」

そこで、以前書いた「日本史研究とwebサービス」というエントリの続編として、また自分の手のうちを見せることで、よりよい発想を教えていただけると大変うれしいという魂胆から、懲りずに恥をさらしてみたい。

こんな使い方

使用しているiPadは第4世代iPadの32GB、Wi-fiモデルである。

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日本史の研究に使うという観点で書くので、おそらく大多数のビジネススキルとか理科系の作法とかと著しく異なるところがあろうと思われる。論文の電子化環境の違いからして、たぶん同じ歴史学でも西洋史の人とも違うことが予想される。なので、まずはいくつかの前提条件を書いておくのが無難だろう。


テキスト入力をしない。

私は今はiPadでの文章入力はしない。長距離移動などの際には、iPadを使ってのテキスト入力もしたいなあと思った時期があるのだが、今は原則しなくなった。書いているときは、こんな風なことが出来るようになったのかと感慨深いのだが、だからといって作業能率が劇的に良くなったりしなかったことによる*1

メールの下書きや、簡単な文章の草稿程度のメモならば、例えばiPhone(使用しているのはiPhone5)で、通勤途中の電車のなかで、単語や文節を箇条書きにして作った後、自分のメールアカウント宛に転送し、帰宅してから自宅のパソコンで開いて整形・修正してしまうことがほとんどである。

実際に人に出したメールの下書きを出すと差し障りがありそうなので、使っていないもので例を出すと、実際のメモの画面は、このような感じ。

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以前このブログに感想でも書こうかと思って結局もたもたしているうちに賞味期限切れになってしまった感のある、昨年11月に福井に行って見てきた岡倉天心関連展示の感想メモである。没ネタの供養のために出してみる。

また、史料の翻刻を試みる場合、経験された方ならうすうすお気づきだろうが、予測変換は鬱陶しいことこの上ないので、出先ではキングジムポメラ等で、テキスト入力に特化したデバイスで作ることが多い。使っているポメラの機種がDM20なので、iPhoneのアプリにあるQRコードリーダーで読みとって携帯からメール送信も出来る。

キングジム デジタルメモ ポメラ DM20  プレミアムシルバー

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プレゼンテーション資料の作成もしない。

要は、写真やPDFの画像を拡大したり管理できれば、恩の字だというスタンスで使っている。「そんなのiPadの意味がねえ」と言われてしまうかもしれないのだが、日本史だとPowerpoint等を使ったプレゼンテーションが皆無なので、正直なくて困らない。


雑誌論文は読まない。

日本史の論文だと、引用史料は文末ないし章末脚注がおそらく標準だろうと思われる。このため、読み進めていく過程でもしも気になる所が複数あれば、しょっちゅう本文と脚注を行ったり来たりの相互参照する羽目になるので、圧倒的に紙媒体に利がある気がしてしまう。ページ末尾に脚注がある横書き文献や、リンクがきちんとしているものであれば、ちょっと状況は違うかもしれないが、コアジャーナルと呼べるであろう『日本歴史』とか『日本史研究』などの雑誌は、そもそも学会員になっているので、現状ではあまり使わなくて済んでしまっている。

そういうわけで、文献管理ツールの出番もあまりない。本当に一瞬だけMendeleyを使っていたが今は使っていない。日本史関係の論文のオープンアクセス化のハードルが高いのも一因かもしれない。た、本気で追いかけているテーマはすでにテキストエディタで文献目録を作っているし、新たに追いかけたいテーマも、調べあげたものはノートに付けているから、現状での必要性があまり感じられない。もちろんこれは個々人によって事情は異なるだろう。


そうすると用途はたぶん次の3つに絞られる。

①史料を読む。

②史料を入力したりする際の補助器具として使う。

③何かの作業時に並行して電子辞書として使う。

①や②については、データやファイルを管理するためにDropboxを使っている。

これで、史料を撮影したりスキャンしたものについて、資料群ごとのフォルダを作って、そこに必要なファイルを入れて置く。その上で画像を表示させて、そこからポメラまたは自宅の端末で文字を入力する形で使っている。


辞書系アプリ

③で辞書として使うと書いておきながら、実はインストールはしていない。角川日本史辞典などは、あれば便利だし重宝する気がするのだが、使用するシーンが現状ではほぼ自宅に限られることによる。そういえば角川の日本史辞典か、山川の日本史小辞典は、学生時代いつも演習の授業に持って行っていたな。

日本史辞典

日本史辞典

外出先でちょっと確認したいことについては、iPhoneからググって何とかしてしまうことが大半である。ただ、私が知らないだけかもしれないが、もしあれば、そこそこ充実した年表があると、ちょっとしたときに見たくなるような気はする。Dropboxにエクセルで作った自作の年表を入れているので、それで代用したりすることもある。


Kindle

じつは一番iPad凄さを体感したのがこれかもしれない。はじめは洋書をamazonのペーパーバックで買うのも場所を取るし…と思い導入した。なかなか読み進められないが、わからない単語については、簡単な辞書が付いているので、なんとか読める。青空文庫もこれで読める。最初に買った洋書がなかなか読み終わらないので次々DLできているわけではないが、今こんな感じになっている。

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和書も、講談社の選書メチエ、学術文庫、現代新書。さらにちくま学芸文庫、以前と比べても、徐々に新刊が出たら読みたいなと思うタイトルが着々と揃いつつある。青空文庫もこれで読んでいる。講談社学術文庫の古いものも電子化されていて、徳富蘇峰の『近世日本国民史』が読めるのには少々驚いた*2

一年以上前に、なんだか電子書籍ストアの品ぞろえが駅のキヨスクっぽく感じるときがある…などと書いた不見識を恥じそうな勢いである*3。ともかく、かなり充実してきている印象があり、そのうち、初めて買ったCDは何ですか?というようなノリで、初めて買った電子書籍は何ですか?という話を人としたりする日がそう遠くない将来にきそうだな、と思ったりもした。


デジタル化された資料(史料)を閲覧する。

自宅以外ではネットにはあまりつながないのでwifiモデルにしており、もしつなぐ場合はiPhoneを使ってテザリングすることにしている。

近デジの資料で、「ここは使う」と思ったコマについては、その場では入力するのが難しい。読むのと入力するのは普通同時にできないからである。そこで私はしおりの代わりにはてなブックマークに登録するということを以前からやっている。

とくに最近、無料版でも非公開ブックマークが出来るようになったので、[要入力資料]とか、嫌ならば[あとで読む]という良く使われるタグを設定して非公開でブックマークし、後でまとめてタグから呼び出して見るということは出来そうである。フルスクリーンモードなら、二段組みだと少し厳しいが、全体を一画面に収めた状態でギリギリ読めると思う。

ただしこの場合、印刷する(PDFを作る)ボタンの左隣にある「URL」のボタンを押し、てコマ数まで表示させたURLで登録しておかないと、1コマ目に強制的にリダイレクトされて泣く羽目になるので、注意が必要である。

その場合、iPadで開いた画面は、ちょうど習字のお手本のように、キーボードの左わきに置きながら、端末に入力すると具合がよさそうである。個人の感想ではあるが、やってみた印象では、タブブラウザを複数開いたり、または当該部分を印刷するより使いやすい気がするが、iPadミニだと無理かもしれない。

なお、アジ歴や『日本外交文書』はまだ試していない。


どこが電子化するか?

ちょっと前になるが、東北大学の原田隆吉という図書館情報学者の「日本史研究学生へのレファレンス」という論文を読んだ*4。これはアメリカの日本研究学生への紹介として、どういう文献があるかを紹介したものなのだが、「日本史研究の文献的構図」として、

1.いわゆる入門書、便覧

2.総合的成果

  全集・雑誌・論文 ―専門書

  概説・通史・講座 /

3.第二次資料

  索引 ―書誌

  事典 /

4.第一次資料

  復刻原典―原資料

といった区分を設けた上で、さらに日本史研究の実際的場面を説明するために、次の図が紹介されていた。

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この図は、本文の記述に従えば、定説化しようとする動き(=統合系)と、定説に対して自説を展開しようとする(=独立系)2つの系列が存在することを図示したものなのだそうだが、学校教育や時代考証などで、ある歴史的事実を調べたい人の論文ニーズと、ある説を打ち出すために、先行研究を網羅的に収集したい論文ニーズの二つがあることを示している点で秀逸だと思う。ちなみに、原田の専門は日本思想史で、村岡典嗣の弟子筋にあたるらしい。

さて、この図でいうと、私はちょうど上の方と下の方をiPadでどうにかし始めている気がする。普通、図書館情報学でいうところの研究資源の電子化となれば、オープンアクセスにしろ何にしろ、真ん中の部分を指していうような気がするのだが、してみると私はただひたすらに時代に逆行しているのであろうか…。


だいたい以上なのだが、やはり例によって書いてみるとうまく使いこなせていない部分が多々あるように思える。整理も考えたいので、ご助言などいただけたら幸いである。

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と、書いたら、lib-musさんがさらに違った使い方を書いてくださいました。

こちらも参考になります。ありがとうございます。

(だいこんさんのブログの影響を受けて…)わたしの研究とiPad - lib-mus’s blog

(2014/1/13 4:35追記

*1:八割…いや九割方、なんでも形だけやった気になって満足してしまう私の性格の問題であろうと思う。

*2amazonの情報によると発売日が2013年10月になっているので、もしかするとこのときにkindleストアに登録されたのだろうか?

*3:書評紙『週刊読書人』に関しては、電子書籍アプリが存在するらしいことも、本記事執筆後に知った(2014/1/13 4:41追記)。

*4:原田隆吉「日本史研究学生のレファレンス」東北大学附属図書館編『図書館学研究報告』10号(1977)

京都府立総合資料館開館50周年記念シンポジウム「総合資料館の50年と未来」 参加記(後篇)

前回の続きです)

記録を読み返していて思うのですが、やはりすごいイベントでした。

また、下記でも前篇につき言及いただいたようです。ありがとうございます。

シンポジウム「総合資料館の50年と未来」に行ってきました・記録 -- egamiday 3

シンポジウム「総合資料館の50年と未来」 結果報告

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以下、後篇をお届けします。

前回同様、以下は私が、聞きとれて理解できてメモできて、かつ思い出せた範囲のメモですので、この点あらかじめご了承ください。ちなみに、本文中にところどころ挿入させていただいた書籍は、とくに断りがない限り、私が関連しそうと思った本であって、報告中で言及されていたものではありません。念のため申し添えます。

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午後の部(報告)

吉村和真氏(京都精華大学マンガ学部長)「文化資源保存の重要性ーマンガ研究の立場からー」

マンガ研究と文化資源の関係についてのお話。

京都国際マンガミュージアムは、廃校になった旧龍池小学校の後を使用している。マンガ学部を有する京都精華大と、土地・建物を提供した京都市の共同事業として整備がすすめられ、さらに地域の協力も得てスタートした。最初の計画ではたんなる収蔵庫的なイメージだったが、地元の方々の寄付で芝生が出来たところ、来館者が芝の上に寝転んで漫画を読むようになった。今ではどこのミュージアムにいっても見ることができない風景となっており、当初予想していなかった目玉になっている。

世界に向けた発信への期待が大きいのも京都の特徴といえるかもしれない。そのことは、京都「国際」マンガミュージアムという名称に関わる。

現在、中高生(修学旅行生)と海外のお客さんに向けて、マンガとは何かを発信していくことをねらってメインギャラリーで展示をしている*1。マンガって何だ、というのは、実は展示をやっていても、日本人はあまり関心が向かない。みんながわかっている…より正確にはわかった気になってしまっているから。

組織上の特色として、独自の研究機能として「国際マンガ研究センター」を設置していることがあげられる。実は全国に60か所くらい、地域とマンガやアニメの研究機関があるのだが、ほとんどの場所では、公務員が学芸員を兼ねているため、一定期間を経ると人が異動してしまって、なかなか蓄積が積みあがらない。マンガミュージアムでは、そこに大学(京都精華大)が関わることで、専門性を維持することができている。

「ここはミュージアムではない」との声がある。私たちのほうでも、何が足りないのか、いろいろ試行錯誤を重ねてきたが、よくよくお客さんの話を聞いていると、固定概念としてのミュージアムを覆されたという意味もあるらしい。海外のお客さんと向き合う場を作ったのは、京都でやる上では、大きな長所になった。

自分には「文化」とは何かの問いがずっとある。私はもともと日本史の専攻を希望していたのだが、ある先輩に誘われて文化史の道に進んだ。そうしたら大学の先生から、人間の営みはすべてが文化だと言われて、これは素晴らしいと思って、好きだった手塚治虫を発表したら、先生から「趣味と研究は違うんだ」と言われてしまった(笑)。実は、そのとき感じたちょっと釈然としない思いが今の活動に生きている。

マンガとは捨てるものである。文化「資源」がいい言葉だなあ、と思うのは、文化財のようにありがたい感じのしないこと。マンガミュージアムでは、価値がないと思われているもの、捨てられるものを集めるのが仕事である。

一番集まらないのは、B級マンガ。A級は持っている大学がある。C級はマニアが持っている。俗に言う“オヤジ三誌”の資料が集まらない。これらは大衆食堂などで読み捨てられていってしまうもの。個人が収蔵することに限りがあるから公がやらなければならないが、一方で、そもそもマンガを研究してなんになるのかという問いがある。

大学で教えていると、マンガ研究をして何とかなるのかと親が心配して聞いてくる。その感覚は、私は健全だと思う。ただそのなかで考えたいのは、次のようなこと。つまり、マンガは簡単で当たり前にある(ように見える)が、文化の土壌が違ってしまえば、理解ができない。まず、そのことに驚く感性が大事なのだ。そうやって外からの視点でマンガを評価していくことには意味がある*2

マンガと、そのほかの文化資源の違いは何だろうか。ブックオフで買った『あぶさん』を持ってきたが、これを見てもらうとわかるように、いったん値段が消してあって100円に訂正してある。こういうことが商売として成立するくらい、マンガは周りにあふれていて、しかも捨てることが前提になっている。しかし、あぶさんが引退するとき、いい大人が球場で引退式をやった*3島耕作が社長になったとき新聞に載った。海原雄山山岡士郎が和解したときにネットのニュースになった。これはマンガが持つ社会的な影響力を示しているのではないのか。

美味しんぼ 102 究極と至高の行方 (ビッグコミックス)

美味しんぼ 102 究極と至高の行方 (ビッグコミックス)

本当にマンガは簡単なのか。マンガ研究から発信していくというのは、マンガに詳しくなることが目的なのではない。マンガを受け入れている社会、人間の世界を研究していくこと。それは人文科学の一つを担っている。


松田万智子氏、岡本隆明氏(京都府総合資料館職員)「総合資料館の実力」

文献課・松田氏のお話。文献課は図書館の機能を担っている。非市販資料やパンフレットなどを集めている。貸出はしていない。重視しているのはレファレンス。文献課のレファレンスの一端を紹介して資料館の実力について以下で紹介する。*4

京都大事典

京都大事典

京都のことを調べるなら、まずは『京都大事典』。ちょっと古いのが難点だが、レファレンスブックとして活用している。また、展覧会図録を集めたりもしている。夏になると増えるレファレンスがある。例えば家系調査。帰省やお墓参りなどが増えるからだろうか。京都ならではの事例だと思うが、『神道大系』を使って海外在住の方からの質問に回答したこともある。テレビ・放送にも協力している。『京都市工場要覧』などのような資料ももっている。所蔵資料から京都の記憶を探すことに力を入れていく。

歴史資料課・岡本氏のお話。東寺百合文書について。昔の取り上げられ方を紹介すると、出典に網野善彦『中世東寺と東寺領荘園』では「う―一~一二」と出ている。これは、1~12の函の中にあるというだけで、実は特定できていない。最近の論文ではこうはなっていない。なぜなら、昭和42年に京都府が東寺百合文書を購入し、資料館で目録作成、修復、公開を開始したから。

中世東寺と東寺領荘園

中世東寺と東寺領荘園

文書を利用できるようにするためには、整理や補修が必要。文書を購入して所蔵しているだけでは公開はできない。

東寺百合文書〈10〉

東寺百合文書〈10〉

コンピュータがこれだけ普及してきて、Webの時代に百合文書はどういう存在感を示すか。数日前検索したら、京都府立総合資料館がトップに出てこない。展示をやっていたのに、その情報がうまく探せない。これは問題である。

情報爆発というお話が吉見先生からあった。以前に比べればWebに情報が載るのだけれど、総合資料館がきちんと発信すべきものが埋もれて行っている。研究者は展示で百合文書でいい仕事をした、といってくれるかもしれないが、一般の人、初めて百合という単語を聞いた人はネットを見るだろう。そのときに発信すべき情報が埋もれていたらいったいどうするのか?

デジタル化からWeb公開へ。利用者の期待と食い違いがないか検証しつつ進めていきたい。総合資料館の隠れている実力をこれから出して発信していくことが課題である。


井口和起氏(京都府特別参与/京都府立総合資料館顧問)「総合資料館の50年と新館構想」

総合資料館の50年と現況についてお話しする。総合資料館は、府独自の条例に基づいて設置され。1963年11月に開館した。以後、公共図書館機能、博物館機能を果たしてきた。行政文書が移管されて、さらに公文書館機能ももつようになり、研究的なことも行っている*5

日露戦争の時代 (歴史文化ライブラリー)

日露戦争の時代 (歴史文化ライブラリー)

この50年間を大きく三期に分けると、第一期は1988年に文化博物館と機能分化するまで。第二期は2001年まで。岡崎の図書館の増改築にともない、図書館機能を府立図書館に移すまで。第三期は、以後現在に至るまでに出来ると考えている。

総合資料館のイメージは何かというと、まず何よりも学習室の印象が強いようである。それから「図書館」のイメージが強い。展示も人気である。レファレンス機能も発揮している。しかし、だからといって京都の情報すべてを持っているかといえばそうではない。もっともっと民間にたくさんの資料が広がっていることをまずはっきり認識すべきである。

また、京都の伝統文化=日本の伝統文化というのは危険。そのことは国際京都学の構想ともつながる。また、伝統、伝統ということで逆に現代京都の資料の収集は薄くなっていないか。残念ながら今まではこのような視点が弱かったんじゃないかとも思う。

近代日本の歴史都市: 古都と城下町

近代日本の歴史都市: 古都と城下町

京都府立総合資料館の役割としては京都に関する記録を、現代のものも含めて残すことが第一。デジタル化も必須だろう。地域資料については、大学などとも協力しながら、デジタル化できなくても、最低限、所在情報の収集と共有化はしたい。これは喫緊の課題である。大規模災害が発生したとき、何がなくなったのかわからないことが一番問題である。また、来館者を待つ資料館から、出かけ働きかける資料館へ変わっていかなければならない。旅行会社に行って修学旅行生に見に来てもらうくらいでもいい。

資料館と京都府立大学共同で国際京都学センターを設置予定だが*6、京都学について定義する必要はないと思っている。多様な京都学がすでに出ている。伝統的な京都の文化力を研究することも大事だが、地域学はたくさんある。要するに地域の抱える問題、住民の要求に基づいてその解決を目指すのが地域学の根幹の課題であるという視点に立って京都学を考えていっていいはずだ。

京都観光学のススメ

京都観光学のススメ

また、高度で学際的な研究をする拠点になるためには、一定の研究機能が必要である。また人脈、研究を推進できる人を引っ張ってこられるコーディネートできる人材も必要。国内にも国際的にもcomparativeの視点が必要だ。日本文化はこれだ!とそんなに簡単にはいえない。京都の文化は多種多様な豊かな文化の一つだ。

なんとか確保したいのは海外から研究者を、年に2、3人でもよいから招いて研究してもらえる仕組みを作って、京都の情報を海外に発信してもらえるようにしたらいい。50年経てば、100人、200人になる。そういった施設を作っていくために、私たちも変わっていかなければならない。フットワークを軽くし、働きかける資料館になっていけばいい。


長尾真氏(前国立国会図書館長/京都府特別参与)「新資料館と国際京都学センターへの期待」

総合資料館では古い資料から大切に持っている。現在のディジタル化の技術を使えば、紙の裏に書いてあることもわかるようになってきている。資料の電子化はこれからどうしてもやっていかなければならない。

いろんな資料をディジタル化していくことのメリットとして、相互参照できるようになることもあげられる。能楽のテキストと舞台映像、違うメディアの表現を組み合わせて総合的に鑑賞、勉強していくこともできるようになる。

書物と映像の未来――グーグル化する世界の知の課題とは

書物と映像の未来――グーグル化する世界の知の課題とは

残念なことはどこで、何がどれだけディジタル化されているかが現在一カ所で総合的に把握できないこと。これを統合的に把握して利用可能なものにするかがこれからの大きな課題である。

京都学を発展させるための課題として、文化財の所在情報が先ほどからでてきているが、それが前提になる。また各種資料のディジタル化の推進。さらに文化財の統合的アーカイブシステムの構築。世界各国の児童から大人までに、ディジタル文化財を分かりやすく見せる展示技術の開発も必要であり、これらの仕事を高いレベルで行うことのできる人材の養成も大切になってくる。

京都では湿度の高い蔵のなかに貴重な資料が放っておかれている例がまだある。そういったものを後世にどうやったらきちんと伝えていけるか、もっともっと真剣に考えなければいけないときに来ている。

新しい資料館への期待は高い。書誌学的・文献学的情報をも組み込んだディジタル資料目録を充実させ、検索利用システムを開発していくこと。また多種多様な資料をディジタル化していくこと。2020年のオリンピックは文化の祭典にもなるはずで、それを目指して日本文化を発信していく絶好のチャンスとしていくべき。

情報を読む力、学問する心 (シリーズ「自伝」my life my world)

情報を読む力、学問する心 (シリーズ「自伝」my life my world)

それとあわせて国際的な京都学を確立していくことが重要。そのためには、研究グループを形成し、国際会議を開催していくことも必要になっていくだろう。それを担う専門的な人材の育成が必要であり、市民に親しまれ利用されるようにする種々の工夫も必要だろう。

なぜ京都か。やはり千年以上いろいろな変遷を経て今日まで来ている。文化の花開いた室町の時代もあるが、多くは戦乱の時代でもあった。それを生き抜いてきてきた人の蓄積の重みがあるのであり、それはこれからの時代に参考になる部分があると考える。そういった情報を世界に向けても発信していく拠点として、新しい総合資料館が機能していくことを期待したい。

ディスカッション

井口氏の司会で、会場からの質問も交えつつ、人材育成の方向性や、予算の問題、行政と教育委員会と連携にまで踏み込んだ相当濃い議論が展開されました。

途中から聞き入ってしまってメモが取れなかったのと、かなり内部の事情に詳しい方同士のやり取りもあって、完全に理解しきれなかったところもあるので、ディスカッションについては割愛します。あしからずご了承ください。

ただ、ディスカッションの総括に井口氏が

「文化資源という言葉のもつ意味の広さに、まだ気づいていないところがあるかもしれない」「発信、発信というが、そのことにどれだけ実は努力がいるのか改めて感じた」

とまとめられていたのがとても印象に残りました。

最後は西村悦雄副館長から、今いる職員の意識変革についても言及があり、長時間にわたるシンポジウムが終了しました。


番外篇

シンポジウムのまとめは以上なのですが、配られた資料が充実していました。

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年表のほか講座の活動記録や、新資料館の計画など、帰ってから目を通して、改めて準備に当たられた方々の偉大さに思いを馳せました。

凄い企画にお誘いいただいたことに感謝申し上げます。

*1:海外の来館者は1割くらいだという。

*2:このお話を聞いてなるほどと思うと同時に、漫画が読めない子供たちというのが少し前に話題になったのを思い出しました。

*3朝日新聞デジタル2009年10月の記事に「「楽しい野球人生」 あぶさん引退式、作者水島さん代弁」

*4:内容については詳しくは総合資料館ホームページレファ協も参照とのことだった。ちなみに今年の5月に京都に関連する雑誌論文記事検索のシステムを公開している。

*5:いただいた「参考資料」などをみると古文書講座や歴史資料カレッジなど、色々な活動をされていることが分かる。井口氏も自らご専門の日本近代史の立場から「日露戦争と京都」などのお話をされている由。

*6:参照:「京都府、総合資料館と府立大学図書館を一体化へ

京都府立総合資料館開館50周年記念シンポジウム「総合資料館の50年と未来」 参加記(前篇)

京都に行ってきました。

実は2週間ぶりだったのですが、前回は日程がキツキツであまり市内も回れなかったところ、今回は夜行で行ったので、秋の京都を少しだけ堪能できました。

平安神宮周辺。岡崎から南禅寺方向を眺めて

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五条大橋から鴨川風景

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…こう書くと観光目的みたいですが、本当の目的は、京都府立総合資料館開館50周年記念シンポジウム「総合資料館の50年と未来」に参加することでした。リンク先をご覧いただければおわかりいただけると思いますが、超豪華メンバーのセッションで、かねてから気になっていたイベントです。

そこで文化資源に関する「いま」の議論を聞くことができ、とても刺激を受けました。行って良かったと思っています。

ポスター

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会場

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すでにtogetterなども作られているようですが、今回の全体のコーディネートにあたられた総合資料館のF氏から、「記録はブログに書いていい。どんどん宣伝してくれ」とご了解をいただいたので、2回に分けて記録を上げたいと思います。

なお、以下は私が、聞きとれて理解できてメモできて、かつ思い出せた範囲のメモですので、この点あらかじめご了承ください。ちなみに、本文中にところどころ挿入させていただいた書籍は、とくに断りがない限り、私が関連しそうと思った本であって、報告中で言及されていたものではありません。念のため申し添えます。

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総合資料館開館50周年記念シンポジウム「総合資料館の50年と未来」

日時:平成25(2013)年11月16日(土) 10:30~17:00

会場:京都府職員研修・研究支援センター

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開会挨拶 山内修一氏(京都府副知事)

新総合資料館の建設にあたり、府民にとって郷土を振り返り、資料の蓄積を活用し、未来を語る交流の場となれるかどうか、五十周年は一つの転機である。開かれた資料館にしていきたい。北は舞鶴から、南はけいはんな学研都市から、情報発信をしていく基盤の整備をしている。これまでは建物になかなか投資ができなかったが、これからは文化。国際京都学センターを核としつつ、資料館と大学をつないだ施設を作っていきたい。そのためにはコンセプトをきちっとしていかねばならない。今日は、これからの文化財行政のあり方を大いに議論していただければありがたい。



基調講演 吉見俊哉氏(東京大学副学長)「文化資源の保存・活用のために」

構成は次の通り。

序 文化とは何か

1 グローバル化と情報爆発の500年

2 エンサイクロペディアと集合知

3 アーカイブと記録知

4 知識循環型社会と価値創造基盤


序 文化とは何か

まずそもそも「文化」とは何かということについて。耕すというプロセスを含むCultureを「文化」という語にしてしまったのは、実は誤訳だったのではないかというところから始めて、近代的な意味の文化の出発点についての説明*1

国境の越え方―国民国家論序説 (平凡社ライブラリー)

国境の越え方―国民国家論序説 (平凡社ライブラリー)

「文明」と「文化」の対抗軸は十七世紀まではなかった。もちろん、人々の文化的営みはあったが、ヨーロッパの人々において、文化的な営みは、宗教的な過程としてあった。しかし中世的な大学がその使命を終え、世俗化が進むにつれて、教養を身につけるという概念から、今日の文化の意味に近づいていく、近代の大学は国民の文化を正当化する根拠になっていった。そこではたとえばイギリスではシェイクスピアを持っていることが重要とされたように、古典があるということが重要とされた。

大学とは何か (岩波新書)

大学とは何か (岩波新書)

ところが、これを受容した日本ではボタンのかけ違いが起こってしまった。どういうことかというと、「文明」と「文化」の間の明確な対抗構造がない。「文明開化」と「文化」もごっちゃになって使われてしまう。「文明」は一元的・普遍的であるのに対し、「文化」は多様なもの。それは「文化」を扱う学が民俗学、人類学、社会学など複数に分かれていることとも関連がある。「文化」とは多様性である。耕すというプロセスの概念があることを踏まえて言うならば、いわば生成する多様性である。生み出されていく多様性を文化は持っている。これはcivilizationとは違う「文化」の特徴である。グローバルな文明秩序を形成する多様性として文化は位置づけられる。

大航海時代とはある意味で銀を介したグローバル化だった。16世紀の初頭に起こっていたことは大きく一周して現代にもう一度起こっている。つまり再グローバル化である。同じ頃起こっていたのがグーテンベルクの印刷革命。これは情報の世界を決定的に変えていくことになった。コペルニクスの発見に重要だったのは印刷された大量の本(天文学データ)を比較参照できたということが大きな発見につながったわけである。遠くの修道院に行かなければ見られなかったものが見られるようになったことは、ある種のメディア革命・情報革命だった。それは本の劇的な増加をもたらし、情報爆発が起こった。

それにともなって、社会的な記録も秘伝とされたものが公開されるように、大きく変わっていく。社会の記憶のあり方もかわっていく。メディア史の観点から見れば、宗教革命は教会堂と印刷本との戦いという側面がある。ルターは印刷の力を知っていた人である。科学ではコペルニクスの発見がそうだった。こうしたメディアの力は、国民と国語の形成にも関係している。

マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 (岩波新書)

マルティン・ルター――ことばに生きた改革者 (岩波新書)

20世紀末から21世紀初頭つまり現代において再び情報爆発が起こっている。16世紀のものは、送り手と受け手が一対多の関係になっている。この意味では以後はマスメディアの発達過程だった。文化の大量生産・大量消費という構図だった。しかしネット社会のインフラはこれとは違う。すべての人が送信者になる。印刷の力ではなく、デジタルの力による情報革命。情報爆発が起こっている。

乱暴な言い方だが、16世紀と21世紀は似ている。今、新たなるグローバル化と情報爆発に直面している。右肩あがりの近代の入口と出口にあたるのではないか。21世紀はどういう方向に向かうのか。グローバルな知識循環型社会に向かっていくのではないかというのが私の予想。このとき、デジタルアーカイブの活用から価値を創造していくことがきわめて重要になってくる。

大衆消費から知識循環へと時代は変化している。大衆消費社会は近代の行き着く先だったが、その次のフェイズはどうなるか、実は難しい。大衆消費の時代であれば、とにかく情報を大量に生産し、消費していけばよかったが、この後は質の問題に変わってくるのではないか。そのときには、リサイクル(アップサイクルと呼ぶべきか。)による価値創造が大事になってくるのではないか。知識・情報のリサイクルは、現在技術的に可能になってきている。マスコミ型からネット・アーカイブ型知識社会へという構想では、MALUI連携によるデジタル文化資源の活用が大事になってくる。

非西洋圏で、日本はかなり長い間、近代と戦ってきた。そうした近代との格闘のなかで翻訳しながら創造していくということが、培われてきたのであるが、それを維持するための仕組みがまだないのが課題である。東日本大震災では、大量の文化財が消失したが、足下の文化資源を見つめ直さなえればならない。

ここで、「図書館・フィールド」などの資料のある知識基盤/「授業・研究指導」などの教室・教育の空間/論文を発表し社会に還元していく場、という三つを頂点とする、研究/価値創造のトライアングルを考えてみる。教室でディスカッションをするのは、対話的なネットワーキングで、いっぽうにアーカイブ、リサイクルの機能がある形になっている。

すでにネットワークはどんどん活発になっている。TwitterFacebook、あるいはLINEなどSNSを通して様々な情報がやり取りされる。しかしこれには蓄積がない。これを仮に「集合知」とすると、他方でアーカイブ化された「記録知」というものを考えることができる。この両者をどのようにして、デジタル化によって繋いでいくか。この仕組みが知識基盤として、とても重要なのである。



2 エンサイクロペディアと集合知

時間がないのでちょっと飛ばすが、ここで強調したいのは、知識はエレメント(断片)ではないということ。連関した構造を持っており、その全体が知識である。知識と知識との関係は、過去との対話を含んでいる点に注意してほしい。京大人文研の桑原武夫氏らのチームが研究されていたが、フランスの「百科全書」のなかでもっとも重要なことは、大量の執筆者がいて、そのなかの半数以上が実行派だったとされている。

知識を作っていくということはネットワーキングの運動であった。「エンサイクロ(en-cyclo)」とは「円環を為す」ということだろう。その意味で、明治の哲学者・西周が「百学連環」として西洋の学問を紹介したのは、じつに正しい訳語だった。ちょっと余談になるが、日本の百科事典の歴史のなかで面白いのは、百科事典を作った出版社の多くが倒産すること*2。出版社は、それでも作る。何故か。知識のネットワークの運動になってしまって途中でやめられないからなのではないか。エンサイクロペディアの訳に近いと私が考えるのは、実は「研究会」のつながりである。明治文化「研究会」、唯物論「研究会」、思想の科学「研究会」などなど・・・。



3 アーカイブと記録知

3・11以降生み出された震災記録が膨大にある。しかし現在、それを統合していくシステムがない。記録を活かしていく道はいろいろあるはずだ。それを集積していくことは私たちの使命でもあろう。3・11で私たちが学んだことの一つに、今までのアーカイブ施設では収容仕切れない、どこにも属さない情報記録が、文化資源として、私たちの社会にはあふれつつあるということがある。新たな情報爆発で生まれる新たな情報記録を集める必要があるのだ。図書館が図書を、博物館が博物資料を集めていればいい時代ではなくなった。

二つほど例をあげる。例えば放送脚本。伝説的な名番組など、すべてに脚本があったのだが、いま、脚本の大半は失われてしまった。なぜか。脚本は、図書じゃなかったからである*3。脚本は百数部印刷されたら、役者さんに渡されて終わってしまう。だが脚本は文化資産の設計図にあたる。国立国会図書館が収集を少しずつ始めたところだが、デジタル技術ならその保存はできる。

もう一つは、岩波映画などの記録映画。有名な劇映画は残るが、記録映像は失われてしまう。誰もそこに経済的な価値を見いださないからである。しかし戦後の世界の歴史は、誰もが気付くように、文字以上に映像で描かれてきた。したがって私たちが20世紀の歴史を学んでいくためには映像が不可欠になってくるはずである。

岩波映画の1億フレーム (記録映画アーカイブ)

岩波映画の1億フレーム (記録映画アーカイブ)



4 知識循環型社会の価値創造基盤

文化資源を大量に生産し流通させていく社会から、保存活用を考えていく循環型の社会に移行しつつある。従来の施設のままでは、新しい要請に対応できないだろう。そのために必要なのは、まず実態を把握し、総合的に共有し、権利処理を効率化し、アーカイブを標準化し、公共的資源として横断的に活用していく。こうした循環的な活用の道を考えていかねばならない。

その際に重要なのはメタデータの標準化、さらにオーファン資料*4の処理が難しい。それを公共的に活用していく仕組み、さらに人的な仕組み。デジタルキュレーター、デジタル技術をベースにした活用をしていける人を専門職として雇用していくことが大事である。博士課程の人材がだぶついてしまっている。一生懸命研究して論文を書いたのに就職が見つからない。とくに文系でこの問題は顕著である*5

以上の問題を踏まえて、これからは、ナショナル・デジタル・アーカイブの設置に向けて取り組んでいかないといけない。その拠点は、具体的に京都・東京、それから東日本大震災以後の情報を集める場所として、仙台にもそうした施設が作られるべきではないかと考えている。2020年の東京オリンピックの開催が決まっているが、オリンピックはスポーツの祭典であると同時に、ロンドン五輪以降、文化の祭典になってきている。そのときに京都の総合資料館も一つの情報発信の拠点になっていけばいいなあと考えている。その期待を最後に述べて、今日の話のしめくくりとしたい。


2013.11.19 一部修正しました。

(後篇に続く)

*1:この点は、西川長夫さんの議論をふまえておられるように思われた。

*2三省堂などのことであろう。

*3:お話のメインは、吉見先生も関わっている放送脚本のアーカイブと思われるので、少し論点がずれそうだが、「脚本が図書じゃなかった」点について、気になったのでちょっとだけ付け加えておくと、京都府立図書館には映画関係資料があり、そのなかに昭和30年代の映画脚本(シナリオ)が所蔵されていたと思う。太秦映画撮影所などがあるからと聞いたような気がする(違っていたらすみません)。

*4:持ち主がわからない資料。いわゆる孤児著作物

*5:この点に関連して、吉見氏が、文系の大学院生の就職先として司書・アーキビスト学芸員を例に挙げて、人文系学問が「役立つ」ことを社会に示すことの意義を強調していることは注目される。吉見俊哉「大学院教育の未来形はどこにあるのか」『中央公論』2011年2月号所収。個人的には、近年話題の若手研究者問題を考える上で、議論の前提になるような必読の記事だと思う。