2018年に出た本で印象深かったもの 増補

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2018年は図書館員から大学教員への転職などがあり、また近親者を見送ったり、個人的には大きな変化、別れのあった一年でした。そんななかで読んで考えさせられたもの、印象に残ったものなどをランダムに挙げていきます。お送りいただいたものでご紹介できないものもありますが、ご容赦ください…。

 

オッペケペー節と明治 (文春新書)

オッペケペー節と明治 (文春新書)

 

以前研究会などでも報告を伺っていたもの。明治時代にあって、ある時期に流行りだした歌が、 全国的にあちこちで歌われるようになっていく様を、メディア史的にどう論証できるか?という非常に興味深いテーマ。新聞史料の調査方法など、なるほどと思うテクニックも紹介されており、初学者に参考になるのではないか。永嶺氏は近刊で『リンゴの唄』にも取り組んでおられる。

「リンゴの唄」の真実 戦後初めての流行歌を追う
 

 流行歌のメディア史として。

 

知性は死なない 平成の鬱をこえて

知性は死なない 平成の鬱をこえて

 

復活の書。扱っているテーマは重く、與那覇さんと入れ替わるように大学で教えるようになった今、ここにある問題については、考えながらちっとも解決もしていないのだけれど、おかえりなさい、という気持で本書に接した。

 

教養主義のリハビリテーション (筑摩選書)

教養主義のリハビリテーション (筑摩選書)

 

大学で教えるようになって考えることが増えたのだけれど、そのなかで接した一冊。大学の勉強って、英語がちょっと苦手だからとか、歴史のうちのある時代だけ弱いからとかサプリのように足りないものを補っていけば、それでよいのかという問いかけは、わたしには刺さっていて、授業しながらよく反芻する。

 

 よい評伝と言うのは断片的な知識を持っている対象について適切な全体像を示してくれるものだと思うけれど、まさにそんな一冊。「黄禍論」演説をぶち、日本の世紀転換期の留学生たちからやたら嫌われていた皇帝が、何でそういう思想に至ったかを解きほぐしてくれている。第一次世界大戦後、あちこちで王室が廃されていくなかで、同じ時代に生きた他の元首との比較も、考えさせられた。

 

日本思想史の名著30 (ちくま新書)

日本思想史の名著30 (ちくま新書)

 

 留学生と接するようになって日本の思想・文化の全体像についてかなり意識が向くようになった。彼ら/彼女らが発するとてもステレオタイプな日本文化イメージに、思想史の研究はどう立ち向かっていけるのか?そういうときに学生に勧めたい本だと思う。

 

K-POP 新感覚のメディア (岩波新書)

K-POP 新感覚のメディア (岩波新書)

 

 春から何人もの学生と知り合って話してみてとくに印象的だったのがK-POP人気の高さだった。それで自分でも少し知りたくなって読んだ本。音楽や文化の力が反目を止めるかもしれないことを信じている著者のあとがきに少し胸打たれた。

 

 来年に向けて近代の天皇に関する本の刊行も相次いだ一年だった。

近代天皇制から象徴天皇制へ―「象徴」への道程

近代天皇制から象徴天皇制へ―「象徴」への道程

 著者のお仕事は戦後のさまざまなメディアを駆使したものが多いが、こちらは大正期からの長いスパンで思想史的に捉えようとされていて勉強になる。

 

天皇の近代―明治150年・平成30年

天皇の近代―明治150年・平成30年

  共同研究の成果として、さらに長いスパンから、江戸から天皇の近代を捉えようとしたものが本書。一つ一つの論考の密度が濃くてかんたんにまとめられないが、比較的若い書き手の人まで研究を進められていることに感銘を受けた。

 

武士の日本史 (岩波新書)

武士の日本史 (岩波新書)

武士についてその起源から説き起こすもので、近刊の桃崎氏の新書とも響きあう。

これから、武士のルーツをめぐって学会の大きな論争が起こるかも?などと予想。中世期の戦乱も相変わらず色々な研究がでているようだし。高橋氏の新書では、平氏政権や織豊期も幕府でいいんじゃないの?という指摘には、凝り固まっていた自分の発想を大いにゆさぶられた。

 

前近代の歴史について、さっきの武士の本もだったのだが、自分の常識や思い込みが覆されるような一冊に出会うことが多かった。大胆な通説の見直しが進んでいるということなのだろうが、この本もその一つ。買ったのはタイトルに惹かれたからで、とくに日本と海外との交渉を知りたいからだったのだが、帯の、なぜ日本はスペインに植民地化されなかったのか、の答えはやっぱり衝撃で、マジかよと思ったのだった。ぜひ本書を。 

日本史の関心は近年特に高いと思うのだが、それに答えうる1冊。古代から現代まで、いくつかの論点から歴史の評価を考えるもの。コンパクトにまとめるのは大変だったのではと思うものの、読み応えはとてもある。 

 

 

一発屋芸人列伝

一発屋芸人列伝

 まさにルネッサンス。文章がうまくて感服した。テレビに出てた芸人さんを捕まえて無名は失礼だろうけれども、歴史家が無名に近い人物の伝記を描き出すときにどんな挿話を集めるかということを考えたりもしながら読んだのだけれど、とにかく面白かった。

 

授業するようになって、人に本を勧めるということを、図書館員時代と違った形で考え始めた頃に読んだ本。いろんな本との出会い方はある。勧めたけどうまくいかなかった事例から多く学べるようにも思った。

 

 

 レポートの書き方を指導する授業の参考文献として。ふだんの授業では慶應の『アカデミック・スキルズ』を利用し、『レポートの組み立て方』や『論文の教室』なども併用しているのだけれどそれよりもわかりやすいかもしれないと思った。

 

「甲子園」の眺め方: 歴史としての高校野球

「甲子園」の眺め方: 歴史としての高校野球

 

執筆者のお一人、黒岩さんからいただいたもの。高校野球の歴史って史学概論の教材に結構良いのではないか?という編者のコメントが載っているが、まさに。スポーツ用品店からつながっていく「球友交際」をはじめとして、一定以上の期間雑誌などが残っていれば、歴史研究者はこのような切り口からも歴史像を結べるのだぞというお手本を見せられたような気分。植民地における中学校の野球史についても全然知らず、本当に勉強になった。

 

陸奥宗光-「日本外交の祖」の生涯 (中公新書)

陸奥宗光-「日本外交の祖」の生涯 (中公新書)

 

 後生畏るべし・・・ときっといろんな人が思ったであろう新書。手堅いしバランスも目配りも聞いている気鋭の若手研究者による希有な人物評伝。外交家だけでない、陸奥宗光という人の政治家としての多彩な側面を明らかにする。裏テーマで、陸奥の弟子である原内閣100年があったのかもしれないなとは終章を読むと思う。史料上、女性名に「子」をつけるのとつけないのは本文の記述ではどちらがよいかなどの細かい指摘に著者のお人柄(なのだろうか)がにじみ出ていて面白い。

 

五日市憲法 (岩波新書)

五日市憲法 (岩波新書)

 

 

 「明治150年」ということで、明治関連の本もたくさん出た。なんとなくそれぞれの持ち場で、お祭り騒ぎに便乗するするのではなく、研究者としての意地をかけて明治史の着実な成果を出そうという研究者が周りに多かったように思うのが、誇らしくもあり、頼もしかった(自分の手柄ではないが)。

明治史講義 【テーマ篇】 (ちくま新書)

明治史講義 【テーマ篇】 (ちくま新書)

 

昭和史講義に続く、明治史の入門書。人物編も出て、いよいよ次は大正編なのだろうか?

はじめての明治史 (ちくまプリマー新書)

はじめての明治史 (ちくまプリマー新書)

 

 明治史講義のさらなる入門書。講義形式の平易な語り口で、だけど内容は濃くという新書。意識されているのかわからないが、『それでも日本人は戦争を選んだ』とどこか響きあっている気がする。カバーデザインが「明治」の「明」だって、アマゾンへのリンクを貼って気がついた。

 

江戸東京の明治維新 (岩波新書)

江戸東京の明治維新 (岩波新書)

 

論文などを読んでいるとしばしば鳥肌が立つ史料というのに出会うのだが、本書に登場するかしくさんの儀一件の史料、凄まじくて何も言えなくなってしまった。

「健康で文化的な最低限度の生活」というドラマが流行った2018年に、明治も生きづらかったということを様々な角度から説明した新書。大学の講義を元にされているらしいが、これ以上に平易な松方デフレの説明は寡聞にしてしらず、様々な文体を駆使する著者の技量に驚嘆のほかなかった。あちこちで学生に勧めまくっていた。

 

家(チベ)の歴史を書く (単行本)

家(チベ)の歴史を書く (単行本)

 

 12月に入ってからようやく読んだものだが、強く印象に残った。気鋭の社会学者が在日コリアンである家の歴史を、家族への聞き取り調査をもとに再構成したもの。社会学歴史学との方法論の違いなども序論で展開されているが、語られている内容、それを構成する目線、ときどき、整理しきれない生の会話を読者に伝えてくる文体、こんな書き方があるのかと参考になった。伯父や伯母などたくさんの親類を見送って、「もっと話を聞いておけば良かったかな」と思っていたところでもあり、自分の「家」の歴史は、歴史学の方法でならどのように書き出せるのだろうと、本書を閉じてからずっと考えている。

 

 今年、凄い本がいっぱい出たのではないでしょうか。

 

番外

自分が関わった本として …

近代日本の思想をさぐる: 研究のための15の視角

近代日本の思想をさぐる: 研究のための15の視角

 
現代思想 2018年12月号 特集=図書館の未来

現代思想 2018年12月号 特集=図書館の未来

 

 

その他、どうしても追加したかったもの

上記のエントリを書き上げた後で読んだ本で、やっぱりこれは2018年の本として書きとどめて置かねばならぬ、と思ったので追記。

 

やや黄色い熱をおびた旅人

やや黄色い熱をおびた旅人

 

超売れっ子作家だった1997年に、黄熱病のワクチンを受けながら世界の紛争地帯を歩いて取材し、出会った人たちの記録。原田氏ならではの視点と文体で綴られる、戦争のなかにいる人々の暮らし。

「戦争」はこんなにも具体的であるのに、「平和」とは何と抽象的なものだろう(p.57)

 

私は原田宗典氏の作品では「すれちがうだけ」が圧倒的に好きなのだけれど、たぶん原田さんは、自分の人生とあんまり関係ないすれ違うだけの人に流れている人生をすれちがった刹那のなかに見つめて考え続けてしまう人なのだと思う。

 

しょうがない人 (集英社文庫)

しょうがない人 (集英社文庫)

 

 

紛争地域を歩いて取材した21年前の原稿の「あとがき」に迷いながら、何かを感じてもらえたらそれでいいという著者の姿に、感銘を受ける。

 

近代日本の留学生の歴史に関する文献リスト

 我が家にテレビがないので「西郷どん」は視聴できていないのだが、8月26日の放送では、長州ファイブや薩摩スチューデントについて言及があったようだ。

長州ファイブ [DVD]

長州ファイブ [DVD]

グローバル幕末史 幕末日本人は世界をどう見ていたか

グローバル幕末史 幕末日本人は世界をどう見ていたか

 春学期に担当した、日本と欧米の「文化交流史」に関する歴史の講義で、私も長州ファイブなどを取り上げた。

 この授業では幕末に国禁を冒して渡英した人々から始まる「留学生の歴史」をテーマに、あれこれと調べつつ試行錯誤しながら話してみたのだが、けっこう改善の余地があったので、あとで思い出して修正するために、まだ仮のリストではあるが、講義で使った参考文献をあげておく。すべてを網羅しているわけではないが、もし何かあれば、授業改善のため情報をお寄せいただけると幸いである。

 留学生の通史に関しての基本文献には

近代日本の海外留学史 (中公文庫)

近代日本の海外留学史 (中公文庫)

 幕末の幕臣たちの渡航者、長州ファイブ、薩摩スチューデントたちについては、上記文献以外に

幕末オランダ留学生の研究

幕末オランダ留学生の研究

森有礼 (人物叢書 新装版)

森有礼 (人物叢書 新装版)

 留学先で困難な状況に立ち会ってもメンタルが強すぎる高橋是清などの場合

 岩倉使節団については、『米欧回覧実記』に書かれた場所を実際に見聞しながら物された

岩倉使節団『米欧回覧実記』 (岩波現代文庫)

岩倉使節団『米欧回覧実記』 (岩波現代文庫)

 をはじめ多数の文献がある。

 岩倉使節団に同行した女子留学生・津田梅子については

津田梅子の社会史

津田梅子の社会史

 明治十年代に帰朝して法律知識を持ち帰ってくる官僚たちについては、

 中江兆民森鴎外夏目漱石をはじめとする個々の人物について。

和魂洋才の系譜 内と外からの明治日本 上 (平凡社ライブラリー)

和魂洋才の系譜 内と外からの明治日本 上 (平凡社ライブラリー)

あめりか物語 (岩波文庫)

あめりか物語 (岩波文庫)

 姉崎正治「洋行無用論」に関して、その発端になったドイツの黄禍論について。

黄禍物語 (岩波現代文庫)

黄禍物語 (岩波現代文庫)


 留学に限られないが、文化交流の歴史を推進する団体について。

 そのほか、日本からの文化の「発信」について考えさせられた本として。

その他近現代における国際交流の基本的な通史として。

 戦後だと

逆に、日清日露戦争のあと、海外から日本にやって来た留学生たちの動向については授業でほとんど取り上げられなかったので、今後の課題ではある。

高校日本史の学び直しのための文献ガイド

※2018/8/23ちょっと文献追加

 図書館を退職して大学に移って日々感じていることの一つに、高校で日本史を取らずに大学に入って、後で日本文学やその他の授業でやっぱり日本史の知識がいるんじゃないかと苦しんでいる子の存在がある。日本史の担当教員になった以上、なんとかこういうギャップを埋めてあげたいと思う。

 そんな関心から手に取り、目を通した本を並べてみる。

教科書・通史のリバイバル

 最近は社会人にも日本史の学び直しがブームのようで、教科書が新しい形で出ている。アナウンサーが読んでくれる本なども出ている。

もういちど読む山川日本史

もういちど読む山川日本史

 
もういちど読む山川日本近代史

もういちど読む山川日本近代史

 

 また、新書もある。

やりなおし高校日本史 (ちくま新書)

やりなおし高校日本史 (ちくま新書)

 

 ただ、硬派で良いといえば良いのだが、最近の日本近代史系の新書に関して言うと、テーマのせいなのか微妙に内容難しくなっているようにも感じる。

 その他著名講師によって1冊にまとまっているものもある。この辺、問題意識を持った先生の活躍がすごい。

 こうして、ドラマなどの影響もあるのか、日本史を一通り理解したいという欲求は高いみたいである。書店に行くと結構この手の本が目に付く。

 

テーマ別だから理解が深まる 日本史
 

 

 びっくりしたのは雑誌でも特集が組まれていたりすることだ。

 とはいえ、大学の日本史と高校の日本史は、同じではない。高校日本史が基礎となる一通りの知識について教科書をベースにして教えているとしたら、大学の日本史は教科書の知識の重要さや記述バランスの妥当性を問い直し続けていることになる。

 

 「発展的な内容」だとか「応用的な内容」と言ってしまえば言えるが、大学でそれを教えないで、高校日本史の復習を大学でやるというのも変な話になってしまう。

 日本史の高大連携の壁は、思っているよりも意外と高い。

 その辺を架橋しようと試みた大学向け日本史の本もあるが、独学で読もうとすると難しいのではないか。

 そうすると勢い、補習や復習の形で、各自で学び直しのための工夫というのも求められるのだが、これも難しい。

動画で

 時間がある人ならYoutubeで日本史の講義をしてくれているムンディ先生のような高校の先生もいる。ほかにも高校日本史ならNHKの高校講座の日本史サイトでも紹介されていたりする。

 テレビなので、が覚的に入ってくる情報は非常に優れており、印象に残りやすい。最近世界史についての本も出た。

 
※2023年7月追記※
なおその後、ムンディ先生は日本史の本も出している。ネットだと高評価のようである。
私もわかりやすいとは思ったが、あえて政治史中心!で整理しているのが、ちょっと気になる。戦後の日本の歴史学界が頑張って探求してきた政治史以外の研究成果、経済史や文化史や社会史の側面が教科書に盛り込まれ、その結果話の流れがややこしいというわけだが、本書はまさにその部分を大胆にごっそりカットしている、ということになる。
よって、社会人が日本史の学び直しをするのには良いのかもしれないが、「高校で日本史未選択者が大学の日本史系の授業にギリギリついていける程度の知識を提供する本」という観点からすると、大学で扱う日本史のトピックの大半を捨てていることになるので、目的によってはあまり勧められないかもしれない。

※ここまで追加※


高校の学習参考書なら

 学び直しに向けて、高校の学習参考書を見るという手はある。語学春秋社の実況中継シリーズは人気が高い。ただ、ボリュームが多くてその分値段も張る。

石川晶康 日本史B講義の実況中継(1)原始~古代 (実況中継シリーズ)
 

 私が高校生だった1990年代後半は菅野の日本史実況中継があって、ノート綺麗に作ることをとても推奨していて、大学で日本史をやろうと思ったものの大して知識がなかった私は素直にノートを作っていたのだった(3色ボールペンにはまっていて、超重要事項は赤、やや重要なものを緑、人名だけは鬼門と思っていたらしく区別するために青を使っていた。いまだにその名残がある)。

 

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 最近見返していたら、時期区分など依拠している学説は古いものの*1、基本情報はそんなに変わらないし、まだ使えるんだなと改めて思ったりしたところだった。

 『自由民権運動』の最新動向は松沢さんの新書を読むと良いと思う。

 


 佐藤優氏が勧めている学習参考書も多いらしく、最近は書店に帯がついていたりする。

 高校時代、日本史を極めようというやつが『詳説日本史』などを手に取って周りを圧倒していたが、あれも参考書としては良い本だと思う。

詳説日本史研究

詳説日本史研究

 

 復習するのに、内容では、何といっても一番教科書が良いのだが、文字が多すぎてなかなか頭に入ってこないという人もいるだろう。

 それに、教科書の内容もだいぶ変わってきている。


ビジュアル系

 歴史研究者が本気を出して作ったビジュアル系解説は、良いのだが、高い。図書館で見るか、個人で買うのはなかなか難しいだろう。

 歴史漫画も馬鹿にはできない。ただやっぱりセットで揃えるのは、「ちょっと日本史の勉強し直しをしたい」というニーズに対して割高かもしれない。

 各社の比較サイトまであるが、近現代が充実しているので、個人的には集英社推しだが、この辺は好みかと思う。

 私の場合、とくに留学生には、高校の副読本の「図説」という資料集を買うように勧めている。これはビジュアルが豊富だし、索引も年表もある。元号もだが、とりわけ旧国名などは地図を見なければ留学生にはハードルが高いはずだ。慣れるとすぐ物足りなくなるだろうが、これに慣れないとその先はけっこうつらいはずである。高校時代に買った(買わされた)人は引っ張り出すといい。 

 なにより、学習参考書、学校の副読本ということで、この情報量で千円前後というのがありがたい。



人物を攻略する

 日本史の知識がないと、専門の本を読んでいくのはけっこう苦痛である。私にも覚えがある。

 

 そしてその苦痛のたいがいの原因の8割近くは、人名に心当たりがないということになると思う。大学でいきなり学ぶ日本史の本はたいがい、登場人物が多すぎるのである。知らない人がどこで活躍していったという話を聞いても、頭には残らない。学生からの反応でも、一人の人物の意外なエピソードみたいなのを雑談で話してもらうと面白くて興味が持てそう、というコメントがあったりした。

 もちろん、2割くらいは特殊な歴史用語の可能性があるが、そのような言葉の場合は括弧書きや注で補足説明が入っていることも多い。

 だから、人物がわかれば歴史もそんなに怖くないということになる。

日本史人物辞典

日本史人物辞典

 

 自分の場合、入門書というか概説書を読んで、そこに出てくる人名の脇に傍線を引いてノートに書き写し、さらにそのノートをもって図書館に行き、『国史大辞典』を引き続けながら重要事項を抜き書きするという方法で乗り切ろうとしていた(抜き書きにしていたのは全文書写すると訳がわからないのと、長すぎたからだ)。私が使っていたのは小学館の日本の歴史シリーズだった。

大系 日本の歴史〈13〉近代日本の出発 (小学館ライブラリー)

大系 日本の歴史〈13〉近代日本の出発 (小学館ライブラリー)

 

 ネットの普及と言っても携帯で何かできるわけではなかった前世紀末の話であるが、人名を英語の単語帳のようにB6サイズの京大式カードに書き取って履歴とか参考文献のメモを作っていた。

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 しかし今なら人物履歴事典のように必要な情報がコンパクトにまとまっているものもあるし、Wikipedia日本大人名辞典が入っているコトバンクで引いたってかまわないわけだ。

日本近現代人物履歴事典

日本近現代人物履歴事典

 

 それをevernoteなどのノートに入れて自分用の人名辞典を作っておけばいつでも参照できる。

 国立国会図書館の「近代日本人の肖像」を眺めて顔を覚えるのも一つの方法だろう(著作権切れが判明している写真を収集しているので、どちらかといえば政治家が多く、学者や文化人には載っていない人も多いのだけれど)。



入門用の概説書とその他のツール

 もしこの方法で歴史の基礎体力をつけるなら、上のように文庫化している概説書のシリーズが良いと思う。岩波新書のシリーズもありだが、人によってはちょっと敷居が高いかもしれない。そのような場合には、岩波ジュニア新書の日本の歴史などもおすすめである。

日本の歴史21―近代国家の出発 (中公文庫)

日本の歴史21―近代国家の出発 (中公文庫)

 
幕末・維新―シリーズ日本近現代史〈1〉 (岩波新書)

幕末・維新―シリーズ日本近現代史〈1〉 (岩波新書)

 
明治維新―日本の歴史〈7〉 (岩波ジュニア新書)

明治維新―日本の歴史〈7〉 (岩波ジュニア新書)

 

 なお、大学の授業に出席するときには、特別講義や演習など専門性の高い科目に出るときにはハンディな日本史辞典を持参するよう指導されていた(山川の高校の用語集で手に負えるレベルではなかったのだ)

日本史辞典

日本史辞典

 
山川 日本史小辞典

山川 日本史小辞典

 

 さらに近代史の場合、人物の先輩・後輩についても抑えておくとよい。生年や出身と手がかりに並べ直しても良い。派閥も重要である。出身大学の縁で友達関係になっている場合だってある。木戸孝允伊藤博文はどっちが年上なのか、パッと見てわからないところから歴史を学び始める人はいる。

 あとは、放送大学のテキストは密度が非常に高いので、勉強しなおしにはうってつけかもしれない。

日本の近代―国民国家の形成・発展と挫折 (放送大学教材)

日本の近代―国民国家の形成・発展と挫折 (放送大学教材)

 

 加藤陽子先生と高校生の対談…も、学び直しの一助となるだろうか?

戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗

戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗

 

 一冊で近代史をということなら手に取りやすいのが最近の本ではこちらを勧める。

国民国家と戦争 挫折の日本近代史 (角川選書)
 

 教員の立場からやるとしたら…Vtuberは難しいとして、スライドなどの公開とかは出来そうだろうか。日本史の苦手な人に届けたいと思っても、結局日本史好きな人しか見ないという結果だと嬉しさとさみしさが半ばするのだが。

最近出た中公新書の『日本史の論点』も、巻末に色々な文献ガイドがあってありがたい。

 ほかにもおすすめがあったら教えていただきたい。

*1:写真にうつっているところで言うと、士族民権とか豪農民権とかいう区分は、私が高校生だった90年代でもちょっと古い学説になっていたと思うのだが、大学に努める研究者の論争の最前線と、高校の受験業界で定着するのとではタイムラグがあるのだな…と思った次第。でも2018年でも豪農民権でググると結構な情報が出てくるので、一度定着してしまった受験向けの知識の体系化は、そう簡単には変わらないという事なのかもしれない

日本文化論を学ぶ人に勧める本のリスト

 今年、本務校の大学で、「日本文化論」という講義を担当した。授業のレポートも締め切ったので、講義中で取り上げた本、発展的に知りたい人におすすめの本、本当は取り上げたかったのだが時間的制約で断念した本、などをまとめておく。不十分なリストであるが、検討し直しのための材料としたい。15回の授業でこんなに紹介するのはシビアだったはずだが、最後まで付き合ってくれた受講生に感謝したい。

 最近、書店の棚にも色んな日本文化論本が増えている(ピンからキリまで)ので、このリストも、受講生が復習に使ってくれたり、何かの参考になるのであればありがたい。

 なお、「日本文化」についてではなく、あくまで「日本文化論」の文献リストであることをお断りしておく。

総説

 

 近年でも、日本文化論の概説書には事欠かない。そのなかのいくつかは名著とされているものもある。

 南博の調査した文献だけでも、全部読むのは大変で、授業で取り上げるのも難しいだろう。

日本人論―明治から今日まで (岩波現代文庫)

日本人論―明治から今日まで (岩波現代文庫)

日本文化論キーワード (有斐閣双書KEYWORD SERIES)

日本文化論キーワード (有斐閣双書KEYWORD SERIES)


 また、「日本文化」なんて定義のしようがないんだし、あたかもすべての日本人に妥当するかのような特徴を取り上げても実証的でないので、「日本文化論」というのは基本的にはいかがわしいものであるという意見も結構ある。

 そもそも、日本文化論が対象とする日本人の定義だって簡単ではない(例えばハーフやクォーターの場合はどうするのか、東日本と西日本の文化的な違いはどうするのか、など)。だから血液型診断のように、いちいち日本文化の特質を取り上げて過度に共感したり、真に受け過ぎるのは考えものだ…というのが、1990年代以降、国民国家批判が盛んななかで大学の人文学を一通りかじった人の間で、比較的主流派の意見になっていると思う(私はそう思うのだが、どうだろうか。)

国境の越え方―国民国家論序説 (平凡社ライブラリー)

国境の越え方―国民国家論序説 (平凡社ライブラリー)

 もちろん国民国家批判より以前から、1970年代以降に急増した日本文化論の複数の出版について、「大衆消費財」であって学問的な議論でないとバッサリ切って捨てたハルミ・ベフの本などがあった。

 近年でも『日本文化論のインチキ』などのように、ある論者が日本の特徴と言っているものは別に他の国でも普通にみられるものであるということが続々と指摘する本も出ており、「日本文化論」のもっともらしさというのは、急速に意味を失いつつあるし、「創られた伝統」に対して、懐疑的なまなざしも向けられる。

イデオロギーとしての日本文化論

イデオロギーとしての日本文化論

日本文化論のインチキ (幻冬舎新書)

日本文化論のインチキ (幻冬舎新書)

「日本の伝統」の正体

「日本の伝統」の正体

 一方で、「日本は〇〇の国」という明確な答えを求める傾向が強いのはむしろ留学生であるということが、授業をしてみて初めてしみじみわかったことでもある。それはまあ、日本の文化に興味があって日本に留学して来たのに、来た先で日本文化論なんか信じるに足らないというメッセージを私みたいな教員がしたり顔で話していたら、普通はショックを受けるか、腹が立つだろう。

 自国の文化についてステレオタイプな文化論に疑義を呈して多様性を主張している人が、「〇〇だからアメリカ人は嫌い」というようなイメージ先行で、他国に対して恐ろしく単純化した固定観念を抱く傾向は、割と根深くあるような気もする。ステレオタイプ俗流日本人論批判が、しばしば国内向けの閉じた議論に陥っていくように見えるのも、なんだか残念だなという思いも持つ。

 なぜこんなにも日本文化論や日本人論が好まれるか。という点に踏み込んだ本もある。

「日本人論」再考 (講談社学術文庫)

「日本人論」再考 (講談社学術文庫)

 個人的には、歴史的にも日本文化の特徴というのを一つには定めがたいことを見極めた上で、時代ごとに異なったタイプの日本文化論が続々と生まれてくる背景は何なのか、時代背景を踏まえつつ思想史的に捉えてみて、上手な付き合い方を考えるということを、戦後は青木保の『「日本文化論」の変容』なども紹介しながらやってみたのだが、うまくいったかどうか。

 


各論―授業で取り上げた日本文化についての本

 授業ではこんな本を取り上げた。

 明治期、急激な西洋化に反対する意味で日本文化論の嚆矢となった著作は、明治20年代の志賀重昂三宅雪嶺らの国粋保存主義の運動のなかで生み出された。明治時代にはその後、新渡戸稲造内村鑑三のようなキリスト者、あるいは岡倉天心らによって、英文で日本文化を紹介するという試みがなされる。

日本風景論 (岩波文庫)

日本風景論 (岩波文庫)

代表的日本人 (岩波文庫)

代表的日本人 (岩波文庫)

武士道 (岩波文庫 青118-1)

武士道 (岩波文庫 青118-1)

茶の本 (岩波文庫)

茶の本 (岩波文庫)

 明治末期から大正期、さらに昭和戦前にかけては和辻哲郎九鬼周造などの哲学者、谷崎潤一郎のような文学者の間で様々な日本文化が語られる。そこには西洋化によって失われてしまったものを求める、文明批評、近代批判的な要素も少なからず含まれていたといえる。

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

風土―人間学的考察 (岩波文庫)

風土―人間学的考察 (岩波文庫)

江戸芸術論 (岩波文庫)

江戸芸術論 (岩波文庫)

陰翳礼讃 (中公文庫)

陰翳礼讃 (中公文庫)

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

近代の超克 (冨山房百科文庫 23)

近代の超克 (冨山房百科文庫 23)

日本イデオロギー論 (岩波文庫 青 142-1)

日本イデオロギー論 (岩波文庫 青 142-1)

 戦後は、青木保『「日本文化論」の変容』で指摘されるように、否定的特殊性の認識、歴史的相対性の認識、肯定的特殊性の認識というように、日本の復興と経済成長の度合いに応じて、特殊性がプラスの要素に見られたり、マイナスの要素に見られたりするということが起こった。

 そして1970年代以降、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』をはじめとして、大量の日本文化論が生み出されていくことになる。

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)

堕落論・日本文化私観 他二十二篇 (岩波文庫)

菊と刀 (講談社学術文庫)

菊と刀 (講談社学術文庫)

雑種文化 日本の小さな希望 (講談社文庫 か 16-1)

雑種文化 日本の小さな希望 (講談社文庫 か 16-1)

文明の生態史観 (中公文庫)

文明の生態史観 (中公文庫)

日本の思想 (岩波新書)

日本の思想 (岩波新書)

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)

タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)

「甘え」の構造 [増補普及版]

「甘え」の構造 [増補普及版]

 1990年代以降、平成になってからは、「日本」とか「文化」の存立の根拠から問い直し、色々な先入見を相対化しようとする議論が相次いで出ている。

 70年代くらいに流行していた議論(日本の集団主義とか終身雇用とか官僚機構の優秀性とかは、今読み返すと、果たしてどのくらい今でも有効か?と首をかしげたくなるものがあるが、それは結局、「日本文化」に限らず、時代の変化から影響を被らざるを得ない文化というものの一貫性を証明するのが難しいということと、合わせて考える必要があるんだろう)

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)


取り上げられなかった本

 取り上げたかったのだが、時間的制約で取り上げられなかった本もある。思いついたのでは、このあたり。

文化防衛論 (ちくま文庫)

文化防衛論 (ちくま文庫)

日本的霊性 (岩波文庫)

日本的霊性 (岩波文庫)

古寺巡礼 (岩波文庫)

古寺巡礼 (岩波文庫)

ヨーロッパ文化と日本文化 (岩波文庫)

ヨーロッパ文化と日本文化 (岩波文庫)

つくられた桂離宮神話 (講談社学術文庫)

つくられた桂離宮神話 (講談社学術文庫)

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

また新たな切り口で説明できないか、引き続き色々考えてみたい(2018/8/6追記)。

大学1年生に一読を勧める本のリスト

図書館を退職して大学教員になって、4か月が終わろうとしている。なんだかあっという間だったが、学生さんの顔を見ていると元気が出てくるもので、授業は上出来とはいえなかったかもしれないが、どうにかここまで来ることができた。

図書館勤めの経験を活かそうと思い、出来るだけ本を紹介しようとしていたら、1年生などから、おすすめの本を教えてほしいというリクエストがあったので、このリストをごく簡単にしたものを授業でも紹介したが、こちらには補足も兼ねて書いておく。あわよくば使いまわしたい。


「大学生」「本」「おすすめ」のキーワードでググってみると、たくさんのキュレーションサイトなどが見つかるが、現役学生が作ったのか、あるいは社会人が作ったのか、人文系のものよりも、ビジネス書や自己啓発系の本が多めなのが気になった。それも良いのだが、もうちょっと大学生のうちに、とくに人文系の人が腰を据えて挑む系のブックリストがあってもよいのではないか。とも思うのだった(昨今の大学生が例えば20年前と比べても非常に忙しい生活を強いられていることを知った上でなお。)。

自分が大学教員としてどの程度信頼されうるかにもよるが、情報過多の時代にあっては、身近な人が都度つくる個性的なブックリストが、専門分野により多少偏っていたとしても、有用なものになりうるという気がする。


最近出た、大澤聡さんの『教養主義リハビリテーション』は、良書なのだが、まだちょっと難しい気がする。脚注は丁寧についているが、学術書を読みなれていない1年生だと、まだ言葉になじめないのではないか。第4章のまとめは、4年間卒業まで人文系で行こうと思う人は一度読んでおいた方がいい文章だと思うけれど、太刀打ちできるようになるまではほかの本を読んで語彙や知識を蓄えたほうがいい。

教養主義のリハビリテーション (筑摩選書)

教養主義のリハビリテーション (筑摩選書)


以下、独断と偏見による1年生向けの本のリストである。読書好きな人はとっくに読んでいて面白みがないと言われそうでもあるが、これから試験が終わって夏休みに入る学生さんたちがこのなかの1つでも2つでも読んでくれるといいなという願いを込めつつ。


学問論

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 大学で学ぶということの考え方について、千葉雅也『勉強の哲学』(文芸春秋社、2017年)では、大学での勉強で知っておいた方が気楽になるいくつかの心構えが説かれる。大学ってそもそも何なのかということについても、いくつか新書がある。

大学とは何か (岩波新書)

大学とは何か (岩波新書)

 何で勉強するのかということを少し古典から考えるとすれば、福沢諭吉学問のすすめ』とか、ウェーバーの『職業としての学問』(最近新訳が出た)を、読んでみるのもアリだと思う。

学問のすゝめ (岩波文庫)

学問のすゝめ (岩波文庫)

職業としての学問 (岩波文庫)

職業としての学問 (岩波文庫)


読書論

 千葉さんが取り上げている本で、読書に関するものとしては『読んでいない本について堂々と語る方法』も、教養についての考え方を広げてくれると思う。

 読書については、ほかに永江朗『本を読むということ』(河出文庫)がある。

 永江さんの読書方法、おそらく全部真似するのは多分無理だと思うが、とっつきやすい読書術の参考として、自分もやってみようかなという手法は取り入れていくといいのではないだろうか。

 読書術に関しては『本を読む本』や加藤周一の『読書術』など、挙げていくときりがない。松岡正剛佐藤優の対談本『読む力』なんていうのもある。

読書術 (岩波現代文庫)

読書術 (岩波現代文庫)

 読んだ本を何らかの形で記録に残しておくというのも良い方法である。本は、必然的にたくさん読んでいくことに迫られるが、そうすると絶対に前の内容を忘れるものである。色々なやり方があるが、カードに書くのならば梅棹忠夫『知的生産の技術』とか、『読書は一冊のノートにまとめなさい』、あと佐藤優の『読書の技法』などがあろうか。

知的生産の技術 (岩波新書)

知的生産の技術 (岩波新書)

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

 ただ、読むことの玄人というべき人たちの本の読み方は、ハッキリ言って、物書きになるつもりでもなければ参考にはならないと思う。「ここまでやらないといけないのか」では、読書のモチベーションが削がれてしまうので、「こんなことまでやる人がいるのか」と思いつつ、興味深い方法があれば取り入れるくらいのつもりで十分だと思う。

 やりすぎてしまった読書記録については、原田宗典『お前は世界の王様か』にサンプルがある。私が好きな本の一つ。

おまえは世界の王様か! (幻冬舎文庫)

おまえは世界の王様か! (幻冬舎文庫)

 小説家となった著者が、大学生時代に付けていた読書カードを20年ぶりくらいに読み直して悶絶し続けるエッセイ。それぞれの大作家への入門でもあり、また、各自の読書記録の付け方の参考にもなると思う。


 そういう意味で読書苦手な人向けの読書術としては、いかに効率的に本を読むかを追求した『理科系の読書術』というのもあるが、人文系の人はここから出発してもう少し発展的に頑張ってほしい気もする。

ライティングについて

大学生になってレポートを書く経験をするとなると、やり方がわからなくて困ることが多々あると思う。私の場合、教科書として『アカデミック・スキルズ』を活用させてもらっているが、それ以外でレポートの書き方本を探すと大量にあって、また絞れなくなる。

こういうのは好みによって当たりはずれがあるではあるが、もし1冊選べと言われたら、古典である『レポートの組み立て方』を推す。

レポートの組み立て方 (ちくま学芸文庫)

レポートの組み立て方 (ちくま学芸文庫)

木下是雄さんは『理科系の作文技術』も名著で、最近はまんがでわかる本も出ているので、こちらを読んでも良い。事実と意見の区別など、文章の基本が書いてある。

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

理科系の作文技術 (中公新書 (624))

あとは『論文の教室』。作文がヘタな学生が実際に登場して、対話形式で欠点を直していくというもの。会話のノリで好き嫌いが分かれそうだが、わかりやすさでいえば、近年の論文の書き方系の本では優れているかなと思う。

新版 論文の教室 レポートから卒論まで (NHKブックス)

新版 論文の教室 レポートから卒論まで (NHKブックス)

ちょっと専門的な分野への入門書

2年生や3年生になってより専門的な勉強を始める前に、読んでおいた方がいい入門書のようなものは、分野ごとに存在する。『●●学入門』とか『●●学概論』のような本がそれである。ただこういう入門書もハードカバーの想定で結構ゴツくて、手ごわいということもあると思うので、さらに手に取りやすいものでお勧めなものをいくつか取り上げる。

井出英策・宇野重規・坂井豊貴・松沢裕作『大人のための社会科』(有斐閣、2017年)は、歴史や社会科学に関心がある人におすすめ。

言葉と文化の深い結びつき、特に言葉が現実を作っていくことについては鈴木孝夫『ことばと文化』(岩波新書、1973年)は、外国語を本格的に学習するときに役立つ考え方を教えてくれると思う。

ことばと文化 (岩波新書)

ことばと文化 (岩波新書)

新書にはすぐれた入門書が多い。

著名な学者の自伝なども、その分野を専攻しようとするときのヒントになる。私が高校から大学にかけて読んで影響を受けたのが、阿部勤也『自分のなかに歴史をよむ』だったりする。

自分のなかに歴史をよむ (ちくま文庫)

自分のなかに歴史をよむ (ちくま文庫)

ほかにも歴史学者は色々な自伝風の新書を出している。

日本近代史学事始め―一歴史家の回想 (岩波新書)

日本近代史学事始め―一歴史家の回想 (岩波新書)

日本史についてより深く知るための漫画もある。映画化された『この世界の片隅に』は未読の人はぜひ原作も読んで、日本の近代史について考えてほしいが、他にも日本の近代を舞台にした漫画作品もたくさんある。明治時代を扱った『王道の狗』とか。夏目漱石をめぐる人物群像を描く『坊ちゃんの時代』とか。


日本の思想について、自分が1年生から2年生にかけて読んでいてとても影響を受けた本も何冊か。

明治の文化 (岩波現代文庫)

明治の文化 (岩波現代文庫)

たぶん私が一番最初に読んだ本は色川大吉『明治の文化』だったのではないかと思う。民衆思想という独自の立場からの記述が、タイトルから予想していた内容と少し違ったのに驚いたりしたのだが、マイナーな人物の生き生きとした造形に心惹かれるものがあった。

近代日本思想案内 (岩波文庫 (別冊14))

近代日本思想案内 (岩波文庫 (別冊14))

鹿野政直『近代日本思想案内』(岩波文庫、1999年)については、明治時代以降の日本の思想・文化の著作についてこれ以上コンパクトにまとめた本は現時点で存在しないと思う。このなかから日本の有名な作品を探ってみたい人のガイドとして活用できそうに思う。日本の思想全体であれば苅部直『日本思想史の名著30』もあわせて読みつつ、各章末の書誌事項を手掛かりに原典へとうつっていくのがよいと思う。

日本思想史の名著30 (ちくま新書)

日本思想史の名著30 (ちくま新書)


おまけ(図書館の活用術)

個人的に、本はある程度は身銭を切らないと内容は見につかないと思うが、どれがいい本でどれが悪い本か、自分の中に基準が出来上がる前にたくさん買うのが良いかどうかは、一概にいえないと思う(買って損したと思うことも重要な経験なのだが、いかんせん、新書も多角化しすぎて当たりはずれはわかりにく過ぎる)。自分に合わない本を高いお金を払って買う必要もないだろう(本を嫌いになってしまったり、いずれ手放す可能性があるからだ)。そういうときには図書館を活用して、自分に合ったものを厳選して集めていくのが良いと思う。

図書館の使い方も、有効な使い方があるのを知っているのと知らないのとでは雲泥の差が出る。大学生は、分類の0の棚に行くと図書館関連本のあまりの多さにびっくりすると思うが、使い方に慣れれば良い読書体験ができる可能性がぐっと広がる。井上真琴さんの本などを見ながら、その点も意識してほしい。

図書館に訊け! (ちくま新書)

図書館に訊け! (ちくま新書)

日本の検閲に関する本についてまとめ

 少し前から必要があって集中的に検閲とか言論統制に関わる本を読んでいたら、友人に検閲についてわかりやすくまとめた本は無いものかと聞かれ(なにやらtwitter言論統制の歴史がちょっと話題になったようでもあり)、まとまっているもの、となるとすぐに思いつかないのだが、万全でなくても、読んだことがあるもの、知っているものをまとめておけば後日の役に立つかもしれないとふと思いついた。

 検閲というと新聞や図書などの出版物にかけられた統制がまず思いつくだろうが、例えば郵便物の検閲という問題もあり、そう話は単純でない。

 

調べ方の前提

ネットで検索すると多数見つかって絞れないので、研究者の成果公表やレファレンスブックから抽出することにする。組み合わせるのがベターなのはいうまでもない。

まず、参考文献だが、早稲田大学の20世紀メディア研究所が提供する検閲研究ウェブサイトの文献紹介のページに載っているものはかなり参考になりそう。

そのほか、出版、マスコミ、ジャーナリズム関係ということで、以下の文献目録のなかにも、検閲、言論・表現の自由、出版統制などのキーワードで引っかかるものがないか探してみると、論文は相当な数が存在していることがすぐわかる。

 以下も参照されたい。

 ふつう、印刷物の普及とほぼ同時に統制は始まるので(宮武外骨が書いた『筆禍史』増補版(1926年)のように、もっと遡って小野篁日蓮の『立正安国論』も登場するものもある)、便宜的には、江戸、明治から昭和戦前期、占領期、その後、くらいに分けて考えた方がよさそうだ。占領期の検閲研究は江藤淳が先鞭を付けて以降、たいへん層が厚いが、最近は江戸や明治以降についても新しい史料などが発掘されているといった印象。

 近代日本の思想史などでは、学問や言論を弾圧した事件としては取り上げられるが、私の不勉強故か、いわゆる講座モノや概説書などでは、制度としての言論法規が対象になることは、これまであまり多くなかったように思う。

 そんななかで、筆禍とか舌禍に対する感覚を今日と同じようなものとして捉えてはいけないと注意を促していたのは鹿野政直先生の『近代日本思想案内』だった。

近代日本思想案内 (岩波文庫 (別冊14))

近代日本思想案内 (岩波文庫 (別冊14))

例えば以下の文献を紹介している。

  • 朝日新聞社 編『明治大正史』言論篇(朝日新聞社, 昭和5)
  • 奥平康弘「検閲制度-全期」鵜飼信成 等編『講座日本近代法発達史』11巻(勁草書房, 1967) ※基本文献
  • 由井正臣 他共著『出版警察関係資料解説・総目次』(不二出版, 1983) ※出版警察報の総目次・由井先生の解説は基礎的な先行研究の一つ
  • 内務省警保局 編『出版警察概観』(竜渓書舎, 1981.1)※複製版
  • 小田切秀雄, 福岡井吉 編著『昭和書籍雑誌新聞発禁年表』増補版、上中下(明治文献資料刊行会, 1981.5)
  • 内川芳美編、解説『現代史資料 マスメディア統制』1・2(みすず書房, 1973) ※史料集

 2000年以降に出た本だと、早稲田とコロンビア大の合同シンポジウムを元にした、鈴木登美, 十重田裕一, 堀ひかり, 宗像和重 編『検閲・メディア・文学』(新曜社 2012.3)が、江戸から戦後までを対象にしている。

 論文集なのでテーマにばらつきがあるという感想はあるかもしれないが、扱っている時期の長さだけでいうと一冊ではこれ以外のものは例があまりなく、序の研究史整理も有効であると思う。

検閲・メディア・文学―江戸から戦後まで

検閲・メディア・文学―江戸から戦後まで

検閲史研究の現状、論点整理に関しては、2013年に開かれた国際シンポジウムをまとめた『Intelligence』14号の対談も参照。

  • 山本 武利. 浅岡 邦雄. 土屋 礼子. 司会「対談 検閲研究の最前線 : 戦前と戦後をつなぐ」『Intelligence』(14):2014.3. p.4-28.

最近もいろいろ単行本が出ている。

伏字の文化史―検閲・文学・出版

伏字の文化史―検閲・文学・出版

検閲と発禁: 近代日本の言論統制

検閲と発禁: 近代日本の言論統制

国家による検閲に対する関心は、高まりつつある状況にあるようにも思える。


江戸

江戸の禁書や取締については、禁じられた本についての研究がある。近年増えつつあるともいえる。

『江戸の禁書』

江戸の禁書 (歴史文化セレクション)

江戸の禁書 (歴史文化セレクション)

『江戸の発禁本』

『江戸の出版統制』


明治から昭和戦前期

文芸の取締に関する本も多い。

明治以来の文芸作品の検閲を扱った『風俗壊乱』

『明治文芸院始末記』は、明治後期文芸取締を目指した文芸院の構想の顛末をえがく。

明治文芸院始末記

明治文芸院始末記

出版史研究の第一人者である浅岡先生は「著者」という切り口から出版法規の特徴を

“著者”の出版史―権利と報酬をめぐる近代

“著者”の出版史―権利と報酬をめぐる近代

『新聞検閲制度運用論』は、一次史料を駆使し、戦前の新聞紙法体制の下での「検閲の基準」の変遷を追う。

新聞検閲制度運用論

新聞検閲制度運用論

『報道電報検閲秘史』は日露戦争の頃の検閲を

報道電報検閲秘史―丸亀郵便局の日露戦争 (朝日選書)

報道電報検閲秘史―丸亀郵便局の日露戦争 (朝日選書)

内川先生の『マス・メディア法政策史研究』は大著だが、新聞紙法改正運動や納本制度のことも。

マス・メディア法政策史研究

マス・メディア法政策史研究

『原爆と検閲』は広島・長崎に訪れたアメリカ人ジャーナリストが何を書けなかったかを、

原爆と検閲 (中公新書)

原爆と検閲 (中公新書)

『戦前日本の思想統制』は、森戸事件をきっかけにした思想取締の展開を論じる。なお、邦訳が無いが同著者にはCensorship in Imperial Japanというのがある。

発禁本の蒐集、研究家として知られる城市郎のコレクションなどは明治大学から最近目録も出た。

城市郎の発禁本人生 (別冊太陽)

城市郎の発禁本人生 (別冊太陽)


表現の自由に関しては

治安維持法小史 (岩波現代文庫)

治安維持法小史 (岩波現代文庫)

治安維持法 - なぜ政党政治は「悪法」を生んだか (中公新書)

治安維持法 - なぜ政党政治は「悪法」を生んだか (中公新書)

横浜事件のことなどについては、

覚書昭和出版弾圧小史 (1977年)

覚書昭和出版弾圧小史 (1977年)

戦前戦中を歩む―編集者として

戦前戦中を歩む―編集者として

個別の事件に関しては他にも研究蓄積が多くある。

明治から昭和戦前にかけては、近年、関係者の史料発掘が進んでいて、その成果が千代田図書館などで展示されていることも多い。

関連してこちらも。

言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 (中公新書)

言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 (中公新書)


占領期

先鞭を付けたのが江藤淳の研究

閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)

閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)

『検閲』は戦中から戦後にかけての原爆報道をめぐる色々な状況を掘り起こしている。

『占領期メディア研究』

占領期メディア史研究―自由と統制・1945年 (ポテンティア叢書)

占領期メディア史研究―自由と統制・1945年 (ポテンティア叢書)

GHQ検閲官』は、生々しい検閲の具体像を

GHQ検閲官

GHQ検閲官

GHQの検閲・諜報・宣伝工作』は出版統制だけでなく郵便検閲も含めて、占領下で行なわれたことをまとめている。

GHQの検閲・諜報・宣伝工作 (岩波現代全書)

GHQの検閲・諜報・宣伝工作 (岩波現代全書)

そのほか、プランゲ文庫を使った研究も進められている。

海外や図書館の例

『政治的検閲』は、ヨーロッパの話が中心で、著者も言語習得の理由から限定しようとしているが、事前検閲や保証金など、ヨーロッパ各国でいつ廃止になったかの一覧があって便利

図書館史のなかの検閲も

グーテンベルク聖書が禁書になった背景について

また、ハプスブルク家の検閲については以下を

検閲帝国ハプスブルク (河出ブックス)

検閲帝国ハプスブルク (河出ブックス)



まだ追加すべき本はたくさんあると思うのですが、ざっくりとしたまとめですみません。最近聞かれることが多くて、読んだことある本を中心にまとめてみました。研究がないわけでなく、むしろ大量にあるので、漏れはあるはずですが、とりあえず。

良い本あったら教えてください。

第19回 #図書館総合展 に行ってきた。

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図書館総合展とは、毎年秋に横浜で3日間にわたって開催されているもので、公共や大学、その他各種の図書館関係者が集まって様々なフォーラムが開かれ、図書館のこれからについて議論するとともに、図書館に関わりのある新商品、新たなサービス、新システムの展示紹介や、図書の販売なども行なっている、図書館関連最大のイベントである。


超高齢社会の図書館を考える

今日は休みを取って以下のフォーラムに申し込んで参加した。

「利用者から学ぶ超高齢社会の図書館―平成28年度国立国会図書館調査研究より―」

このフォーラムのレポート、微妙に関係者なので、書こうかどうしようか迷ったのだが、内容的に、数年前からずっと考えていることともリンクするものであり、また、身内の問題とも直結するところでもあり、個人的には非常に得ることの多いものだったので、忘れないように書いておくことにする。

以下に述べるのはあくまでも個人として参加した筆者の私見であり、所属するいかなる団体の立場も代表するものではない点、予めご了承いただきたい。

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このフォーラムは平成28年にNDLがまとめた『超高齢社会と図書館~生きがいづくりから認知症支援まで~』の報告書について、執筆を担当された先生方からの内容紹介と、実際に図書館を利用している利用者の声を聴くというものだった。

対談パートは事前打ち合わせなしとのことだったが、利用者の図書館への期待が直接聞けて、身が引きしまるような感じがした。

利用ニーズなど実態を踏まえた調査というのはまだまだ緒に就いたばかり。特に今回の調査で重視したのが「ポジティブ・エイジング」の視点であったという。高齢化によって例えば小さい字が読めなくなるとか、障害者サービスの一環として取り組むのでなく、生涯学習の観点を踏まえて超高齢社会の課題を考察することが一つの目的に掲げられた。認知症も、従来あまり目配りが行きとどいていなかったということで取り組みを調査することになったという。

なお、このテーマについては、調査に参加された呑海先生が会長を務められている筑波大の「超高齢社会と図書館研究会」があり、「認知症にやさしい図書館ガイドライン」などを公表している。

九州保健福祉大の小川先生の話でちょっと驚いたのは、WHOの2015年の報告書によると、2015年現在、60歳以上の人口に占める割合が3割を超えている国は日本が世界唯一なのだそうで、今後の人口の推移でも、65歳以上の人口の数はそんなに減らないが、15~64歳の人口がどんどん減っていき、高齢者の割合が増えて行くという話だった。

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報告書の調査結果概要を話された筑波大の溝上先生のお話は、考えさせられる論点が盛りだくさんだった。質問票の回答では、とにかく高齢者の行動が多様である、ということが浮き彫りになっていた。言い方を変えれば、高齢者ならばこういうサービスがいいだろう、というような組み立てだと偏るという話が印象に残った。

例えば、年を取って移動が億劫になる、アクセスのしやすいほうがいいという声に対して、図書館が来館できない人向けに宅配サービスを始めれば解決するかというとそう単純な話でない、ということだ。回答には、耳も聞こえなくなるからインターホンに気づかない、荷物の受け取りは大変だ、という意見があって、そこに思い至らない自分を反省したりした。

場所としての図書館に対する強いニーズがあることも、印象的であった。図書館がサービスを与えるというのではなくて(何かをしてもらうのではなくて)、自分たち高齢者が何か参加できるような機会が欲しい、そうでないと充実感が得られないという声があったことも、折に触れて思い返すことになりそうだ。

また、パソコンの機器に対する不安感のようなものが高齢者に強いというのは、例えば植村八潮・柳与志夫編『ポストデジタル時代の公共図書館』(勉誠出版)などでも指摘されていたが、電子書籍もあったら使ってみたい、みたいな声も一方であったというのも興味深かった。高齢者で括ることで見失うものがあるということであろう。

図書館史的に見た利用者の変化

後半戦。図書館を利用しているシニアの方を交えての対談。プライバシーに関わることもありそうなのであんまり長く書くことは控えるが、資料検索に辛抱強く付き合ってくれた図書館司書に感謝しているとの経験が語られたり、2人に1人が認知症を抱えて生きる時代が他人事でなくやってくるなかで、年を取っても行きやすい図書館が増えて行ってほしいというメッセージが発せられたことは、やはり重く受け止めるべきだと思った。

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以下、個人的に考えたことのまとめである。

図書館史的に見た場合、利用者の変遷というのはあって、日本に近代公共図書館が制度的にも思想的にも入ってきたときに、最初に利用者の中核を占めていたのは学生だったと言っていいと思う。

戦後の図書館運動の中で、子どもや主婦の利用が拡大していき、仕事をしている成人男性もさらに行けるようにしようということで、ビジネス支援サービスなどの取り組みがあった、と解することもできるかもしれない。

もちろん、高齢の利用者というのも昔からいるにはいたが、超高齢社会という状況は従来と違う新しい状況であって、認知症への対応まで視野にいれながら課題を整理するというのは、今こそ必要なのだと思う。

移動図書館ひまわり号

移動図書館ひまわり号

キーワードの一つになるのは、「尊厳」ということだと思う。

物忘れがひどくなったからといって、理性を失ったわけではない。認知症を患っている高齢者だって嫌なものは嫌だし、その意思表示もするということは夙に指摘されている。認知症についての理解を図書館員自身が深めて行くことだって求められるだろう。

認知症を知る (講談社現代新書)

認知症を知る (講談社現代新書)

こういったサービス展開を考えることは、これからの時代を切り開いていく若い人向きのサービス構築でないということでもあって、ひょっとするとそれ自体が後ろ向きに捉えられることもあるかもしれない。新しい価値が創造されたり、社会が変わったり、何かイノベーションが起きたり、みたいなことには直結しないかもしれない。

ただ、討論などでは、「尊厳」と並ぶキーワードがいくつか出ていた。その一つが「家族のケア」なんじゃないかとも思ったりしている。本人だけでなく、家族に役立つ情報を提供したりすることも大事な役割になる。

先進的な取り組みとして紹介されていた認知症関連のコーナーを作ったある図書館では、小学生の子供たちが立ちよって書いた感想文が紹介されていた。

そこでは、記憶をつかさどる海馬について学んだ感想や、おばあちゃんやおじいちゃんが「にんちしょう」になったときにどうしたいか、素直な言葉でつづられていた。

本人たちだけでなく、周りが正しい知識を得て行くことで、認知症に対するスティグマ・偏見が取り払われる。社会から偏見を除くことに寄与するというのは、おそらく図書館の根幹に関わるものであろう。

あらためて、私のささやかな「人文学」について

そういった興味深い討論が終わりに近づくにつれて考えていたのは、つくづく自分の思考の中では、人文学のこれからと図書館のこれからはセットなんだなあということだった。

よい世の中とは何かいうことについては、社会科学者が本気を出して、思考停止せず議論したり大人のための教科書を作ってくれたりする(この際、人文学と社会科学は何が違うのかという議論には深入りしないことにする)。では人文学に何ができるか。

認知症の本人だけでなく、家族のケア、あるいは子どもたちにも正確な情報を教えるのと同時に、本人や家族のケアのなかではときに気分転換になるような本の情報を渡したりすることはあって、そういうときに力になるのが、人文学やアートの持っている価値の、全部ではないにしろ一部を形作っているんじゃないか。

それが、最近ずっと考えていることの一つに関わる。

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例えば、日本の思想への関心の持ち方について、次のような本を読んで考えさせられた。

職業生活や家事や育児で手一杯になっているあいまに、ふと、幸福とは何だろう、とか、いい世の中とはどういうものなのだろうかという思いにとらわれる。一般の大人が哲学や思想に関心をもちはじめるのは、そうした瞬間だろう。そうして「哲学カフェ」でほかの人と話そうと思ったり、入門書や解説書を手にとったりする。そのときには、この分野についてこれまでほとんど知らなかったという、大げさにいえば飢えのような感覚が働いているのではないだろうか(苅部直『日本思想史への道案内』(2017、NTT出版)p.5)

日本思想史への道案内

日本思想史への道案内

恥ずかしながら最初にこの個所を読んだときには、正直、そんな風に思想に興味を持つことがもし自分ならあるだろうか…。などと思ってしまったのだが、ただ、ある程度年を重ねてから、しみじみと人文学の意義を噛み締めることは、確かにあるように思う(ここで例示されているのは、思想・哲学だが、それに限らず)。

その思いが強くなったのは、若い頃に国文が大好きだった伯母が、認知症を患うようになって以後も、百人一首の話をしたりすると妙に生き生きするのを数年前に見てからだった。

人文学は60歳くらいまで役に立たないという話ではないし、そんなに気の長い話でいいかはと言われると自信もないのだが、ただ、定年で仕事を退職して急に歴史に目覚めた人が、非学問的な危うい説に熱狂的にコミットしないように、予防接種的に人文学は大事だと語るのは、平均寿命が短くならず、60歳を超えてもアクティブに活動することが当たり前になっていく世の中ならなおのこと、比較的受け入れられるのではなかろうか。

もちろん、それ以外にも大切な意義があることは言うまでもないのだが。

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ちょっと見ると人文系の学問はつぶしがきかないかもしれない。

確かに社会に出てから毎日、「人は何のために生きるのか」と考えている余裕はないし、朝起きるたびに家族が「幸福とは何だろう」と言っていたら、そういうのはちょっと困る(というより深く自分を顧みる)。

ただ、毎日考えている必要は無くても、ふとしたときに、人生の意味を考えることも一切ない生き方というのは、よいものか、というと、それには割とハッキリと違うのではないかといえるように思うし、超高齢社会と図書館と人文学を繋げてもっと考えてみたいという気持ちになっている。


※文章の推敲が行きとどいていませんが、ささくれより先に総合展ブログ書けたならちょっと満足です。

※2017/11/10ちょっと修正しました。